本来“丁寧”という言葉はいい言葉のはずなのに、こんな風に気になるようになってしまったのは、辺野古のことで何度反対の意思表示をしても“理解できない”通じない今の安倍政権・菅官房長官のせい。こんなに逆なでしていてほんとにいいと思って使っているのかなぁと大いに疑問に思っています。
国民は菅官房長官の“丁寧な説明”を聴いて
“まだ”ではなく
すでに
その危険性その問題を理解したんですよ。だから新基地反対も安保法制反対も意思表示をしたんです。
そもそも、理解してもらうために説明するというのは何回くらいそして期間まであり得るんでしょう。いつまでも終わりなしというのでは説明をして理解してもらうではなく 反対だろうが何であろうが言うことを聞け!! そっちがどうであろうとうんと言うまで続けるぞ ということだとしか思えません。やり取り・話し合いになってません。
言葉が軽い中身がないというのは前々から幾度も言っていますけど、使い方までおかしくなっていますね。
もう一つ。“粛々”という言葉を口にするときも前々から嫌な言い方・持って来かたと思っていました。みんなそう感じていたんですね。翁長知事に注意・指摘されてこのところ耳にすることがなくなってすっきりしました。
だって、悪いことしてたのがばれてしまって(悪いことをしたことを謝るのではなく ばれてしまったことがまずかった)謝る。そんな場でしか使われないんだもの“粛々”という言葉がかわいそうだと思っていました。
みんなそう思っていたんですよ。
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