戦後 最盛期だったころの“タンゴ”の盛り上がりがどれほどのものだったのか直接知っているわけではないけれど、本場南米でも評価されたというすごいタンゴ歌手、タンゴの女王と呼ばれた“藤沢嵐子”という名前は知っています。
その本人が新潟の、それもすぐ近くの長岡市に暮らしていた。それもついこの間の2013年まで存命だった… 常々、アンテナを高く張っていなければいけないと思っている私ですが、つい先日地元紙の記事を目にするまで全く知りませんでした。うかつでした。
ただし文を読むと、引退した わずらわしさから逃れる ということもあってこちらに来たということだしわざと公を避けていたようなので今回は私のほうのアンテナのせいだけではなかったのかもしれませんが。 実際、知っていたからと言って会えるとか、あっても何を話したらいいのか思いつも付きませんが。
こんなことを想いました。
今この地球上に何十億という人が同時に暮らしている。その人たちのうち、一生の間に何人の人とかかわることができるだろう。直接でなくとも知ることができるだろう、と。
そう思うと一度結ばれた縁というものは大切にしなければだめだなぁ。いつも気を張っているというのも“張り詰めた弦は切れやすい”になってしまうけれど、知らないでいるとせっかくの機会を無駄にすると改めて感じた次第です。
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