2016年2月19日金曜日

14-11-7 琉球舞踊 文化は土地に結びついている




2回目の沖縄、今回はその中の一日だけだけど何か計画があれば自分で使える時間があるので沖縄の文化風俗風習‟琉球舞踊“に触れてみたいと思いました。
沖縄・那覇には 国立劇場おきなわ もありますし。ただ、ここは事前に調べてみたんですが日程的に劇場公演がちょうどない日で観劇かなわず。じゃあ沖縄村はとも考えてみました。でも観光施設の沖縄村は、ツアーの中の一つの企画として立ち寄る観光客向けにアレンジしてあるから限られた時間で見ることができるともいえるけれど、本当のお祭りだったリ舞台で催されるものとは違うのかなぁと思ったり。路線バス 手っ取り早くはタクシーもあるんだけど、何より団体ではなくて個人で那覇を離れてそこまで回る大変さとそれだけで時間がとられてしまって首里城や何より平和通りに回る時間が無くなりそうでまたの機会にとあきらめざるを得ませんでした。

 そしたらここ首里城・下之御庭で 舞への誘い と銘打って琉球舞踊が催されているというじゃないですか。 それも毎日じゃないのに私が訪れた今日、そしてあれだけぐるぐると回ってこの時間になったのにこれからでも間に合うと。 
日によって演者も演目も変わりますが、この日は伊是名郷友芸能協会 通水会の皆さんによる 四つ竹 上り口説 むんじゅる 鳩間節 の演目でした。舞台としての設備 規模も国立劇場とは比べるべくもないもの、演奏もあらかじめ録音されたもの。でしたが、私がどの程度のものを望んでいたのかにもよるでしょうがこれはこれで十分。細かな動き、日本の他の地域・舞踊でも観られるものもあれば、作品のテーマ、衣装の色合いなどでよそと違う沖縄だからのもの・形がありました。幸運でした。


 


文化は土地に結びついている
2012年夏に参加した スキヤキのシンポジュウムでのOKIさんを思い出しました。
全国どこに行ってもその地域に・土地に結びついた伝統そして芸能が文化があると改めて思います。福島第1原発の事故は文化 土地・集落のつながり伝統を根こそぎ壊してしまったのだと改めて思います。
つい先ごろ佐渡島の各集落に伝わる鬼太鼓が10年後20年後も残っていると思うかどうかの調査結果が報じられていましたが、地方の経済地域の(つながり)衰退、特に文化を引き継いでいく若い世代の人口流失と出生率の低下によって悲観する予測ばかりでした。政府の無策(正確には破壊策)によって限界集落という言葉どおりに地方(土地)文化が危機的状態に追いやられています。
 


 

2016年2月16日火曜日

映画「オデッセイ」(原題 THE MARTIAN)観てきましたよ!


 
 
映画「オデッセイ」(原題 THE MARTIAN)観てきましたよ! アクシデントがあったりしていまだに昨年の観賞映画の一言感想がまとめ終わらないのにもう2月の一本は…というわけです。
ここで改めて物語の紹介はしませんが、登場する人たちや背景のたたずまいから未来のというよりほぼ現在の物語なのかなぁと思います。ということから考えると、ある人に一言のもとに「無理です!!」と否定された 取り残されてしまった火星からの帰還劇。人類は火星に様々な形で関心を持ってきたのは事実だけれど、少なくとも現時点では火星に到達すること自体がまだまだできないことなのでそうなんでしょうねぇ。
そんな、現実的ではない筋立ての話だけれど、地球で見守る人人・スタッフ。帰還を応援、団結し力を合わせていく過程。主人公ももちろんあきらめない、救おうとする人たちもあきらめない へこたれないみんなが救おうと力を合わせる。いつもながら、このみんなが変わっていく過程と数々のエピソードが感動的。この、困難に立ち向かう姿‟ホーム“家族との絆 家族の元へ帰ろうとあきらめない姿勢、最後には生還する。こういうのほんとに好きだよね、私も好きだけど。
 仕事・職場で何をやっても裏目裏目に出てしまうことがあります。ある映画の結局本編には採用されなかったカットで「今年は私の年ではなかった。」という台詞がありました。この心情よくわかります。 そういう言葉・そういう事があるんだったら、映画を観終わって、すべてが良いほう良いほうに行くということがあってもいいと思えるような気がしました。人類はずっとそういう事に挑戦し続けてきて現時点ではそこまで到達していないとしてもこういう事があってもいい思えた作品でした。 今また自分にもそんなことがあってもいいよね、と言い聞かせたい感じでいるのでなおさら。
 
ところで、劇中多くの困難を乗り越えやっと救出ロケットを打ち上げた(正確には補給船)。これで助かったー と思った直後のロケット爆発。これでもう駄目だとみんなが思ったのちアメリカ以外の国が救援ロケットの打ち上げ協力を申し出るという感動的な展開のところに出てくるのが中国。 ソ連・ロシアじゃないというところが今のアメリカとロシアの関係、中国の位置の変化 世界情勢の流れが反映しているのかと興味をひかれました。こんなところにも変化が反映しているんですねぇ。
 

2016年2月11日木曜日

14-11-7  鳥瞰図を見つけました。


地図にもさまざまな種類がありますけれど鳥瞰図はどうなんでしょうか。地図でもあり絵でもあり文章(通達)でもありでしょうか。

先日の「思ったように描く」(言葉の備忘録)にもつながる思いなんだけど、例えば漢字とかアルファベットを組み合わせての文字が読めない人にも見て伝わる絵文字というようなものにもなるのでしょうか。インド細密画展の時の肖像画、日本で有名な聖徳太子像と伝わる一枚、この度首里城でみた尚王の肖像画、いずれも描かれている主人公が大きく描かれていることにまず気づきます。偉い人 偉大な人ですよという描き方であり、描かれている対象に箔を付けそれを広める有効な手段として使われているんだとおもいます。

この首里城・守礼門近くで見つけた鳥瞰図も、広い敷地にさまざま立派な建築物がありますよと描く以上に、雲間にそれらが見えるということで、首里城は普通の野山じゃない高きところ(いろいろな意味で)ということを伝えようとしているのかと感じました。

2016年2月7日日曜日

14-11-7  お庭で行われた儀式の模様


  
 
 
正殿前の御庭で行われる儀式。その模様を再現した模型がありました。

 
 
 
 
さぞかし 厳かで 華やかで 晴れ晴れしい 感じだったんでしょうねぇ。

2016年2月6日土曜日

14-11-7 玉座


王様の玉座です。

なんでも琉球の王様は自身が“日”の神様なので西でお日様の光を受けるのではなく自分が東にいて西に向かっているのだそうです。
そしてこの正殿内の玉座と西方御嶽は一直線上につながっているんだそうです。

 

こうゆう話を聞くの好きです。
 

ちなみにこの絢爛豪華な玉座は引き戸を開けると遠くを見渡す形で、
 
もう一つこちらの玉座は引き戸を開けると正殿前の儀式を行う御庭の臣下を見下ろす形になります。

14-11-7 西のアザナ




 

 
 
西のアザナ(入りのアザナ) 
 
アザナとは 物見代 見晴らし台 という意味だそうです。 
 
 
 

もともと小高い丘に位置している首里城の中でも一段上がった感じなので、木曳門から場外に出て振り返るとこんなに高くなっています。







西のアザナに立つと、眼下に那覇の街並みそしてその向こうに海まで見渡せ、振り返れば正殿が望めます。
 
 

2016年2月4日木曜日

14-11-7 ここ実は首里城公園というのです  2/2


そこをまた歩いて抜けるととても眺望のいい高台に出ました。西のアザナ(入りのアザナ)というそうです。 


そのあとも道なりにというか、いま通ってきたところでないところというように歩いていくと木曳門。そこを下るとずいぶんと開けたところにつながりました。シンボルのような大きな木が中ほどにある広場、長屋式にお土産物店が居並ぶ建物 レストランの入っている大きな建物。時間のせいか先ほどの正殿周りのにぎやかさはありませんがこちらが団体で来る人たちの観光バスの駐車場のあるほうなので本来はここの土産物店もにぎわうんでしょうね。
 
 

 そこからまた下ると守礼門下の総合案内所わきに出ました。「ぐるっと回ってきたんだなぁ」

14-11-7 ここ実は首里城公園というのです  1/2


 そんなのなんともないよ普通じゃない?!と思われるかもしれないけれど、ここの正式名称が“首里城公園”となっていたので少しびっくりしました。史跡かなぁと思っていたので。確かに世界遺産になった石組はあるけど再建されたものだし華やかにぎやかだしそうなのかな。

 さて私は、先ほど思わぬ幸運で鑑賞させてもらった琉球舞踊の行われていた、正殿のある一角から一段下がった所の下之御庭(しちゃぬうなー)の奥まった所にある系図座・用物座(けいずざ・ようもつざ)のわきを抜け、あちこち回ったけれどまだこっちは見てないなと進んだところにこれも琉球石灰岩を積み上げてものだろうか石垣がありそちらへ回ってみました。
 

 そこは、樹木に名盤がつけられちょうど植物園といった趣。でも先ほどの鎖之間のよく整備・手入れされた庭というより うっそう といった趣。ここ京の内もともとは信仰儀式の場  だったとのことです。そんな雰囲気です。


2016年2月2日火曜日

‟パリジェンヌ ズボン解禁“ 歴史と伝統があるということはこういう事もあるという事か


今が2016年ということから考えると古い記事・事柄になってしまいましたが、2013131日に時のフランス政府ナジャット・バロー・ベルカセム女性権利担当相が18001117日施行されたパリジェンヌへのズボン禁止令について「現代フランスの価値観や法律に適合していない」条例に法的拘束力はないと宣言したそうです。
 

 まさに えーっ!! という話題 事柄。

 この条例は、女性に対し男性と同じ服装を禁じることで特定の職業への進出を制限する狙いがあったようです。
 1892年と1900年に自転車や馬に乗るときに限って着用を認めると緩和されたものの条例自体は残っていたんだそうです。女性が「男性のように」ズボンをはきたいという場合には警察の許可が必要だったんですって。
 

 びっくりだけれど、でも実は歴史・伝統のある国・社会というのはこういう事があるということなのかもしれません。普段漠然と持っているフランスのイメージからはずいぶん離れますが。

2016年2月1日月曜日

2016年度年金給付引き下げ!


ニュースで来年度の年金が引き下げになると言っているのでびっくりしました。その後、直接の引き下げではなく実質の引き下げということが分かりましたが。
つまりこういうことでした。今年金は物価や賃金に連動して毎年度改定されるようになっていて、2015年度は物価変動率がプラス0.8%だったけれど名目手取り額金変動率がマイナス0.2%だった(つまり物価が上がって賃金が下がった年だった)、それで年金支給額がほぼ据え置きとなる(正確には、計算式が変わったので変化はある)。マクロ経済スライドは、プラス改定ではなかったので今回は発動しない。(プラス改定の場合に発動する年金給付の伸びを物価賃金の伸びより1%程度低く抑えるもの) 
日本の年金額は考えあわせると生活保護よりも低く「じゃあみんなで生活保護をもらおう」という人もいるほど。 でもいざ生活保護をもらおうとすると”窓際作戦”などという嫌な言い方があるように申請用紙すら渡さないことがあるほどに利用しにくくなっている上に反生活保護の風潮を自ら助長しているありさま。 社会的な保障、社会不安に対する社会的安全弁の不備を指摘せざるを得ません。 

だいたい安倍首相の言っていることとやっていることは矛盾しているんですよ。
少子化対策をとると言いながら、実際にやっているのは、正規雇用を減らし低賃金で雇用も不安定な非正規雇用を増やすだけ。毎日の生活苦で将来の展望が描けず、結婚までとても考えられない人たちを増やしています。学校に行き教育を受け、正当な労働条件・賃金で働き、(個人の考えは別として)家庭を持ち子どもが何人なんて未来は描けようがありません。
介護離職をなくすとも言っています。でも実際にやっていることは、施設追い出し利用制限家庭への回帰誘導。 介護保険の給付制限、入所申し込みをしても何百人待ちという状況も変わらず。 各種制度を利用しようとしても医療保険でやったこととおんなじように保険適用から外して自費扱いにすることもどんどん進め利用する際の窓口負担は増える一方。窓口負担分が支払えず自分たちでとなれば仕事・勤務に影響が出て離職せざるを得ません。そしていちど介護離職をしてしまうと復帰はまず無理。
介護保険・介護制度が充実してきてこそ介護離職が減るのに、介護保険を利用しにくくし 施設から家庭への流れを強めているんだから介護離職が減るわけがないんです。 


安倍首相のやっていることは
 介護離職をなくすと言いながら 介護離職を増やし。 雇用を改善すると言いながらその内実は低賃金劣悪な労働条件の非正規労働者を増やすだけ。 人口減少に取り組むと言いながら、子どもを産めないそれどころか結婚できない若者を増やしているだけ。
言っていることとやっていることが違っているんです。本人の中では口にすればその時点で問題が解決したと思っているんでしょうね。アンダーコントロールといいながらいまだに収束しない福島第1原発と同じパターンのままです。