彼女は、地元の高校を卒業後故郷から700キロ以上も離れたマニラ(近郊の街街)に住むおばさんの家に同居。それ以来日本でいえば家事手伝いという事になるのでしょうか、大学に通うでもなく勤めるでもなくおばさんの家(族)の炊事洗濯など家事全般をこなしおばさんに子どもが生まれればその世話をしてきました。 そんな暮らしが約10年。私と縁あって結婚、来日するまでずっとお世話になった人・家族です。
婚約そして結婚手続きのためフィリピンに行ったときには私も泊めてもらい、ご主人にはあちこち奔走してもらいました。帰国後こちらにいたままではできないことでもいろいろ動いてくれた人達ですから精一杯お礼をしようと思っています。
荷物も多いでしょうしまずは空港へお出迎え。
今回の来日はフィリピン・ニノイアキノ国際空港を朝立って成田。そこで乗り換えて新潟へというルート。到着予定は夕方の6時45分。 ちょうどいいタイミングで空港へ。荷物が多いんだろうなぁとわざと国際線到着出口に近い側に車を駐車。 ラッキー!ロビー・入国ゲート前はまだ誰も集まっていません
すいています。
が 時間を過ぎてもゲートは開かずすりガラス様になっていて仲が見通せないゲートの向こうは照明もつかず、電光掲示板もそのまま。一緒に家を出て、ついそこまで一緒に走ってきたもう一台の車に乗っていた人たちもまだやって来ませんいったいどうなっているんでしょう???
空港ロビーの反対側がにぎやかどうやら飛行機が付いたようです。「あ! 成田からは国内線なんだ。」初めて大きな勘違いに気づきました。 あわてて駆け出してみたものの身体はなかなかいうことを利いてくれません、すぐそこに見えるところなのに走るとこんなにも遠いの・・・ 弱ったものです。
やっと 出会えた懐かしい顔。 いっしょに迎えにでた人もこっちに居ました。「フィリピン フィリピンと思っていたから国際線到着ゲート前で待ってた。成田からここは国内線だったねぇ。」なんて変な言い訳をしながら体格のいいご主人の硬くて大きい手と握手。「いらっしゃい」これから一緒ですねしばらくよろしくお付き合いくださいと心に思いました。
なんともまぁ 私らしいと言えば私らしいけど 情けない。
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