2019年1月31日木曜日

 “鱈”の付く言葉




鱈という魚の、姿かたち 習性から派生した言葉



“鱈腹食べる”

いつも、考え無しお腹いっぱい食べてしまい結果お腹が膨れてしまう様から 

 

“出鱈目” “無闇矢鱈”

悪食 目の前に来たものを考え無しに何でも食べてしまう様から 





魚偏に雪と書く魚 “鱈” 

冬、雪の降る12月から2月にかけてが旬のおいしい白身魚。

世界中に、新鮮な状態 乾燥させた状態のものを用いて様々な食べ方の有る、

大きくなると体長1メートル 重さ20キログラムを超えるという魚。

今だ縁なく口にしたことがないけれどお刺身でも食べられるという鱈。

何時か食べてみたい。

2019年1月24日木曜日

P なぜ家電製品を買うのか いくら日本より安価だと言っても

 
結局冷蔵庫のほかにも洗濯機や電気釜他を買っています。 それらは日本で同程度の物を購入するより安いとは言えなぜ? 直接のきっかけは子どもの発熱。洗濯機や電気釜は大勢の食事や洗濯の家事労働の軽減・時間短縮。 プラス為替マジック、日常を離れた旅先ということがあったと思います。

両替すると10,000円が約4,000ペソ前後(これまでの最安が約3,900ペソ 最高が約4,400ペソ)。ゼロが一つ減って、感覚的には音の響きでなんだかみんな安くなった錯覚を起こしてしまいます。その上実際の使い出は、1,000ペソが1,000円の2倍 場合によっては3倍にも4倍にもなるんですからおかしくもなろうというものです。 でも地元の人の賃金水準からすれば、車ほどではありませんが今回の冷蔵庫でも洗濯機でもなかなか手の出ない代物。ですから「日本より安い」なんて簡単には言ってはいけないことです。



昔々「世界中に救済されるべき人がいるのに目の前にいる人だけを助けるのは不平等ではないか」という言い方がありました。 目の前に対象の人・問題があるのにそう追及されたらどうしょう、という恐怖がありました。 今なら、最終目標はそうだとしてもまず始める・行動することが、そんなことばかり考えて何もしないでいるより大切と言えますけど。

一つ家電を取り入れることによって家事労働(拘束)から楽になる(解放)となる。日本で同じ金額を使った時と比べて生活の変わり方がこちらの方が大きい。そういうお金の使い方をするなら、生き金を使った と言えるのでは、なんてことも頭にありました。

2019年1月20日日曜日

梅原猛 さんの信念



         おかしなことをおかしいと思わなくては学問にならない。

         子どものような心と、心理に対する誠実さと孤立する勇気、

           そして執念が独創的な仕事を作る。









つい先日 112(2019) に93歳で亡くなられた 
梅原猛 さんの言葉

2019年1月19日土曜日

ナディア・ムラドさんが突きつけてくるもの


「あなたはなにができますか」



アレクサンドリア・ボンバッハ監督の手になるドキュメンタリー映画「ナディアの誓い」の印象的なラストシーンという事で紹介された言葉です。私は今のところ映画そのものは未見なのですが、確かにこの問いかけはきますね。 

映画の題名になっている「ナディア」とは2018年のノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドさんのこと。 ナディア・ムラドさんはヤジディ教徒という事を理由にISによって性奴隷にされ、脱出後“犠牲になった無数の人々の声なき声の代弁者”として活動を続けている人。 私のこんな一言では紹介しきれる体験でも活動でもないことは重々承知しています。だからこそ一層くるのかもしれません。

P2 16-3 洗濯機の巻



    洗濯機も買いました。 それというのも遅くに着いた上にお土産を渡して御馳走を食べフィリピン流乾杯でお酒をたくさん飲んで遅くなり、翌朝()荷物整理に取り掛かかったら履いていったズボンがみあたらない。ソファーやテーブル類一切合切スーツケースもどかして寝る場所を作って雑魚寝したのでどこかにまぎれたかと思い聞いてみたらズボンはわからないシャツは洗ったけどとの返事。 その後2日ほどたってからきれいにたたまれてズボンが出てきました。 どうもシャツだけでなくズボンも洗ってくれていたようです。私の“ズボン”という言い方がわからなかったのかな!?  

ズボンなんてそうそう洗うものでもないしましてや家でと思いましたが「洗うものがあれば遠慮しないで出して。」とのことでした。 トイレ兼行水部屋に、大きなたらいを出して手洗いしてくれたようです。  この度は私達の他にも親戚が大勢来ていて、その人たちの洗濯物を全部洗うとなると結構な量です。 “人手がある”という事なんでしょうが、一人張り付きで洗っていたんじゃないでしょうか。“手洗い”なんて必要に応じて部分洗いという事はあるけれど、常に全部手洗いでなんておどろきでした。 

 洗剤は近くのサリサリストアーで小袋を買って来てました。小分けされた物を買う という売買も知識としては知っていましたけれど、実際に見聞きするのは初めて。 洗った洗濯物は外に干します。日差しも風もいい具合なので乾きは良いようですが、自分の家の軒先だけでたりなくて向かいの家の軒先にも掛けていましたけど断ったんでしょうか。ご近所づきあいも今の日本とは違うみたいです。 

 聴いてみました。 洗濯機 というものは認識していました。でも買うには高いし洗う人もいる、という事でした。 日本も昔はそうでした。でも一気に置き換わるタイミングがあるんです。フィリピンの今の勢いを感じていると、今はその少し手前というところでしょうか。

2019年1月12日土曜日

P15-10 ポリタンク





買い出しに行ったお店で、お世話になったお宅でも目にしたポリタンクを見つけました。こうして見てみるとすっきりしてなかなかかっこいい感じがします。 

ポリエチレン素材の“ポリタン”もちろん日本でも普及しています。ただ日本のポリタンはこちらの物に比べると角も丸みを帯び、強度確保のためのX型をはじめとする凹みの有る側面部分も膨らんで全体にずんぐりしています。 私が思うに、日本は小さなもの 丸みを帯びたものを愛しいとか愛らしいと感じ愛でるところがあり、いまや世界で通じる“かわいい”もそう感じるか否かの分かれ目は案外そのあたりが大きいのかなと思っています。それは同時に“幼い”と重なっているようにも思えます。 それがこの ふくらみ(丸み) もつながっているのでしょうか。 日本では昔の一斗缶の名残で18ℓというものも含めて様々なサイズ、用途によって色の違うポリタンクが使われています。写真は東日本で一般に流通している石油用のポリタンです。飲料用のフイリピンの物とは用途が違うので厳密なところ相違があるのかもしれませんが、配達する時フィリピンの方はスッキリ・ぴったり収まり、日本の方は側面が盛り上がっている分ぐらぐらしてしまうと思います。ただ、そこをまたぐっと押し込むと押し返す力が働き合ってしっかり固定されるのかなとも思いますが。

2019年1月4日金曜日

新年あけましておめでとうございます


 11(あるいは初出勤の日)「新年あけましておめでとうございます。昨年同様本年もよろしくお願いいたします。」という新年のあいさつを交わしたことと思います。 この“新年” 今は11日だと普通には思っていることが多いと思いますが、陰暦太陽暦 新暦旧暦もありますし、さすがに今は聞きませんが日本には元号・皇紀という数え方もあります。世界には国や地域や宗教によってもさまざまあるというのが本当の所なんでしょうね。 

 
父が入院している病院の玄関先の結構大きな木が電飾で飾り付けられ素敵なクリスマスツリーになっていました。父の今の状態では残念ながらまじかに行って眺めることはできないのでスマートフォンで撮影したものを視てもらい、少しでしたがクリスマスを祝う事が出来ました。 聞けば、この飾りつけは25日までとのこと。「もったいない。教会なら新年 年明けまで飾っていてもいいのに。」などと思っていました。

教会のツリー・クリスマス飾りは新年まで出していてもおかしくない、と聞いたことがあります。 クリスマスは1225日、クリスマスの日曜礼拝は25日の直近の日曜。教会でのクリスマスイブ礼拝は24日。25日は各々家庭での家庭クリスマス。そしてクリスマスの後の最初の日曜礼拝が第1主日、つまり教会としての新年という事になっています。 2018年最後の日曜日1230日にJCOBの日曜礼拝に参加したら、まだクリスマスツリーをはじめたくさんのクリスマス飾りがありました。交わされる挨拶は「メリークリスマス アンド ハッピー二ューイヤー」でした。 教会では第1主日だし新年のあいさつを交わしていいんだなと再認識しました。

2019年1月1日火曜日

いい噺


月間の会員向け冊子の中の趣味紹介の連載企画に噺家の柳家喬太郎師匠の名前を見つけました。

その紹介文の中で筆者は、2011311日の東日本大震災のちょうど一年後の2012311日の「震災被害者の追悼と脱原発集会」の日も独演会に足を運んだ。 午後2時から始まった噺。ちょうど地震が起きた時間になり「せめて被災地に思いをはせるだけでも」と目を閉じた時 師匠の噺も落ちに。 そして師匠は「震災を忘れたくて来られている方もいらっしゃるかもしれませんが…」と話して会場全体で黙とうを捧げた。』というエピソードを紹介していました。

 東日本大震災、私も支援活動で現地に入りました。 そして「早く日常(の生活)」を取り戻すことの大切さを改めて認識しました。 当時、こういう時だからこそ笑いを 楽しみをという声もあったけれど様々な行事が自粛させられてしまいました。

 “時”  時が癒してくれるという事もあ、時がたっても忘れない こだわり続けるという事も大切。落語は笑わせる演目だけではないけれど、人を笑わせ でもこの人は忘れない こだわることを辞めない人という事を改めて知りました。 いい噺でした。