2020年1月2日木曜日

“日本で最初の近代公園”にまつわる記憶 2/2

 
話はそもそもの「新潟開港 150周年記念展 ~開港場新潟展~」に関することに。

今回の展示の中に“日本で最初の近代公園”の一つとと言われる初代・白山公園も取り上げられていました。

 実は祖母から、私の曽祖父が白山公園を造ったというふうに聞いていました。それで、今回の展覧会に先立つ事もうずいぶん昔のことになりますが、新潟歴史双書で初代白山公園が取り上げられた時、そこに私につながる縁を見てみようと手に取った
 事があります。ところがそこに記録されていたのは「三条の庭師がかかわっていたようだ・・・」とあるだけ。 私が“引き継いできた記憶”はどうだったの!と、私のこだわりの一つ“記憶”そして人が亡くなった時その人が保っていた記憶はどうなるのだろう?を考えてみたというわけです。 実は新潟歴史双書が発刊された時、重なるところもありましたし書かれていない事も有りました。 それで市の担当に連絡を取ってみました。 そこで今回書かれていないで私が伝え聞いていたことを伝えてみました。図面はありますか?と聞かれまた連絡先も伝えたのですがそれっきり。転居しましたし、祖母そして両親もなくなり実家も引き払って今に至っています。 今、実家の整理に伴って様々な記録()も私の手元にあります。 3年ほど前に99歳で亡くなった父方の一番上のおばさんの戸籍関係の書類も今手元にあります。 今回のことで確認してみたところ、私の記憶の曽祖父のことで記憶との相違が有ったりしたので「これはお墓を一度見に行かないとだめかな」などと思っているところです。 直接引き継いできたから正しいとは限らないし、記憶の裏付けが取れたらそれを記録するなり、その私の記憶をまた引き継げたらと願っています。 記憶 繋ぐ そこが肝というか解明する価値があるものかもしれないと思っています。  ちゃんと住民登録の手続きはしながら今の所に至っていますのでたどればすぐにわかる事ですが、連絡を取られたことは一度もありませんし、私が引き継ぎ保っているこの記憶、私が亡くなったらどうなってしまうのでしょうか。

 それが止まる原因にもなっていたのですが、私が引き継いできた記憶 確認できたことは、確かめる 振り返る、そしてそうでもしないと全部足踏みしそうなのでいずれ改めて書き留めることにしました。

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