2020年3月29日日曜日

記憶 することと引き出すこと 2/2 の2

 
人の記憶の保存・継承はどのようにされるのか、特に計量化できないものはどのように受け継がれていくのかと思います。 家系 家族 血のつながり・家名、伝承 代々受け継がれていくもの“土地に結びついている文化”。 年寄りが日常に繰り返し、繰り返しを喜ぶ小さな子供。
 個人の脳内に記憶されているだけの状態では、他の人から見てその人が何を覚えているかは知りようが有りません。 本人すら覚えている事柄、記憶の引き出しに収められていること自体認識していない事も有ることを観てきました。過去にそんな時は聞き取り調査なるものをしたこともあります。  脳内には保存されている。けれど思い出すかどうか。 望むとき必要な時に思い出せるか。 「確か見たはずなんだけど思い出せない。」と思えるかどうか。 覚えていたいこと 覚えていなければいけない事 
 そんな人間ですがひょんな時に突然記憶がよみがえってくることがあります。 きっかけは? 関連付け?匂い 音 風景・・・ どんな場? その中の一つが夢なのかなぁと、この間の体験で感じました。 
 個人の記憶(記録)でも外部に何らかの手段で放出し保存しておけば、それがいつか掘り出されよみがえり役立つこともある。 これは先ほどの聞き取り調査における、個人の内部にのみとどめられていた記憶の外部化。他の人でも利用 再生できる目次の作成、計量化。
   このような行為が加わると、その個人が亡くなってもすべてが消えてしまうとは必ずしも限らない、と思います。 それでも残る、思いや感情のレベルの物はすべて伝えきれるのだろうかという思い。 それは、すべてはできないけれど 数字デジタルで置き換え、これまで私が行ってきたことを一度ひっくり返してしまうようだけれども、(置き換えられないから⁈)あえて余白を残して“芸術”の領域で考えると意外と表せる 残るのかなと思います。 ただし、それも元の人の想いそのものが表しきれているのかはわかりません、確かめようも有りません。 その作品に触れた時同じように感じるかもわかりません。 これがきっかけで、その人も忘れていたことを思い出すかもしれません。
 堂々巡りかもしれませんが、考える価値はあると思うし面白い。

記憶 することと引き出すこと おまけ




“物忘れ”と聞くと避けられるものなら避けたい事と思ってしまいますが、人の記憶容量にも限りがあるそうですから、もしかしたら意味のある必要なことかと考えます。

ここで“もしかしたら”と言うのは、忘れることによって開け広げた つまり新しいことを記憶するために消去・無くなったはずの記憶、一時記憶していた事自体認識していないその記憶が何かのきっかけでよみがえってくることがあるのですから一筋縄ではいきません。ハードディスクも容量確保のために消去したはずの情報を復活することができるので、そういう事でしょうか。 

本人は見た聞いた経験したそしてそのことを覚えていたこと自体忘れていても、なくなったわけではないのが事を難しくしています。記憶容量に限りがあるから消去した=消した忘れたと言いながら、完全になくなったわけではない よみがえってくることもある。 よみがえる 思い出す→記憶の呼び起こし、そのきっかけは意外と五感そして第六感なのかもしれないと思っています。

 話は飛びますが、思い出した歌が有ります、「夢で逢えたら」。 曲もいいですが特に歌詞が好い。カバーも多くあります。 歴史において ○○だったらたら とか ○○していれば はないと言います。これは個人においても当てはまること。私のこれまでの人生において幾度も身に覚えのあること。 

 直接につながるかどうか、でも最後に「聖母の騎士」20201月号で印象に残っている一文を。

 終わった過去に執着しても新しい未来はつくられない。

 反省は今後に生かせるが、後悔は前に進む力を削いでしまう。

失敗はない ただ経験があるだけ。

(お断り 今回改めて出所元をと思ったんですが、1月号の何ページ 誰の文 と言うのが確認できませんでした。 書き置いたメモは私の字で確かにそう書いてあるんですが自身が亡くなりました。 ごめんなさい。)

記憶 することと引き出すこと 2/2 の1




祖母から聴いていた日本で最初に作られた近代公園のうちの一つ白山公園について書いた繋がりということもあるのですが、・開港100年記念の展示に取り上げられた ・99歳で亡くなった父方の一番上のおばさんの除籍のために取り寄せた戸籍資料を目にしたということきっかけにして改めて「人が記憶する しているとはどういうことなのか」“一時忘れていた”ことを思い出し事実関係を確認 訂正しました。祖母と過ごした日々の事を思い出した事を感謝しています。 

日々の生活の中での経験 体験の記録は、もちろんすべての人がしているわけではありませんが書き留めたる事は特別にまれな事でもないと思います。 これは、悪意のある記録ということもあることなので検証を忘れないようにしなければいけませんが、後々の調査で探し出すことができるものになります。文化人類学的アプローチで調べることもあるでしょう。同時的に調査したり、のちに集団・地域・時代の記録を広く集め把握するということもあります。 これら外部に記録 残されているものは調査の一環として目録も作成可能。 でもそうした“外部に取り出され保存されたものではなく”個人の頭の中にあるままの状態の記憶(記録)はそのまま個人の頭の内にある状態では、ほかの人が必要な時に自由に取り出して利用 検討できません。本人も思い出せない・引き出せない、記憶していること自体を覚えていないということもあります。
記憶 情報を記録する保存する際 計量的に整理 表せるものもありますが、思い 気持ち 感情レベルとまでなるとその方法 手段は芸術領域の方がより対応できるのかなぁと思っています。 その後も継続しているのでしょうか? ストレージの容量アップ コスト低下によって、四六時中のすべてを映像記録している人の事を紹介している記事を見たことがありますが、恐ろしい情報量だろうなぁと思った覚えがあります。 ただし“すべて”といっても それでも人の“心”思い気持ち感情までは記録しきれないわけですし、改めて人の記憶容量は ほんとに恐ろしいくらいに素晴らしいと思います。 この“記憶容量”ということで言うと人間から見ての外部記憶容量だけでなく、人の五感 第六感 経験 体験 知識 思い と多様でものすごい量になると思います。 となるとデータの取得と浄化というのでしょうか、どの情報を残しどの情報を捨てるかが必要不可避になってくるわけです。この捨てるという行為を人間の場合で言うと“忘れる”ということになるのでしょうか。 どの情報を残しどの情報を捨てるか、その過程を短期記憶を整理して長期記憶に置き換える このところの流れで言うと夢を見ている状態というのかなと思っています。

2020年3月25日水曜日

お料理は出来立て作り立て


3月と言うと卒業に入学 勤めている人なら転勤や退職の時期、謝恩会や送別会 歓迎会でホテルや割烹は大賑わいの時期になります。ただ今年の場合はCOVID-19・新型コロナウイルスの流行で様変わりしてしまいましたが。 

私の関係するところも予約していたホテルでの送別会を取りやめにしました。 代わりに幹事さんがいろいろ考えて、ホテルに頼んだお弁用で感謝とねぎらいの昼食会を持ちました。 お弁当は金額的に普段の給食の6倍以上、何よりOホテルと言う一流処なので期待も高まります。 準備されたお弁当はちゃんとしたお品書きが添えられていました。ここからして「いつもと違う」と期待が高まります。 ただし折は紙製。見た目 色柄は豪華だけれどなんとなく膨らみ具合と言うか雰囲気が軽そうな印象。受けた印象で期待半分心配半分。 開けて見た第一印象は“綺麗” 味もお弁当にありがちな濃いめしょっぱめに走らずかつしっかり味が効いていてさすがと思わせてくれました。視覚的にも冷めてもお料理はへたるような事も有りません。やっぱり綺麗なんですよ。 もともと一流ホテルの宴会に処されるもの・処で作られているのですから、育ち盛りの人たちが豪快に食べて満足するというものではないのでしょう。 食材 調理も違うし受ける印象も綺麗 違います、さすがと思わせるものでした。でもそこまでかな。 作り立てを急いで運んで来てくれたんでしょうけれど、やはりその場で食べるようにはいきません。もちろん美味しくないわけではありませんけど、どうしてもOホテルの物でなくては!という感じでもありませんでした。 

お店の大きさが全然違いますので今日の規模(人数)では対応できないかな?と思うけれど、地元の割烹のお弁当の方がお造りは冷たいままに ご飯は温かいままにお味噌汁までそろって半分以下の値段の方が口にはよかったと思いました。 Oホテルのお弁当、見た目の綺麗!冷めてもこのレベルというのはさすがと言って良いと思いますが。

包み紙からして立派なO川屋の大ぶりの脂の乗った鮭カマ弁当。写真の巻紙だけでなく、油紙で作られたお弁当が一つすっぽり収まる袋?容器? もいい意味で儀式。この こだわり は期待を大きくさせてくれます。 お弁当の名前に偽りのないさすがの大きさの魚。 ただしこちらも作られてしばらく時間がたったのを原因として食べた印象は今一つ。温かい出来立てだったらなぁ、 残念。 こちらは痛まないようにでしょう少し濃いめの味付け。 ご飯はどちらも冷たくなってもこんなにおいしい炊き立てだったらどれほどおいしいかと思う程。


お料理はやはり、出来立て作り立て、温かいものは温かく 冷たいものは冷たい状態でと言うのが一番だと改めて知ったしだいです。

2020年3月20日金曜日

記憶 することと引き出すこと 1/2


自分の声(深い寝息の音?)に自分でびっくりして目が覚めます。寝姿がおかしい。手首が曲がったまま身体の下側が圧迫されたまま、汗ばんでいます。逃げても逃げても逃げ切れない、追っかけても追っかけても手が届かない。そんな感じの夢見の悪い晩が続きました。 夢 元々人は毎晩夢を見ているんだけれど、目覚める・起きると忘れてしまう、思い出せないんだそうです。でもこのいく晩かの私は父と母が出てきたことをはっきり覚えています。父は224日の深夜というか25日の朝というにはまだ早い夜中に。翌25日の深夜には久しぶりに母が。 23日の夜に「去年の今日おとうちゃまが亡くなったんだよね」というようなことを話していました。ですからちょうど1年ということになりますか。このたびは兄弟と改めて連絡を取るでも何か集まりを持つとかもしませんでした。「こんなことでいいのかなぁ」という事を感じていましたので、それが潜在意識にあったでしょうか。 夢見が悪いという感覚の方は、寝ている時の姿勢や体感温度そして相変わらずの思い悩む事を反映してだったと思います。 このような理由付けや説明は、占い師から(わざと)あいまいな問いかけをされた時に、期待に副うような事柄で何か思い当たることを一生懸命思い出し答えるという展開にも思えます、考えてみました。

極個人的な話しを長々としてしまいました。夢は睡眠中の身体に対する様々な刺激をきっかけにして、(強く長く考えている事)関連する事柄 体験・経験が呼び起こされ絡み合いながら見ているのかなぁと思いました。 記憶 脳の仕組み 記憶“する”という事で、寝ている間に起きている時の事柄を取捨選択し整理し格納する(短期記憶と長期記憶として格納)という事ですので、その整理・再確認の過程で見ている、認識するのかなと思いました。 さまざまに研究されてきた夢に関すること。人は寝ている間に起きている時の様々な出来事・日中の経験・体験を反映して“夢”を見る。夢を見ることによって、その経験・体験は整理され記憶として残る、その一連の作業・過程が夢、夢の役割ではないかと。 普通は目覚めと共に洗い流されるように忘れてしまう“夢”、その過程 記憶するという工程を比較的覚えていたのは私の眠りの質が影響しているのかもしれません。目に見えるものだけでなく精霊を信じている人間ですし、タイミングもあるでしょうし、このところ思い悩む事が多いせいかもしれません。

2020年3月9日月曜日

僕いい事思いついちゃった! 唐突な 思い付きの提案で 日本国中大騒ぎ 2/2




228日 前夜突然安倍さんの口から出てきた全国一斉休校の話のおかげで生徒たちは悲惨でした。 全国一斉休校への対応で教師は朝から大忙し。授業は急きょLHRに差し替え。 休校となるので12年生の終業式は無し。卒業式は3年生とその保護者だけの出席、来賓は無し。当然12年生の出席も無し。 生徒も教師も保護者も、卒業・別れを受け入れる心の準備の間をいきなり奪われてしまいました。 週明け2日からの休校。もう2度とやってこない卒業式までの1週間、終業式までの3週間。 卒業したら、この学校・この場所にこの顔ぶれで同じように集まることはもう絶対ありません。 もう二度と訪れない残された日々、別れの時までの心の準備もなく突然の別れの時。うまく受け入れられるかどうか。この状況をどう受け止めるかは年齢 学年 個人差があるとは思いますが、生徒たちはすべてを突然奪われてしまったのです。 



3月に入ってからも安倍さんの思い付きに振り回され日本国中大混乱です。 4日には新型コロナウイルス・COVID-19に絡めて新型インフルエンザ等特別措置法そして緊急事態条項の話が出てきました。 7()には中国 韓国からの入国を制限する措置を9()からとることが発表されました。全国一斉休校によっての社会の混乱経済への影響はこれからじわじわ効いてくる形ですが、この入国制限は発表になるや否やすぐ関係各種から声が上がりました。何とか8日中に日本への帰国・入国をしておこうとする人たちでの混乱も生まれました。 

この入国制限措置による混乱と影響はどこまで大きくなりいつまで続くのでしょうか。 実はわからないのです。 この措置を取るに当たって、例えば新型コロナウイルス感染症対策専門家会議あるいはだれか専門家と相談したとかいうこともなく、科学的根拠に基づいて検討の結果出したというものでなく、なぜ今になってだったのか中国なのかあくまでも安倍首相の(思い付き?)政治的判断で出されたものだったことが明らかになっています。 感染の広がり 患者発生の推移 新型コロナウイルス・COVID-19に対しての医学的根拠 必要性に基づいて出されたものではない、つまりこれらの問題がどのように変わったらこの措置が取りやめになるかという 誰が見てもわかる根拠も目安もないのです。国と国とのことがこのように決められてしまうのはいけないと思います。

4日の特別特措法 緊急事態条項の方は根が深いのです。もとは自分の不手際が引き起こした今回の事を強引に関連付けて、安倍さん・自民党が繰り返し繰り返し画策している平和憲法の改悪に持っていこうとしているのです。 根拠も希薄なうえに混乱に乗じてという手段を弄して。 安倍さんの資質の問題ですね。

ところで。 「ここ12週間が  」と聞いてからもう週が変わったんですけど・・・

僕いい事思いついちゃった! 唐突な 思い付きの提案で 日本国中大騒ぎ 1/2




卒業式が終わりました。 安倍首相から唐突に出された全国の小・中・高・支援学校の一斉休校の要請によって大幅に縮小変更されましたが。

 それにしても、あまりにも突然の声明。そして、いつもながら具体的な話はありませんでしたので。声明発表の後様々に上がった疑義・意見表明。 実質一日でどう準備するのか、出るわ出るわ休校にすることによって発生する様々な問題が。挙句の果てに、政府内部・直接かかわる文部科学省にさえはかられていなかったという事まで明らかになる始末。 全国一斉休校が始まってから遅ればせながら報告された対応策。後手々々、遅いうえに問題を網羅していないし数字的にも不十分。安倍首相はこんなに様々なことが関連してるなんて想像もできなかったんでしょうね。「僕いい事思いついちゃった!」なんて、相談もよく考えもせず行っちゃたんじゃないでしょうか。

 
いかに突然だったか、継続性もなく唐突だったか、時系列でみてみましょう。

225()  「~ここ12週間が山場~」 専門家会議委員によるこの発言(雰囲気)にいつもとは違う危機感を感じました。明日発表になるという政府方針がどのようなものになるのだろうかと思わせました。 (新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の見解発表そのものは24) *専門家会議の場において全国一斉休校の検討はされていませんでした。

26() 安倍首相による声明は「イベント開催を2週間自粛するように要請する」というものでした。 聞いて気づいたのは、イベント開催を取りやめることによって生じる問題に対して政府はどのような対応をするのかについての具体的な話がないという事。  “自粛”と“要請” 要は「あなたが勝手に やめたんでしょ(自粛要請)。だから私には何の責任も保証する必要もありませんよね。」という事。 結局の所、いつもと同じ 具体的なことは無く 責任も取らない という事だと思いました。「政府は逃げてるよね」と発言をする人もいましたが、ほんとにそうだなと同感しました。 *この時点では全国一斉休校の事は盛り込まれていません。

27() 突然「32日から春休みまで全国の小中高支援学校の一斉休校を要請する。」という声明が出されました。 32日。今年はうるう年なので2月が1日多いとはいえ3日。間に土日が入るので休校準備は実質28日の1日だけ。それも、正式には明けて28日の朝以降になった文部科学省からの通知が出てから準備に着手という事になりましたから各自治体首長・教育委員会 各学校は大変な状況でした。 休校をどのように準備するのか、 想定している問題とそれへの対応についての言及はなく、声明を出すだけ 言いっぱなし。

 さすがにこれまでになく批判の声が上がり、小出しに対応策が出されましたが内容も項目も不十分そして後手々々。 そもそもそこまで考え相談もして出されたものでなかったというのが恐ろしい。(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議に諮る、アドバイスをもらうという段階は踏んでいないことが後で明らかになりました。)

29日 そんなこんなでに急きょ開かれた説明会は、36()で終わり。長ければいいというものではありませんが、今の国民の注目の高さを考えるとあまりに短いもの。運営も内容も悪かった。 最初に行われた安倍首相(自分が言いたいことを邪魔されずに話す)の説明に19分を費やしたのに、質問も回答も事前に準備された物を発言するだけの5人との質疑応答併せてわずか36分。 「質問があります」という会場からの声に聴く耳を持たず「時間になりましたので」と強引に打ち切られてしまうというものでした。 

 安倍さんの資質を思ってしまいます。