祖母から聴いていた日本で最初に作られた近代公園のうちの一つ白山公園について書いた繋がりということもあるのですが、・開港100年記念の展示に取り上げられた ・99歳で亡くなった父方の一番上のおばさんの除籍のために取り寄せた戸籍資料を目にしたということきっかけにして改めて「人が記憶する しているとはどういうことなのか」“一時忘れていた”ことを思い出し事実関係を確認 訂正しました。祖母と過ごした日々の事を思い出した事を感謝しています。
日々の生活の中での経験
体験の記録は、もちろんすべての人がしているわけではありませんが書き留めたる事は特別にまれな事でもないと思います。 これは、悪意のある記録ということもあることなので検証を忘れないようにしなければいけませんが、後々の調査で探し出すことができるものになります。文化人類学的アプローチで調べることもあるでしょう。同時的に調査したり、のちに集団・地域・時代の記録を広く集め把握するということもあります。 これら外部に記録
残されているものは調査の一環として目録も作成可能。 でもそうした“外部に取り出され保存されたものではなく”個人の頭の中にあるままの状態の記憶(記録)はそのまま個人の頭の内にある状態では、ほかの人が必要な時に自由に取り出して利用
検討できません。本人も思い出せない・引き出せない、記憶していること自体を覚えていないということもあります。
記憶 情報を記録する保存する際 計量的に整理 表せるものもありますが、思い 気持ち 感情レベルとまでなるとその方法
手段は芸術領域の方がより対応できるのかなぁと思っています。 その後も継続しているのでしょうか? ストレージの容量アップ コスト低下によって、四六時中のすべてを映像記録している人の事を紹介している記事を見たことがありますが、恐ろしい情報量だろうなぁと思った覚えがあります。 ただし“すべて”といっても それでも人の“心”思い気持ち感情までは記録しきれないわけですし、改めて人の記憶容量は ほんとに恐ろしいくらいに素晴らしいと思います。 この“記憶容量”ということで言うと人間から見ての外部記憶容量だけでなく、人の五感
第六感 経験 体験 知識 思い と多様でものすごい量になると思います。 となるとデータの取得と浄化というのでしょうか、どの情報を残しどの情報を捨てるかが必要不可避になってくるわけです。この捨てるという行為を人間の場合で言うと“忘れる”ということになるのでしょうか。 どの情報を残しどの情報を捨てるか、その過程を短期記憶を整理して長期記憶に置き換える
このところの流れで言うと夢を見ている状態というのかなと思っています。
0 件のコメント:
コメントを投稿