2014年12月4日木曜日

新キ兵11月例会     本当に正しいことは


新キ兵11月例会は、92歳になるクリスチャンの方による戦争体験、そして参加者による意見交流の場となりました。

当日の運営についてはもう一工夫あってもよかったという感想です。 今となっては結果論になってしまいますが、年齢による違いは個人差が大きいものの、当日お話をしてくれる方が高齢であちらこちらに話が飛ぶ、話しているうちに別のことを思い出して口にするということを知っている方が運営側に加わっていたんであれば、事前にどういう話・進め方・どういう風に持っていきたいかを打ち合わせておくべきだと思いました。その結果、必要に応じて補足説明の準備もしておくべきだったと思いました。(事前準備、打ち合わせはしていたのかもしれませんが。) 
いずれにせよ、戦後70年がたち自分の体験として話すことができる人がどんどん少なくなってきています。 今後実際の体験者の話が一層聴けなくなっていくわけで、今日のような貴重な機会、いかに多くの人に聞いてもらうようにするかもだいじになっていますね。
あと、こういう集まりをどう運営していくか、そして聞いた人たちがどうするかの一工夫が一段と大切ですね。

 

当日のやり取りの中で思っていたことを記します。

・私のこれまでの体験や見聞きしてきたことから言って、「声の大きい人」の主張が通るというようなことはなくしたい、ということを思っていました。

・以前 ひたしくしている人から、戦前・開戦前に時の帝国日本が国際連盟・諸外国から様々な締め付けを受けたからあの時は「戦争するしかなかったんだ」と言われてどうにもならなくなった体験があります。 私がいくら説明をしても、あの時中国に帝国日本の軍隊はいたけれど日本に中国の軍隊はいなかったということを話しても。説明で腑に落ちるという“思い”の段階ではないんです。
でも、当日新キ兵例会に参加していた人たちには、戦争前確かに諸外国から時の帝国日本に対する締め付けがあった、だからと言ってそれで「戦争するのは仕方なかったんだ」という風にはしてはいけない。実際に締め付け・圧力はあった、でも「なぜそうされなければならなかったのか」そして、だからと言って戦争をしてもいいということにはならない、それとこれは別、戦争するかどうか・人殺しするかどうかは別、正当化はできないということを思っていてほしいと話させてもらいました。

2014年12月2日火曜日

いよいよ冬到来 成長した子供たち  若木は嵐に育つ


雪下ろしでしょうか、真上ですごい雷鳴が響いていくださいます。週間予報によると半ば以降に雪だるまが並んでいます、いよいよ雪 冬タイヤの季節です。

タイヤ交換。天気のいい穏やかな日曜は家の中でこまごまことをしていて、わざわざ雨風で大荒れの月曜日 冷たい風に吹かれながらタイヤ交換しました。何おやってるんだか。

 この雨風の強さ、見てください頭が重くなっていて冬を前に少し気にしていたミモザが幹から折れてしまうほど、すごいでしょう。

 

今日(火曜)もすごい雨風。その雨風の中小学校の映画クラブに行ってきました。
卒業する子もいるので、このメンバーでというのは私にとっても子どもにとっても今日が最後になります。完成版(本編に クラブの模様 先日のインタビュー映像を追加したもの)を視聴しました。

子どもたちはこの半年で随分成長しました。一つの作品、それも自分でも納得する出来で作り上げたという自信が見て取れました。
適切なタイミングで適切なアドバイスをすれば子どもはぐいぐい伸びていくんだとほんとに実感します。

2014年12月1日月曜日

12月1日は世界エイズデー


12月1日 今日は世界エイズデー

WH0によって1988年に制定された日だそうです。エイズのことはそれ以前から知っていましたけれど、12月1日がエイズデーというのを知ったのは10年ちょっと前のことになります。新潟の下町と言われる地域のある小さな事業所を訪問、そこで壁に飾ってある幾枚もの写真を目にして聞いたことがそのきっかけでした。趣味を生かしてこれらの写真をチャリティに出品、エイズ(デー)の活動にカンパしているのだ等。いろんなところでいろんな人がいろんな形でかかわっているんだなぁと思いました。

自分のいるところで自分のできることをやる 
                    ですね。

 

話変わって

何年続いてきたのかなぁ。毎月劇場に足を運ぶと決めて、ぎりぎり一本であろうとも毎月途切れずに劇場で映画を観ていたの。11月にとうとう途切れてしまいました。

観たい作品がなかったわけではありません。前半の方に3本ほど観たいなぁという作品があったんですが、沖縄に行ったり、帰って来てからも体調を悪くしたり舞台の練習があったりでどうしてもいけなかったんです。残り数日になった時、もう選ばずに何でもいいか!とも思ったんですけど、その程度の気持ちでわざわざ出かけていくのもなぁと弱気になってしまったというわけです。もったいない気持ちもしますけど仕方がありませんね。

 外へ出るのが億劫になってしまいました 出不精≒デブ症になってしまいました

2014年11月30日日曜日

10-9-16 日本バプテスト連盟理事会声明 「韓国強制併合」100年の悔い改め


その一団を見かけた時どういうグループなのかと思い声をかけたら日本バプティスト教会の-「韓国強制併合」100年 歴史を心に刻む旅- のみなさんでした。 入場料の案内で日本語のプレートがわざわざ掲示されていたくらいですから、楽しい観光地とは言えないここにも思っている以上に日本の人たちの来館者が訪れているのだと思います。それでも日本のそれもクリスチャンの人たちとここで一緒になるとは思ってもみませんでした。
その一行の責任者・牧師?の方から貴重な資料をいただきました。結構具体的に踏み込んだ内容で大事なものだと思いますのでここにその要旨を紹介します。

 

2010年7月14日付 日本バプティスト連盟理事会声明

 「韓国強制併合」100年の悔い改め(韓国連盟諸教会の皆様に向けて)

・~私たちは、自らの言葉で告白することを重んじてきたバプテストとして、今この時、歩んできた歴史を振り返り、その過ちを悔い改め、許しを求めるとともに、未来を拓くための決意を表します。

・1910年8月の韓国併合は、朝鮮半島への侵略と植民地支配以外の何ものでもありません。~その時、私たち日本のキリスト者は、その併合を祝い、歓迎したのです。 ~日本は、土地を奪い、食料を奪い、言葉を奪い、名前を奪い、性を奪い、尊厳を奪い、信仰を奪い、生命と文化を破壊しつくしました。それらの侵略行為の前に立ちはだかることをせず、主告白を歪め、福音の証を曲げ、隣人たちの血と涙と死を生み出すことに加担してしまったわたしたち日本のキリスト者の罪とあやまちを、今、心より悔い改めます。

・~敗戦後、わたしたちは、この悔い改めを持って新たな歩みを始めるべきでした。しかし「古い人を脱ぎ捨て」ることができませんでした。 

・~日本社会には、誤った歴史認識や、在日韓国・朝鮮人への差別や偏見が、今なお残っています。そして、日本のキリスト教会の中にも、それを払しょくできていない現実があります。この現実を克服する闘いは、これからもわたしたちの重大な宣教課題です。~

 

 

 

A4の紙に細かい字でぎっしり、結構具体的な事柄にまで踏み込んだ内容そして決意表明になっている立派なものだと思います。これだけ踏み込んだ内容の理事会声明ですから、当然ここに至るまでに長い時間をかけてみなさんで考えてのことだと思います。ただし、ここ韓国の地でだからなおのことだったのでしょうハングル語も併記され -韓国の諸教会・皆様に向けて- となっているものと同様のものが、日本においては -日本の教会そして日本のキリスト者の皆様に向けて- という形で出されていますように。

私 は・・・


「これで3つそろいましたね」研修終了式の時、担当の人が私にわざわざ声をかけてくれました。 3つとは夏前の同行援護従事者、そしてこのたびの移動支援・全身性と移動支援・知的精神のこと。
研修はなかなかハードでした。丸々14日ではありませんが、2週にわたる日程で朝9時から夕方の6時ころまでびっしりの研修内容。実習も大変でした。まあ 視力に障害があったり体が不自由だったりする人の支援中に何かあったら最悪の場合人の命にかかわってくることですから当然と言えば当然のことでもありますけれど。

もともとは社会福祉の方だったのに、縁でずっと医療畑で働かせてもらっていました。それもあって最後まで一種の疎外感を払拭しきれませんでした。私の方にももちろん問題があったと思っていますが、せっかく持っている資格を生かし切ることができませんでした。そんなこともあって、今度こそは社会福祉の方で仕事ができたらという思いもありました。いまだ何の進展もありませんけれど。 
 

さて本題

夏前の同行援護の時もそうでしたけどこのたびの移動支援研修の時も、すごく高ぶっているなぁと感じていました。 この人すごく慣れてるなぁ、いつも明るくだれにでも声をかけてひたしくなる人 積極的な人だなぁ、何でも知っている人だなぁ、すでにいろいろやっている人だなぁ、等々と思われていたと思います。
でも、実は私不特定多数の所・場はどうも苦手、落ち着かないんです。例えば人ごみ・お祭りの屋台が立ち並ぶ人ごみとか。 でもここにいるのはどういう人かわかる、同じことを思っている人 同じ目的で来ている人というのがわかる人達だとすると、このたびの研修の時のように初めてと思えないくらいに声もかけられるし振る舞えるのです。研修の内容は、新しいことを知るときの喜びにあふれていましたし。
そうかそうでないかの差結構大きいんですよ。 

 自分はどういう人間なのか? そのことに集中して考えていた時・わけではないのにひょんな時・所で思ってしまいました。
プラス3.11をはじめ中越・中越沖地震などの支援活動の時のように、非日常(場・状況)だとすごく動ける、頭が回るというタイプだと気づいています。 

2014年11月27日木曜日

劇団 A 公演終わりました


8月頃だったか「今考えている舞台に出てもらえないだろうか」と声をかけてもらっての 久しぶりの舞台らしい舞台公演終わりました。

いやぁ~今回は今までで一番きつかった。9月下旬に一稿をもらって、その後私の方が、子どもたちとの映画製作 10月後半は移動支援の研修、11月に入って沖縄に出かけてずうっと忙しかったのです。おまけに、27度の沖縄から帰って来た新潟は11度。その気温差実に16度、飛行機直行便で2時間ちょっとで激変プラス出かける前に封を切っていたものが傷んでいたのか悪寒 腹痛で4日ほど寝込んでしまいほんとに練習ができなかったのです。

おまけに、このところの生活リズムをいきなり変えて当日早起きしたもんだから頭がボーっとしてすごくきつかった、大変でした。そんなこんなで午前の通しと、午後のみ2回公演の一回目の方はもうボロボロ。

それなのにアンケートが意外なほど好評だったのでビッツクリ。これはストーリー・盛り込まれたテーマ・ネタのせいかなぁ。

話、8月最初に聴いたときは、東京・実家を離れて大きな町に出ていた娘が就職ニートとなって今家に閉じこもっている、そしてその家族というようなことを聞かせてもらいました。その後出来上がってきた台本ではプラスして、家族のことを思いながらも妻に任せっぱなしの夫・父親、認知症の入ってきた母親その介護を抱えた専業主婦。 そこへ3.11で大きく深い傷を負って戻ってきた娘が加わる。年寄りには動物がいいそうだと後先考えずに犬を買ってきた父親。予期できないことが起こり始める。母親は母親で一生懸命なんだけど、その思いがうまく回らない。そんなせっぱつまった気持ちの時に目にしたボランティア募集の案内。3.11被災地のボランティア活動で家を出た母親を追って来た父親、ペットとのかかわりの中で自分が本当に好きな事を見つけだし歩き出す娘、3.11で深く傷を負い且つ再開した知り合いたちとのかかわりの中で自身を見直す娘。

これらのテーマかなぁ。 誰か一人とか一つの家庭がモデルというわけではないんだけど、ニートのこと閉じこもりをしている家族を抱えている家庭、夫婦 介護のことなどがちりばめてあったので、そのどこかに重ね合わせた人が大勢いたのかなぁ。

3.11 
3.11は人々にとってそれだけの衝撃を与えることだったんですよ。 最初に声をかけてもらった時まさかこんな話しになるとは予想だにしていなかったのにこのようになるとは。何かの縁を感じます。

 でも改めて思いましたけど、劇団ごとにほんとにスタイルが違うものですねぇ。
 日常を自然な演技でというのではなく 舞台の上で俳優どうし・役どうしで関係性を豊かにして一つの空間を作りそれを見てもらうというのではなく、このたびのは体を観客のほうに開いて大きな声で台詞を言う。まさに演技してるって感じです。でもまぁこちらのほうが多数なんだろうなぁと思いますけど。
 

 打ち上げ、ごちそうを食べてたくさん話をして楽しいひと時でした。会場となったMAMMAは前から行きたかったところ。  たくさん話した中で年齢の行った俳優が若い人を演じる方が、若い人が年寄りを演じるのよりもそれらしくやれると思うよというような講釈をしました。

ちなみに、服装・仕草・物、年齢が行ったから似合うようになるということがあると思っています。