2014年12月5日金曜日

10-9-16 日本軍「慰安婦」歴史館



入口
 日本軍「慰安婦」歴史館 は、世界に3つある・日本軍慰安婦・戦時性暴力に特化した資料館の中で一番最初・1998年に作られたもの。(3つとは ・ナヌムの家の日本軍「慰安婦」歴史館 ・東京早稲田 女たちの戦争と平和資料館 ・ 中国上海 慰安婦資料館)

入口と出口にあるショッキングな作品はイム・オクサンさんによる「誰がこの人たちに…」と題するもの。二つのうち特に入口側の作品は、女の人が銃剣で突き刺されているものなのでなおさらです。
 
 
出口
 
建物は、催しもできる広場を挟んで一部2階建ての入口側と出口側の二棟。それが広場下の地下部分によって繋がれている構造になっています。
内部は・証言の場 ・体験の場 ・記録の場 ・告発の場 に分かれています。
部屋ごと・展示されている物事に違えてありますが、全体としては抑えた暗めの照明。
そこに、性奴隷(日本=従軍慰安婦)の方たちが描いた絵や貴重な資料が展示してありました。天安・独立記念館に行った時もそう思いましたけど、本当によく資料を収集していると感心します。
 

慰霊の場



たまたま手に入れた冊子によると、2009年に韓国内全11か所の 歴史的なもの 民族的なものから現代・前衛的な作品を扱った美術館や美術・ワークショップの取り組みが乗っている図録にここナヌムの家の日本軍「慰安婦」歴史館が同列に乗っていました。韓国では、日本でふつうにイメージしてしまう扱いではないように感じました。

日本の民主主義を危うくする行為


沖縄は今ひどいことになっています。先日選挙で落選、再選できなかった仲井真知事が沖縄防衛局から県に申請された辺野古の埋め立て計画変更を認めるかもしれないというのです。 もう実質“前”と言ってもいい仲井真現知事。確かにあと数日・9日までは知事の任期ではあるけれど、10万という大差で落選したわけだから沖縄の人たちの考えは明確なのに、それまでの間に承認してしまおうかというのです。つくづく基地建設を考えている人たちはなりふり構わずだなぁと感じます。

辺野古新基地建設を許してはならない。けれど、それ以上にこんなことばかり繰り返していると、日本の民主主義の制度そして状態をいつかおかしくしてしまうと危惧しています。 

同様のことが今原発再稼働を巡っても起こっています。 
 

“やもう得ない” 11月に鹿児島県の伊藤知事が九州電力・川内原発再稼働同意した時に、その口から発せられた言葉。

一体どういうつもりでこんなことを口に出せるのだろう。福島の原発事故を忘れたとでもいうのだろうか、福島の人たちが置かれている現状・困難さ、原発・放射能のせいでいまだ復興はおろか復旧さえしていないのを知らないとでもいうのだろうか。

原発安全神話がまかり通っていた時、原発推進・電力会社の人たちでさえいつの間にか100%安全とは口にしなくなり。99.9のあとに幾つついたか思い出せないくらい9を並べて、だから・それくらい安全なんですと言っていました。 でもいくら確率は低くても、可能性があるものはいつか必ず事故があり、そうなったら原発・放射能の場合は人の手に負えないとてつもない被害を及ぼすのは知識だけでなく福島の現状を見れば間違いのないことなのに。

 ましてや、福島の後原発事故の際の避難計画を立てなければいけない範囲を半径30㎞に広げたその口で「再稼働に同意を求めるのは影響が及ぶと自ら認めたその範囲の自治体・住民すべてにではなく事故前と同じ原発立地自治体だけでいい」とするなんて普通に考えればおかしいと思うだろう。一体頭のどこをたたけばこのような考えが出てくるのだろう、普通の市井の人では成り立たない話の展開としか言いようがありません。

今、日本の7割以上実に8割近くの人が鹿児島県民の約6割の人が原発再稼働に異を唱えている、ということを最後に書き添えておきます。

2014年12月4日木曜日

キベラの火災で思い起こしたこと


大変なことになりました。キベラで12月2日火災が発生し、マゴソスクールにまで延焼。焼け出された人も多く、火災による被害を食い止めようと駆けつけてくれた人もいれば混乱に乗じてマゴソの物品を持ち出す人もいたそうです。

この惨事を伝えてくれた永松さんのコメント 

~人々はいたって淡々としていたということ。しかも家族を亡くした遺族も。  これを聞いて思ったのは、スラムって日常的に不条理なことが身近に起こるところ。諦めなきゃならないことが日ごろから山ほどある。悔やんでいる時間がない、災難になれてしまっているのだな・・・と。~  

を目にして私は「とうほぐまづりオールスターズ」の白崎映美さんのことを思い出しました。あるインタビュー記事でこんなことを言っているのです。 

~「福島のじっちゃんが、テレビの取材のマイクを向けられて『大丈夫です』と泣いていました。我慢強いんです。私はテレビを見ながら泣いていました。いま、何も解決していないのに、被災が少しづつ過去になり、忘れ去られつつある。自分は、何をやればいいのか悩んでいました。」~  と。

情景が目に浮かび、少し泣いてしまいました。

 

以下早川千晶さんの文章を転載します。祈りましょう。
 

本日12月2日の正午、キベラスラムで火災が発生しました。
マゴソスクールから少し離れた建物の電気配線から火が出てそれが引火して広がり、あっという間にその地域一体の長屋がいくつも焼けました。
マゴソスクールは図書室側の壁から火が燃え移り、図書室とコンピューター室の壁が焼け落ちました。
長屋が燃えていく中、できるだけの家財道具を運び出そうとする人々が、マゴソスクールの敷地内に流れ込んできました。
その人々を避難させていく一方で、混乱に便乗して盗みに入る人々がなだれ込み、マゴソスクールは食糧、コンピューターなど、多くの重要な物品を盗まれました。
その一方で、マゴソスクールのために助けに駆けつけ、懸命に消火や物品をレスキューすることを手助けしてくれた人々が大勢いました。
その中で、私たちの大切な仲間、私の長年の友人であるジョージ・オケッチが亡くなりました。彼はこれまでマゴソスクールが出してきた3枚のCDのすべてのレコーディングに参加し手助けをしてくれたミュージシャンであり、マシモニ・ユースグループのメンバーです。
そしてマゴソスクールの度重なる建設をこれまですべて手助けしてきてくれた大工でもあり、また、マゴソの生徒の父親でもあります。
3人の幼い子どもとまだ年若い奥さんを残して逝ってしまいました。彼はマゴソの緊急事態に最前線で動き回ってくれましたが、その直後に突然倒れ、そのまま息を引き取りました。
フリーダさんの診療所に横たわる彼は、まるで寝ているように見えて、とてもきれいな顔で、とてもおだやかな表情でした。胸がつぶれそうでした。リリアンと抱き合って大声をあげて私たちは泣きました。リリアンは相当パニックになっていましたが、でもひとしきり泣いて正気を取り戻しました。とにかく子どもたちの安全を、そして焼け出された多くの近所の人々のために緊急にできることを、全力あげてやっていきます。
マゴソOBOGたちを集めて、力を合わせて必要な手助けを総力あげてやっていくように話しました。呆然としている暇もないので、みんなで気合を入れました。
現在、マゴソスクール内には周辺の焼け出された人々が大勢避難しています。
正確な数はまだわかりませんが、現段階で避難してきた人たちは300世帯ほどもいるかとリリアンのご主人が言っていました。
ほとんどすべてを焼かれてしまい失った人々です。当面すぐに必要な食料を買うように手配しました。これから緊急援助をすぐに動いていきます。
給食のお母さんであるママアギーの家も全焼、そして、トニーの家も全焼でした。
すべて焼けた家の前でたたずんでいたアグネスと弟のトムに声をかけたら、すぐにアグネスが「大丈夫だ」と力強く答えました。
今回の火事を経験して、スラムの生活がいかに不安定で様々な危険にさらされているかを痛感しました。
スラムの火事が一気に火が回るという話は前々から聞いていたけれども、まさかこのようなとんでもないスピードだとは想像を超えていました。
いま貧困層がますます増え続け、キベラスラムは平屋ではまかないきれず、二階建て、中には三階建ての長屋まで出てきており、さらに人口密集度が高くなって様々な危険度があがっています。貧困ゆえに安全性が十分ではない煮炊きのための燃料や灯りの方法を使っています。
でもだからといって、ここ以外にいったいどこに行けばいいと言うのでしょう。彼らは生きるためにスラムにやってきて、生きるために様々な工夫を駆使してここで生き抜いています。
その人々が、こうしてあっけなく家族を失い、家を失っても、ただあきらめなければならない、何があってもまたゼロからマイナスから立ち上がって黙々と生きていく様子をいつも見ていて、彼らの人生がもっと楽になって欲しい、もっと報われて欲しいと思わずにはいられません。
そのためには何ができるのでしょうか。次の時代を担う若者たち、子どもたちに、様々な学びの機会を提供していって、意識の根底から変革していくしかないと、そう思っています。
かけがえのない仲間であるオケッチを失い、警備員のオティエノさんが大きくやけどを負ってしまいましたが、マゴソスクールの教員、職員、子どもたちは無事です。
皆様いつも温かい応援をありがとうございます。このようなことがありましたが私たちマゴソスクールは皆で力を合わせて励まし合って、困難をみんなで乗り越えていきたいと思います。これからもどうかよろしくお願いいたします。
早川千晶

新キ兵11月例会     本当に正しいことは


新キ兵11月例会は、92歳になるクリスチャンの方による戦争体験、そして参加者による意見交流の場となりました。

当日の運営についてはもう一工夫あってもよかったという感想です。 今となっては結果論になってしまいますが、年齢による違いは個人差が大きいものの、当日お話をしてくれる方が高齢であちらこちらに話が飛ぶ、話しているうちに別のことを思い出して口にするということを知っている方が運営側に加わっていたんであれば、事前にどういう話・進め方・どういう風に持っていきたいかを打ち合わせておくべきだと思いました。その結果、必要に応じて補足説明の準備もしておくべきだったと思いました。(事前準備、打ち合わせはしていたのかもしれませんが。) 
いずれにせよ、戦後70年がたち自分の体験として話すことができる人がどんどん少なくなってきています。 今後実際の体験者の話が一層聴けなくなっていくわけで、今日のような貴重な機会、いかに多くの人に聞いてもらうようにするかもだいじになっていますね。
あと、こういう集まりをどう運営していくか、そして聞いた人たちがどうするかの一工夫が一段と大切ですね。

 

当日のやり取りの中で思っていたことを記します。

・私のこれまでの体験や見聞きしてきたことから言って、「声の大きい人」の主張が通るというようなことはなくしたい、ということを思っていました。

・以前 ひたしくしている人から、戦前・開戦前に時の帝国日本が国際連盟・諸外国から様々な締め付けを受けたからあの時は「戦争するしかなかったんだ」と言われてどうにもならなくなった体験があります。 私がいくら説明をしても、あの時中国に帝国日本の軍隊はいたけれど日本に中国の軍隊はいなかったということを話しても。説明で腑に落ちるという“思い”の段階ではないんです。
でも、当日新キ兵例会に参加していた人たちには、戦争前確かに諸外国から時の帝国日本に対する締め付けがあった、だからと言ってそれで「戦争するのは仕方なかったんだ」という風にはしてはいけない。実際に締め付け・圧力はあった、でも「なぜそうされなければならなかったのか」そして、だからと言って戦争をしてもいいということにはならない、それとこれは別、戦争するかどうか・人殺しするかどうかは別、正当化はできないということを思っていてほしいと話させてもらいました。

2014年12月2日火曜日

いよいよ冬到来 成長した子供たち  若木は嵐に育つ


雪下ろしでしょうか、真上ですごい雷鳴が響いていくださいます。週間予報によると半ば以降に雪だるまが並んでいます、いよいよ雪 冬タイヤの季節です。

タイヤ交換。天気のいい穏やかな日曜は家の中でこまごまことをしていて、わざわざ雨風で大荒れの月曜日 冷たい風に吹かれながらタイヤ交換しました。何おやってるんだか。

 この雨風の強さ、見てください頭が重くなっていて冬を前に少し気にしていたミモザが幹から折れてしまうほど、すごいでしょう。

 

今日(火曜)もすごい雨風。その雨風の中小学校の映画クラブに行ってきました。
卒業する子もいるので、このメンバーでというのは私にとっても子どもにとっても今日が最後になります。完成版(本編に クラブの模様 先日のインタビュー映像を追加したもの)を視聴しました。

子どもたちはこの半年で随分成長しました。一つの作品、それも自分でも納得する出来で作り上げたという自信が見て取れました。
適切なタイミングで適切なアドバイスをすれば子どもはぐいぐい伸びていくんだとほんとに実感します。

2014年12月1日月曜日

12月1日は世界エイズデー


12月1日 今日は世界エイズデー

WH0によって1988年に制定された日だそうです。エイズのことはそれ以前から知っていましたけれど、12月1日がエイズデーというのを知ったのは10年ちょっと前のことになります。新潟の下町と言われる地域のある小さな事業所を訪問、そこで壁に飾ってある幾枚もの写真を目にして聞いたことがそのきっかけでした。趣味を生かしてこれらの写真をチャリティに出品、エイズ(デー)の活動にカンパしているのだ等。いろんなところでいろんな人がいろんな形でかかわっているんだなぁと思いました。

自分のいるところで自分のできることをやる 
                    ですね。

 

話変わって

何年続いてきたのかなぁ。毎月劇場に足を運ぶと決めて、ぎりぎり一本であろうとも毎月途切れずに劇場で映画を観ていたの。11月にとうとう途切れてしまいました。

観たい作品がなかったわけではありません。前半の方に3本ほど観たいなぁという作品があったんですが、沖縄に行ったり、帰って来てからも体調を悪くしたり舞台の練習があったりでどうしてもいけなかったんです。残り数日になった時、もう選ばずに何でもいいか!とも思ったんですけど、その程度の気持ちでわざわざ出かけていくのもなぁと弱気になってしまったというわけです。もったいない気持ちもしますけど仕方がありませんね。

 外へ出るのが億劫になってしまいました 出不精≒デブ症になってしまいました