2015年9月7日月曜日

表現するとき 3題


最近、別の時別の場所(紙面)で別の人が口にした言葉が私の中で一つに結びつく思いのことがあったので記しておきます。別の人と言っても 脚本家 フルート奏者 劇団四季の団員(俳優・ダンサー・演出)とそれぞれ“表現者”という共通点はあるので言い表し方(直接の文言)はそれぞれにとはいっても通ずる所があるのでしょうね。

 *以下、何れも一つの文章の中・流れの中で出てきたものなのでわかりやすくするために意味・言いたいことを変えないように注意しながら形を変えました。うまく伝わりますように。

 

脚本家のジェームス・三木 
 「ドラマとは 人間の動物的本能とそれを規制する様々なものとのせめぎあいを描くもの」

 
フルート奏者 榊原麻理子
「留学先で教わった先生方の教え方の共通点は、自分の音楽をフルートでどう表現するか。」
 
「演奏家は、作曲家がその曲で言いたいことを楽譜を通して何を言いたいか理解しなきゃいけない。けれど、お客様に演奏を聞かせる段階になったらそれを自分らしくどう表現するかが必要。」

「練習しすぎたら疲れちゃうじゃない。おいしいものを食べて、映画でも見なさい。フランスの先生は、自分の心や体を大切にして音楽を表現するべきだとおっしゃいます。」

 

劇団四季の団員(俳優・ダンサー・演出) 加藤敬二
新しい演目・クレイジーフォーユーの研修のため訪れたニューヨークで
振付師 スーザン・ストローマン
「踊らないでいい。アクトして。お客様はあなたのテクニックを見に来たわけではない。あなたの動きから、そこにはいない恋人の面影が浮かび上がらないとダメ。彼女を思うハートを演じて。」

2015年9月1日火曜日

ことしの防災の日は少し趣が違いました


  9月1日は大正12年の関東大震災を教訓にということでの防災の日。だから毎年防災訓練などが取り組まれています。けれど今年の91日は、ここしばらくみんなの耳目を集めている、新学期が始まるということでの9月1日(正確には各地域学校によって始業日はばらつきがある)は子どもの自殺が多いという注意喚起でした。その主たる原因は“いじめ”であるという悲劇的な現実。
  実際データを突きつけられると、9月1日を中心とする数日間というのは注意しなければいけないということがよくわかります。いろんなメディアでいろんな切り口でこのことが扱われていましたが、その中で私の印象に残った提言のそのまた核心と思えるところを抜粋します。

  以下 臨床心理士の横湯園子のお話から。(抜粋。 趣旨は替えませんが文のつながり等わかりやすいよう一部削除修文させてもらいました。)

・いじめの段階  孤立化 無力化 透明化  精神科医・中井久夫

孤立化 SOSを発するのは初めのころだけ。

無力化 いじめの被害者は繰り返されるいじめに、次第に自分が悪いとあきらめSOS・助けてと声を出すことも卑怯だと思うように追い詰められていく。

透明化 次にいじめは特別なことではなく、日常風景になってしまう。

・「けんか」は対等だけれど「いじめ」は一方的な暴力。

・加害者から制裁を受けることの無いように、いじめを見つけたら「どうしたの?」の声をかける。秘密厳守が基本。話す場所に配慮する。

・本人が願っているようにする。「何をしたらいい?」「教えて?」など。

・生きていれば再出発ができる。「いやだったら、学校を休んでもいい。」と声をかける。

・「大丈夫」と返事をしても本当は大丈夫ではないかもしれない。表情や書いている字の変化を見落とさない。

2015年8月30日日曜日

4日と6日(2015年8月の)


 
84日は住民投票(1996)の日。
私は海に居ました。海に入りながら角田の山を望みました。ここから十数キロのあの山裾に原発が作られようとしていたんだなぁと改めて思い起こしました。今打ち寄せる波は角田の方から新潟方向へ斜めに寄せています。空の雲は西の角田方向から流れてきています。

 

86日。(非人道兵器原爆が6日ヒロシマ9日ナガサキに投下された)
私は“核兵器と戦争のない平和な世界へ”2015ピースアクションin NIIGATAに参加していました。

今年の催し・講演は5年ごとに国連の場を舞台に開催されているNPT(核兵器不拡散条約)再検討会議に参加した人の報告でした。
どのようにそしてどの位掘り下げて伝えられるかということは様々。でも運動の広がりとともに色々な切り口があった方が好いのは誰しも異論のないところ。
今回私の印象に残ったのはNPT開催期間中さまざまに行われた取組の一つでのやり取りの模様。被爆者の証言も含めて原爆の惨禍を報告した後の質疑応答の場面で「原爆・核兵器をなくせと言っているけれど、日本には原発があるままじゃないか。」という趣旨の話が出たんだそうです。その時は間に入っていた通訳の人が冷静に「原発があるのは確かにその通りだがこの場ではまず核兵器をなくそうという話をしましょう」という趣旨のことを言ったんだそうです。
こういう言い方は昔からありました。そんな風に言われるとまじめに一生懸命やっている人ほど傷ついてしまうんですよね。明らかにおかしいときなど、会場の混乱を覚悟の上で手を上げなければならない時もあるでしょう。きっと発言した人も運動自体を非難 否定したわけじゃあないと思うんだけど、結果として水を差すことになってしまいますよねぇ。
当日の話では触れられていなかったとしても、テーマに合わせて報告内容を検討してきたんだろうし決してその問題を忘れていたわけではないかもしれないのに。
非人道的兵器である核兵器をなくそうという同じ思いで集っている人同志のはずなんだから、否定しているととられるような打撃的な言い方にならないよう気を付けなければと思います。“他山の石”とします。

 

ただここ新潟での平和集会の資料に目を通すと、今年も原発に関しての意思表示がないことに物足りなさを感じます。薩摩川内市の川内原発再稼働が大きな関心事になっているときでしたから。

2015年8月28日金曜日

「食べるものは今日食べて、言うことは明日言え。」


千葉に住むNAさん。昭和19(1944)、自分が小学校2年のとき父が戦死してから必死に自分と弟と妹を抱えて生きてきた母親の言葉を紹介していました。

「食べるものは今日食べて、言うことは明日言え。」

必死に生き抜くため、明日も食べるものがある保証がないなく今日食べられるものがあるなら今日食べておこう。言い返したい時、一晩おいて冷静になってそれでもまだ言いたかったらその時は口にしよう。人生、弱い立場で生きていくときの知恵でしょうか。
この言葉、現在78歳になったNAさん自身これまでの人生で自分に何度も言い聞かせてきた言葉だったのでしょうが、その頃のお母さんにとってはまさに子どもに言うとともに幾度も幾度も自分に言い聞かせてきた言葉なんでしょうね。
戦中・戦後、女手一つで三人の子どもを育てる。決して楽ではなかっただろう生活、そして人生。 育ちざかり食べ盛りの子どもを抱えて明日を考えられない日々だったでしょう。理不尽な扱いに憤りを覚えることもたくさんあったでしょう。そんな時、言い返したくてもぐっと我慢して明日になったら言い返そうと自分に言い聞かせて乗り越えてきたんでしょうね。そして、とにかく食べる物にことかいた戦中・戦後、三人の子どもを抱えてよく乗りきってきたと思うと切なくなりました。 

 私の生まれる前、戦争で夫を亡くしまだ小さかった従兄を連れて実家に帰ってきたおばさん。その後実家に小さい子を残して隣の県で住み込みで働くようになったおばさん。私が中学くらいの時に従兄と一緒に泊まりに行った時「怒りが爆発しそうになった時自分あてに手紙を書く。実際かいているうちに落ち着いてくる。でも時には書き終わってもまだ気持ちの落ち着かないおさまらない時もある。そんな時はその手紙を自分あてに投函し配達されたら読み返してみる。」
その日何でそんな話になったのかは覚えていないけど、辛さ悔しさを話す相手のいない人生を生きるしかなかったおばさんの生きる知恵だったんだと思っています。 

どんな生活を送ってきたのかどんな思いで子どもを育てていたのか。 戦争は多くの女性の人生を家族の生活を壊してきたんだなぁと改めて思いました。

2015年8月26日水曜日

アベノミクス と 自己責任論 が 命を奪う


 日本()は未だ人権意識が低い と痛感させられる出来事が後を絶たないと思っている私ですが、どこの国だったか失念してしまったけど水道使用料金未払いの人への水()供給停止を人権問題だとして行政を訴えたという話を耳()にした時は正直びっくりしました。 
 

 死後何日もたってから見つかる幼い子を抱えた母親。それも最もつらいと言われる餓死で。「ちゃんとたべさせてあげられなくごめんね」などという手紙が残されていたなどと知るといちだんとせつなくなります。
 助けて!と声を上げられなかったのか?と母親のことを全く思わないと言ったらうそになるけれど、以前配属になっていた職場 つまり私の身近な所でもすでにそのようなことが起こっていたことを思うと、本人が声を上げる上げないにかかわらず周りの方の異変に気付く力、人としての感性が鈍くなってきている(させられている)ことに気付かされます。
 その母子が行政の窓口に何度も助けを求めに行っているのに何の手も打たない、それどころか追い返していたということを知るに至っては憤りを覚えます。これは行政による殺人としか思えません。
 社会資源・基盤維持のための負担はわかります。ただしその負担の仕方は能力に応じてであるべきだと思います。まっ、求められてもない袖は振れない、払えないわけですけどね。そこが、自分のせい、何とかしてと我慢してしまうのが日本人の悪いところですけど。
 この親子の場合は、助けを求めて行政の窓口に来た時に生活支援の制度を適応すべきでした。他の諸制度、担当と協力して助けるべきでした。行政・担当の不作為による悲劇としか言いようがありません。必死に働いても見合った賃金でないために貧困から抜け出せない、貧困の悪循環を生んでいる労働環境。4人に1人とも言われている貧困状態にある子供の存在。これらは昨日今日に始まったことではなく根の深いことだけれど、昨今の 人の話を聞かない安倍政権のもとでは改善の糸目も付きません。ここまで来た(社会)問題の深刻さは個人レベルのではありません。“自己責任”という言葉で問題の本質を隠し追い詰めさせておいては新たな悲劇を生むばかりです。

 人それぞれにできることは違うけど、今自分の条件でできることから意思表示すべきですね。社会不安を生まないためにも必要十分な社会保障・社会の安全弁を求めて。それが日本のこれからにつながると思っています。

2015年8月22日土曜日

小規模多機能型施設 2/2


なだらかな坂を上っていく感覚ではなくて 「あっ今階段を一段上がった」そんな感覚を覚えることがあると思います。 時間的には少したってしまったけれど、これから紹介する講演会でそんな感覚を味わいました。

「スウェーデンの認知症ケア」(620日) 講師は北欧の福祉の研修などを仲立ちしてくれるSQC=スウェーデンクオリティケアの方で、当日はスライドを用い手慣れた進め方でした。 以下羅列的に

スウェーデンでは

・高齢者達自身で団体をつくり運動している。決めるのは決して政治家ではなく高齢者・国民が運動、その結果で決定している。(希望→運動→決定)

・地方自治体・コミューンが自分たちの要求で使える予算(税金)が保障されている。

・チームワークとは「どの職種が一番ということではない。それぞれの役割が必要」

・施設内アクティビティ。 全員が同じように参加したがるとは限らない。参加しないのも尊重。

・自分で出来ることはしてもらう。⇔ 職員がするより時間がかかるが。

・一緒に座って話をすることも大事

・食事-時間を決めて一斉にではない。 本人が内容も選択、時間も食べたい時に食べる。 例へば、6時から10時の間ならいつでもどうぞ等。

・(一度)食べたのを忘れてまた(二度)食べる → 二度食べてどのような悪い影響があるのかの視点で対応する。例へば肥満が問題になるようであれば一回の食事量を減らして本人の要求に対応する。   

・家に帰りたいお母さんに会いたい。 → もう遅いから 死んで居ないから などと否定しない。→ そうなの帰りたいの お母さんに会いたいの 家はどんな家かしら お母さんはどんな人でした などと声をかける。

・認知症の人は一人ひとりユニーク →その人 事に対応する

などよく学べました。
 

そして講演後の質疑応答の所が、私にとっては非常に有益でした。

・スウェーデンに小規模多機能型の施設はない。 

小さくてアットホーム、デイ+泊まることもできる。慣れている職員-付き合いが深いなど、学ばないといけないと思っている。

・スウェーデンでは基本的にボランティアは少ない。 職員が対応する。 ボランティアは(介護の)専門家ではない。

・介護職員の処遇は、スウェーデン全体の平均より少し低い。  賃金・待遇 労働環境の改善が進められている。無料の教育プログラムが取り入れられている

・スウェーデンの個人負担は応能負担(日本は応益負担)

・トイレ→この人はどのようなパターンの人か知る、技術的に習熟する。

 

 働き出して数か月たち職場にも仕事にもだいぶ慣れてきたころでしたけれど、今何をしたらいいかそしてこれからの方向を確信できました。