日本(人)は未だ人権意識が低い と痛感させられる出来事が後を絶たないと思っている私ですが、どこの国だったか失念してしまったけど水道使用料金未払いの人への水(道)供給停止を人権問題だとして行政を訴えたという話を耳(目)にした時は正直びっくりしました。
死後何日もたってから見つかる幼い子を抱えた母親。それも最もつらいと言われる餓死で。「ちゃんとたべさせてあげられなくごめんね」などという手紙が残されていたなどと知るといちだんとせつなくなります。
助けて!と声を上げられなかったのか?と母親のことを全く思わないと言ったらうそになるけれど、以前配属になっていた職場
つまり私の身近な所でもすでにそのようなことが起こっていたことを思うと、本人が声を上げる上げないにかかわらず周りの方の異変に気付く力、人としての感性が鈍くなってきている(させられている)ことに気付かされます。
その母子が行政の窓口に何度も助けを求めに行っているのに何の手も打たない、それどころか追い返していたということを知るに至っては憤りを覚えます。これは行政による殺人としか思えません。
社会資源・基盤維持のための負担はわかります。ただしその負担の仕方は能力に応じてであるべきだと思います。まっ、求められてもない袖は振れない、払えないわけですけどね。そこが、自分のせい、何とかしてと我慢してしまうのが日本人の悪いところですけど。
この親子の場合は、助けを求めて行政の窓口に来た時に生活支援の制度を適応すべきでした。他の諸制度、担当と協力して助けるべきでした。行政・担当の不作為による悲劇としか言いようがありません。必死に働いても見合った賃金でないために貧困から抜け出せない、貧困の悪循環を生んでいる労働環境。4人に1人とも言われている貧困状態にある子供の存在。これらは昨日今日に始まったことではなく根の深いことだけれど、昨今の
人の話を聞かない安倍政権のもとでは改善の糸目も付きません。ここまで来た(社会)問題の深刻さは個人レベルのではありません。“自己責任”という言葉で問題の本質を隠し追い詰めさせておいては新たな悲劇を生むばかりです。
人それぞれにできることは違うけど、今自分の条件でできることから意思表示すべきですね。社会不安を生まないためにも必要十分な社会保障・社会の安全弁を求めて。それが日本のこれからにつながると思っています。
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