2019年8月14日水曜日

P ジャガイモ売り  ジャガイモ=パタタス(patatas) 


     

街を走っているとき変わった台車を目にしてシャッターを切りました。 車窓から見ただけ、手に取ったわけではありませんがぱっと見日本のスーパーではあまり店頭に並ぶことのない小さ目のジャガイモを売っているようです。 こちらではポテト=ジャガイモのことをパタタス(patatas)と言うそうです。ちなみに日本で言うサツマイモ=スィートポテトはカモーテ(kamote)。 主食として一番みんなが好きなのはお米のご飯。パンも食べますし麺類の種類も豊富です。 ポテト=ジャガイモはお料理(副食)にも結構使うそうですが、主食扱いで食されることもあるそうです。話を聴いた人に言わせると山の方でその傾向が強いかなぁとも言っていました。

2019年8月13日火曜日

P タホ屋さん (taho)




 
「面白いものを見せてあげる」と言われて表に出てみたら、温かいお豆腐に黒蜜をかけて食べる タホ を売るタホ屋さんでした。 お豆腐をこんなふうにして食べるのは初めてだろうと想像できたという事は、日本のお豆腐の食べ方を知っている人だったんでしょうね。

日本でお豆腐と言えば豆乳に苦汁を入れて抱えるほどの大きさの型枠に流し込み、大きな水槽で冷やすもの。流通の段階でも温度が上がって痛まないように注意しています。 身体にいい 健康ブーム 高たんぱく低カロリー。理由は様々あると思いますが、食材の一部を豆腐に置き換えたり、新しく考案されたお料理もたくさんあります。 でもこのタホ、日本で言うとちょうど絹ごし豆腐の食感の物をおぼろ豆腐・寄せ豆腐様にして黒蜜をかけて食べる。それも生暖かい状態でと言うのは初めて口にしました。お料理そのものというよりデザートの位置付けの物ですね。 タホは結構深い寸胴鍋に入っていました。見た感じからすると、この寸胴鍋に豆乳を入れ凝固剤を入れて作った、あるいは合わせたものをすぐ入れたそのままなのでしょう。そこから注文に応
じて、備え付けあるいは持参のカップに蓮華・ヘラ用の物でかき出して入れ黒蜜+その他をかけ、味が均一になるようにかくはんする。値段は5ペソでした。

  *タホ(taho)はあくまでもタホで
   あって、お豆腐にはトーフ(to-fu)と
   いう名前があります。
*お年寄りの利用する施設でのおやつの一品に加えてもいいなぁと思いました。

2019年8月11日日曜日

P 仕事あれこれ羅列で紹介




 

みんなで楽しむ“夜は長い”し、この調子じゃ朝はゆっくりしなけりゃ身体がもたなくて結局“宵っ張りの朝寝坊”!?なんて思ったらあに図らんや 朝早くから動き出し仕事に出かける人も多いんです。 早くから明るくなるし朝のうちは過ごしやすい。マニラ首都圏まで働きに出かける人は交通渋滞分の時間を見ておかなければならないのでゆっくりもして居られないのもあるのでしょうか。

 仕事あれこれ。これから話す仕事のあれこれは、当然ながら私が今回目にした…という事になります。大規模な製造業・工場、工業地帯は行っていません、アメリカ イギリスに続いて3番目に英語を話す国民の多い国・フィリピンの強みを生かしてのコールセンターも見ていませんのでご承知おきください。

 話し戻して、まずは羅列的に。まず挙げておきたいのは、ケニアと似てると感じて印象に残っているガードマン。そして家具屋さん。 お店を構えてという規模ではなくて日銭を稼ぐという感じで行商・物売りの人たち。天秤棒で品物を担いで。小さな車(車輪)の付いた木製で荷台の低い代車(kariton?)でのジャガイモ販売。今度は高い荷台のバナナの販売。街中では、売店の他にも屋台や何か言われてらすぐ移動できるようになのか自転車の荷台に品物を積んだまま道端で売っているのもみました。 道の一角を占めるような売店まで行きませんが、歩道に沿って細長く品物を並べているお店(?)もありました。 自転車に側車を付けた三輪自転車に野菜 果物を積んで回ってくるのも目にしました。この人のパイナップルの皮をむくお手並みは「ああやってむくといいのか!」と勉強になりました。 この側車付き三輪自転車はパジャック、ジプニー同様大活躍なのが三輪バイク・トライシクル。トライシクルは人を乗せるタクシー洋の使い方だけでなく、荷物を載せるトラック洋の使い方もされ大活躍です。

2019年8月7日水曜日

複数の分野を横断的に 1/2 突き詰めすぎの弊害 状況が見えなくなってしまう・木を見て森を見ない





もうずいぶん前、20171017日付新潟日報「こころの森」という囲み記事の関西学院大学教授の桜井千恵子さんの回「釜ヶ崎に学んだこと 下」に書かれていたことの一部を紹介します。

1980年ごろから、市民運動は子どもや労働者、女性、障害者らを「守る」運動として、個別にテーマ化していった。状況そのものを問う事に失敗し、社会的弱者を救済の「当事者」として考え、テーマ別に活動した結果、それぞれの運動の間に分断が生まれていったのだ。~

 「第2次世界大戦敗戦後 戦争のない平和な世界を希求する」とした日本を再び戦争する国に引き戻そうとする軍事同盟=日米安全保障条約(運用にあたっての日米地位協定)という不平等条約に反対する労働者 農業などの従事者 母親も学生も、それぞれが直面する問題を感じ共通する原因見抜き日本国民まとまり歴史に残る反対運動を行った“60年安保”。その団結は、岸内閣総辞職させるほどでした。 さあそれから始まったのが国民の分断。用意周到に準備し時間をかけて、団結し強い組合を分裂させ弱体化させる。農産物の輸入規制を撤廃して困らせておいてから支援策を示して懐柔。地域にも格差を発生させる、年齢や福祉要求ごとにおいて細分化を図る。労働条件を改善しないで、生活を苦しくする。まとまることを阻止するために、アンフォーマルな手を使ってまでして到底一つになれないような過激グループを誕生させる。そうして迎えた70年安保は様変わり。 権力を握るものはその権力を手放さまいとして、巧妙に用意周到に先を見越して手を打ってきます。 一人の絶対権力者に対するための多数の団結でしたが、民主主義のより望まれる姿は“多数”だから通るではなくて、少数でも正当なものは通るだと思います。 物事をきめ細かく見るという事と、細分化するというのは似て非なるものと思います。 自分の得意は持ちながら得意とするとする分野にとどまらず、課題を拾い上げ丁寧に対していく。根本の問題に気づき力のある所は力のないところに手を差し伸べながら広く力を合わせていくのが結果として個々の問題の解決にもつながると確信しています。

複数の分野を横断的に 1/2 平和学





昔からこの姿勢でした
日本で初めて「平和学」を開講した(1976年)岡本三夫 広島修道大学名誉教授が亡くなられました。(2019720日) 多少縁があり、ずいぶん昔のことになりますが話を聴いたことがあります。 話の印象は平和学研究・実践の発表というより平和学そのものの説明という感じ。 とどのつまり何なの?とその時の話自体はなんだかよくわからなくて印象に残っていないのですが、言葉の響きでしょうか平和学には何か惹かれるものがありました。

平和の学問、何をするのか一体どういうものなのか。 当時はまだ今のようにネットで様々なことを調べるという時代ではありませんでしたが書籍等で調べてみました。 結果、どれも明確にこれというものは見つからなかったのですが、明確なものがないそれが可能性という気がした覚えがあります。  

調べた中で印象に残っているのが言葉があります、それは「学際」という言葉。 学際 ひとつの分野・細分化された専門分野ではなく、複数の分野の境界領域・複数の分野を横断的に研究する学問スタイル。

もともと私が一つのことにとどまらずあれもこれもとする方で、これでいいんだろうか いつまでも一つのことに決めなくて 絞らなくていいんだろうかとという感じでしたので、そういう考え方がある こういうスタイルもありだと言われたようで印象に残っています。 

2019年8月3日土曜日

あいちトリエンナーレ2019


あいちトリエンナーレ2019 「表現の不自由展 その後」 に展示されていた“平和の少女像”の
撤去を現職の名古屋市長が表明したことが公になりました。  この作品は今回の催しに向けて新たに制作された物ではありません。 2011年に初めて製作 設置されて以来世界各地に設置されている“慰安婦像”のうちの一体という事です。 慰安婦像自体の制作技法だとか美術作品としての評価とかは観る人それぞれ。それでいい、それが正しい鑑賞の仕方だと思います。でもこの像はその誕生の時からそれ以外の理由で取り上げられてきた像だと思います。 そしてこのたびの「表現の不自由展 その後」出展とその顛末でこれまで以上に意味・命を宿したと感じました。  



その後テロ予告が行われるなどのため大きく動きが有りました。 これこそが インスタレーション技法を用いて表現に対しての干渉 “不自由な表現” をみんな見えるようにしてくれたと思います。