2012年7月30日月曜日

息もしづらい 息もできない 生きづらい状態 って通ずるところがあるなぁと気づきました。

  いや暑いですねぇ。連日朝のうちから29度。


それを思えば日中の35度前後というのは上がり方がすくないのかもしれない。 

だけどひどいですよぉ~

熱のこもった道路の照り返し、時折吹く風も熱風。まさにヒートウェーブ。




夜帰ってまず窓を開けてみるものの、日中の熱のこもっている家・部屋はいっきに汗が吹き出して着ているものがぐっしょり。

家具、布団も温熱・ホットパック状態。

熱気、熱波で深い息ができないくらい。



もう一月。

“意地でも!”とまでは思っていないけれど、暑い暑いと口に出したり書いたりして発散、水分も意識して摂って(エアコンを使わずに)乗り切ろうと思っています。

真昼間・ハイヌーンに運転のように、必要な時は使う勇気も忘れないつもりですが。



てな時に頭に浮かんだのが「息辛さ・生き辛さ」

おじさんギャグで頭に浮かんだ言葉だけど、身体もかたくなり“息もしづらい・息もできない状態”って通ずるところがあるなぁと気づきました。

リラックスしてただ楽しむふうにはまだなれそうにありません



  19回を数える今年の穂波の里(特別養護老人ホーム)の納涼会のお手伝いに初めて行ってきました。


 穂波の里は縁あってその建設の時から多少なりともかかわり、昨年まで母もお世話になっていたところです。

 行事がたくさんあり、強制ではありませんが参加案内が来ます。入って終わりのようなところじゃないんです。

 とは言え「神から与えられたものを以て精いっぱいかかわってきたか」と問われると自責の念が起きます。


 納涼会は初めてでした。

 この辺りは“7月のイベント”に向けての春先からの日々の疲れが出るタイミングなのかぐったり、体調が悪くてどうにも参加できなかったのです。
 地理的に離れたところに転勤したことがなにも影響なかったわけではありません。
 けれどそれ以上はやはり“不調”のせいかなぁ。
 毎日々々がやっとでした。

 高齢になった母親を見ていると、一年は一歳年を取るということ以上に意味があるということもよくわかりました。だからどんな催しも、“今日の日はもう来ない”の気持ちで参加しなければもったいない、と思っていました。
 一年たてば一歳年を取る。この当たり前のことが年齢によっては意味が違ってくるということ身に染みて理解できました。

 一日一日がほんとに掛け替えのない時間ということですよね。なんでもそうだけれど。

 だけど何年も何年もすべてがやっとやっとの毎日でした。



 今でも、どこかでぐっと休む、メリハリをつけなければ疲労が蓄積されていきます。

 でも、今回初めて納涼会のお手伝いができた参加できたということは、それがわかってきて、ここ数年それなりに対処法がわかってきたということでしょうか。

 リラックスしてただ楽しむふうにはまだなれそうにありません。
 車いすに乗り普段なら動かすこともない腕が手踊りをしている、押している娘さんやお孫さんも嬉しそう。
 そんな風にしている自分がどうにも思い描けません。この度もお手伝いを頼まれたから場が持ったようなものだと思っています。

 とは言え、悪いなりにだんだん気力・体調が整ってきたということでしょうか。

 感謝

2012年7月27日金曜日

個人資格でオリンピック参加 ・ UN のさらなる充実 発展を希う

  いよいよロンドンオリンピックが始まります。


 オリンピックに関連して、扱いは小さかったけれど先日こんな記事を見つけました。

  それは、現在アメリカ合衆国で難民として暮らす南スーダン出身のグオル・マリアル男子マラソン選手が、個人資格でロンドンオリンピックに参加が認められたこと。開会式では、五輪旗の下に行進する。

という記事です。

 出身を問うことなく、1スポーツ選手としてIOCの五輪旗の下オリンピックに参加する。

私は不幸ないきさつからとはいえ、特定の国 特定の国の旗ではなく,IOC・五輪旗の下でというのにすごく意味を感じます。





 “UN” ユナイテッド ネイション=国際連合。

 まだまだ発展させるべき課題はあるでしょうけれど、人類がここまで到達してきたと評価し、守り発展させるべきと思っています。

 南アフリカ共和国・アパルトヘイト政策の中の実話をもとにした「遠い夜明け」という1987年の映画があります。
 ラスト前、生命の危機から逃れるための家族を乗せた小型飛行機。それを阻止しようとする問い合わせに対して「ここに乗っているのは国連・UNのパスポートを持っている者だ」と答えて危機を乗り切るシーンは私を奮い立たせ、強く印象に残っています。

2012年7月24日火曜日

アメリカ合衆国軍はオスプレイでルビコン川を渡ってしまった


嘉数高台から望む普天間基地
  「あの時がターニングポイントだったかなぁ」と後々思うことになるのがこの度のアメリカ合衆国軍によるオスプレイの岩国搬入かもしれない。


 ある意味ルビコン川を渡ってしまったんじゃないだろうか。



 反対をしても、交渉しようとしてもそれ以前、聞く耳を持たない。



 この前嘉手納で会っていろいろ話をした沖縄のカメラマン。

 「生まれた時から周りに基地があって、そういうものだと思っていた。安保はなくなりませんよ。でも地位協定で変えていかなければだめだね。」と私に話してくれました。

 なんで安保反対と言わないのか、と新潟に暮らす私の顔に出てしまったかもしれません。

 でも。沖縄に生まれ、基地に囲まれて生活している人の現実はこうなのかもしれない。



 取り決め上は通告すれば1年後に自動的に安保はなくなるのかもしれない。
 けれど実際に沖縄に暮らす人にとっては、交渉によって日米地位協定を見直していくというのが現実的なことなんだと知らされたやり取りになりました。


 だけどこの度のように“交渉”、話し合いができないとなるとどうでしょう。

 私には、仲井間知事の「~次は全基地撤廃が要求になる」発言が将来を予測しているように聞こえてきます。

2012年7月22日日曜日

(すでに)「日本は、ビキニ水爆実験の時に全土が被曝してしまった。」3/3  原発事故 放射能 正しく恐れる・私たちは微力だけれど無力ではない


昔々、子どもたちは雨の学校帰り、傘を持たずに歩いていると「雨に降られると頭がハゲになるぞー!」と言われたものです。
 これでやっと平和が訪れると思ったのもつかの間、第2次世界大戦の後早々に勃発した紛争。
 ビキニ環礁での水爆実験以降も繰り返される“実験”。
 それまでの兵器とは比べ物にならないレベルにまで到達してしまった核兵器。
 その瞬間の破壊力、そして後々まで残る影響についてはわからないことの方が多かったけれど、とにかくそれ以前の兵器とは違う。
 冷戦、そして代理戦争とも言われた地域紛争(世界大戦に対比してのいいかたでしょうか)の中で、その恐ろしい核兵器が、広島 長崎そしてビキニに続いて再び使われるかもしれないという恐れをみんなが感じていました。



 そんな世界の状況、社会の状況の中で、マスコミが取り上げたのが。

 刹那的に人類にもう未来はない、だから子供は産まない。 特定の人と愛し合い結婚、家庭を作るということは無駄だという考え方。
(実際には核兵器に反対し平和を求める運動も広まっていました。1954年のビキニ水爆実験の後、54年55年に原水禁運動が始まっています。)

 片一方で核兵器の威力のことが頭に入ってきて、その一方でこれが新しいスタイルだと吹聴される。
 これが新しいのか、かっこいいことなのか。そのファッションも含めて良くも悪くも刷り込まれてしまいました。
 そんな希望のない生活は嫌だと思いながらも、なじみきれないところがありながらも惹かれるところもありました。


 そのずいぶん後(私の知ったのが後というだけかもしれないけれど)

「もし明日地球が滅びるとしても私は今日リンゴの苗を植える」

 という言葉・考え方、生活スタイルを知りました。

 一筋の光明が見えたようでした。



 まだ問題が解決していなくとも、その過程でも、今日何をなすかがまず大事なんだと気づかされました。
 あきらめてはけない。希望を失ってはいけない。
 やめたら そこで終わりになるんですよ。



 とてもとても多くの人の原発反対の声を大きな音としか聞けない。
 多少のばらつきはあるものの、どの調査でも半数以上が原発廃止を支持している。段階的になくすも含めると、圧倒的な総意と言ってもいい声を聴こうとしない・聞く耳を持たない野田首相。
 正直、怒り・あきらめ・あきれの感情・愛想を尽かす・無力感を感じます。
 今のやり方仕組みの中では変わらない と過激な直接的な手段に走る人がいるのではないかとの心配も頭をもたげます。
 これはとても危険なこと。都合よく利用されるだけです。



 アラブの春 と同様のソーシャルネットワークを仲立ちとするこれまでと質的に違う集会は毎週何万もの人が集まっています。先日は17万もの人が集まる集会もありました。

 この毎週金曜の首相府を包囲するスタイル、集まり方の集会は全国に広まっています。(紫陽花革命という言い方も聞こえてきます)
 それでも聞かない・届かない、懲りずに開かれている 最初から結論が決まっているお仕着せの委員会。

 完全に崩れてしまった安全神話、いまだに解決しない原発事故その被害。
 日本の原発事故を教訓に脱原発を選択した国々もあるというのに、肝心の日本がこの体たらくと情けなくなります。



 今の選挙制度の弊害によって、民意が反映されない現状にとうとう我慢が出来なくなって、こんなに多くの人が街頭に出てまで意思表示をしているのに。

 「私たちはそんなに無力なのか」とさえ思ってしまいます。
 だけど同時に私は、おとなしい(すぎる)日本人がここまで行動を起こしだした! ということにこれからの希望を感じています。

(すでに)「日本は、ビキニ水爆実験の時に全土が被曝してしまった。」 2/3






 ところで、今になって(その後今になったから)やっと明らかになったことがたくさんあるのに何で早々の収束宣言だったのでしょうか。

 実際、収束宣言は出たけれど、その後を見ていてもどこが収束なんでしょうか。



 これまで“安全神話”を説く時によく持ち出されていたのが「自然界にも“自然放射能”があります。それと比較してもこんなに低い数値ですよ」。

 これを言われるといつも思ったのが、どちらかではなく、プラスでしょうが! だったけれど、実はその“もともとある自然界の放射能”と言われていたものにはすでにビキニをはじめとする核実験、チエルノブイリ・スリーマイルの人口放射能が含まれていたということだったわけです。



 アメリカ合衆国にかかわるからでしょうか。昨年のかなり早い時期に、海洋への放射能汚染の広がりがシュミレーションされています。

 それプラス この度、日経新聞(2012・7・1)の ‐ナゾ謎かがく‐ という囲み記事に「放射性物質 なぜ地球めぐる?」という表題で渡辺明・福島大学教授が日本気象学会で発表した「放射性物質がおよそ40日周期で地球を循環している」「高層の大気の流れに乗ったセシウムが地球を巡りつつ今も少しずつ地表に落ちてきている。」「1平方㍍当たりの降下量は昨年末ごろに日量400ベクレルを超えたことがある。1960年代の大気中核実験や86年のチェルノブイリ原発事故後のピーク(月間100ベクレル超)を上回った。」が掲載されていました。

 この度報告された、地球規模で拡散する放射能・大気汚染の事実のことは、(すでに)「日本は、ビキニ水爆実験の時に全土が被曝してしまった。」発言を裏付けていますね。



 そもそも福島原発から放出される放射能は止まっていません。

 最初の爆発的な規模ではないかもしれないけれどいまだに放射能は出続けている。

事故そのものも“収束”していないし、住民の避難生活は続いている …のです!


 こんなことばかり知ってしまうと正直重い気持ちになってしまうけれど、これまでにないスタイルの運動が大きく広まっている今の日本に私は決して希望を失ってはいません。