これでやっと平和が訪れると思ったのもつかの間、第2次世界大戦の後早々に勃発した紛争。
ビキニ環礁での水爆実験以降も繰り返される“実験”。
それまでの兵器とは比べ物にならないレベルにまで到達してしまった核兵器。
その瞬間の破壊力、そして後々まで残る影響についてはわからないことの方が多かったけれど、とにかくそれ以前の兵器とは違う。
冷戦、そして代理戦争とも言われた地域紛争(世界大戦に対比してのいいかたでしょうか)の中で、その恐ろしい核兵器が、広島 長崎そしてビキニに続いて再び使われるかもしれないという恐れをみんなが感じていました。
そんな世界の状況、社会の状況の中で、マスコミが取り上げたのが。
刹那的に人類にもう未来はない、だから子供は産まない。 特定の人と愛し合い結婚、家庭を作るということは無駄だという考え方。
(実際には核兵器に反対し平和を求める運動も広まっていました。1954年のビキニ水爆実験の後、54年55年に原水禁運動が始まっています。)
片一方で核兵器の威力のことが頭に入ってきて、その一方でこれが新しいスタイルだと吹聴される。
これが新しいのか、かっこいいことなのか。そのファッションも含めて良くも悪くも刷り込まれてしまいました。
そんな希望のない生活は嫌だと思いながらも、なじみきれないところがありながらも惹かれるところもありました。
そのずいぶん後(私の知ったのが後というだけかもしれないけれど)
「もし明日地球が滅びるとしても私は今日リンゴの苗を植える」
という言葉・考え方、生活スタイルを知りました。
一筋の光明が見えたようでした。
まだ問題が解決していなくとも、その過程でも、今日何をなすかがまず大事なんだと気づかされました。
あきらめてはけない。希望を失ってはいけない。
やめたら そこで終わりになるんですよ。
とてもとても多くの人の原発反対の声を大きな音としか聞けない。
多少のばらつきはあるものの、どの調査でも半数以上が原発廃止を支持している。段階的になくすも含めると、圧倒的な総意と言ってもいい声を聴こうとしない・聞く耳を持たない野田首相。
正直、怒り・あきらめ・あきれの感情・愛想を尽かす・無力感を感じます。
今のやり方仕組みの中では変わらない と過激な直接的な手段に走る人がいるのではないかとの心配も頭をもたげます。
これはとても危険なこと。都合よく利用されるだけです。
アラブの春 と同様のソーシャルネットワークを仲立ちとするこれまでと質的に違う集会は毎週何万もの人が集まっています。先日は17万もの人が集まる集会もありました。
この毎週金曜の首相府を包囲するスタイル、集まり方の集会は全国に広まっています。(紫陽花革命という言い方も聞こえてきます)
それでも聞かない・届かない、懲りずに開かれている 最初から結論が決まっているお仕着せの委員会。
完全に崩れてしまった安全神話、いまだに解決しない原発事故その被害。
日本の原発事故を教訓に脱原発を選択した国々もあるというのに、肝心の日本がこの体たらくと情けなくなります。
今の選挙制度の弊害によって、民意が反映されない現状にとうとう我慢が出来なくなって、こんなに多くの人が街頭に出てまで意思表示をしているのに。
「私たちはそんなに無力なのか」とさえ思ってしまいます。
だけど同時に私は、おとなしい(すぎる)日本人がここまで行動を起こしだした! ということにこれからの希望を感じています。
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