2012年7月30日月曜日
リラックスしてただ楽しむふうにはまだなれそうにありません
19回を数える今年の穂波の里(特別養護老人ホーム)の納涼会のお手伝いに初めて行ってきました。
穂波の里は縁あってその建設の時から多少なりともかかわり、昨年まで母もお世話になっていたところです。
行事がたくさんあり、強制ではありませんが参加案内が来ます。入って終わりのようなところじゃないんです。
とは言え「神から与えられたものを以て精いっぱいかかわってきたか」と問われると自責の念が起きます。
納涼会は初めてでした。
この辺りは“7月のイベント”に向けての春先からの日々の疲れが出るタイミングなのかぐったり、体調が悪くてどうにも参加できなかったのです。
地理的に離れたところに転勤したことがなにも影響なかったわけではありません。
けれどそれ以上はやはり“不調”のせいかなぁ。
毎日々々がやっとでした。
高齢になった母親を見ていると、一年は一歳年を取るということ以上に意味があるということもよくわかりました。だからどんな催しも、“今日の日はもう来ない”の気持ちで参加しなければもったいない、と思っていました。
一年たてば一歳年を取る。この当たり前のことが年齢によっては意味が違ってくるということ身に染みて理解できました。
一日一日がほんとに掛け替えのない時間ということですよね。なんでもそうだけれど。
だけど何年も何年もすべてがやっとやっとの毎日でした。
今でも、どこかでぐっと休む、メリハリをつけなければ疲労が蓄積されていきます。
でも、今回初めて納涼会のお手伝いができた参加できたということは、それがわかってきて、ここ数年それなりに対処法がわかってきたということでしょうか。
リラックスしてただ楽しむふうにはまだなれそうにありません。
車いすに乗り普段なら動かすこともない腕が手踊りをしている、押している娘さんやお孫さんも嬉しそう。
そんな風にしている自分がどうにも思い描けません。この度もお手伝いを頼まれたから場が持ったようなものだと思っています。
とは言え、悪いなりにだんだん気力・体調が整ってきたということでしょうか。
感謝
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