8月4日は住民投票(1996年)の日。
私は海に居ました。海に入りながら角田の山を望みました。ここから十数キロのあの山裾に原発が作られようとしていたんだなぁと改めて思い起こしました。今打ち寄せる波は角田の方から新潟方向へ斜めに寄せています。空の雲は西の角田方向から流れてきています。
8月6日。(非人道兵器原爆が6日ヒロシマ9日ナガサキに投下された)
私は“核兵器と戦争のない平和な世界へ”2015ピースアクションin NIIGATAに参加していました。
今年の催し・講演は5年ごとに国連の場を舞台に開催されているNPT(核兵器不拡散条約)再検討会議に参加した人の報告でした。
どのようにそしてどの位掘り下げて伝えられるかということは様々。でも運動の広がりとともに色々な切り口があった方が好いのは誰しも異論のないところ。
今回私の印象に残ったのはNPT開催期間中さまざまに行われた取組の一つでのやり取りの模様。被爆者の証言も含めて原爆の惨禍を報告した後の質疑応答の場面で「原爆・核兵器をなくせと言っているけれど、日本には原発があるままじゃないか。」という趣旨の話が出たんだそうです。その時は間に入っていた通訳の人が冷静に「原発があるのは確かにその通りだがこの場ではまず核兵器をなくそうという話をしましょう」という趣旨のことを言ったんだそうです。
こういう言い方は昔からありました。そんな風に言われるとまじめに一生懸命やっている人ほど傷ついてしまうんですよね。明らかにおかしいときなど、会場の混乱を覚悟の上で手を上げなければならない時もあるでしょう。きっと発言した人も運動自体を非難
否定したわけじゃあないと思うんだけど、結果として水を差すことになってしまいますよねぇ。
当日の話では触れられていなかったとしても、テーマに合わせて報告内容を検討してきたんだろうし決してその問題を忘れていたわけではないかもしれないのに。
非人道的兵器である核兵器をなくそうという同じ思いで集っている人同志のはずなんだから、否定しているととられるような打撃的な言い方にならないよう気を付けなければと思います。“他山の石”とします。
ただここ新潟での平和集会の資料に目を通すと、今年も原発に関しての意思表示がないことに物足りなさを感じます。薩摩川内市の川内原発再稼働が大きな関心事になっているときでしたから。