“性格の不一致” 実に便利な言葉。ただし 日本(人)的に。
縁あって結ばれたのに何が災いして別れることになったのか。実際のところは他に本当の(もっと具体的な)理由があるし、この言葉の理由だけでは実際のところ離婚は認められないということだけれど、離婚にまつわっては実に便利な言葉。「どうしたの?なんで別れたりしたの?」と問はれた時に「性格の不一致で…」と語尾不明瞭に答えれば「これ以上は聞いてくれるな」ということになるのです。日本的に言うと暗黙の了解というものですね。
このたび二人が結ばれるに至る過程では実に様々な手続き・提出物がありました。その一つ一つは自国民を守るということで言うと至極当然のことと私はある意味感服しているけれど大変でした。 特に私のほうに結婚して離婚したという過去があったものだから有形無形で大変でした。
正直触れられたくないこともありました。 別れた理由は?子どもは?・・・ 聞き取りで設問を埋めていくとき彼女も含めてみんなのいるところで答えることになってしまったときはさすがに口ごもってしまいました。 わけもなくではなくちゃんとした理由があったのですが今更思い出したくない口にしたくないことだったので躊躇して間が開いたのです。そしたら一緒に行った(日本の)人が「性格の不一致としておけばいい」と言ったのです。 そしたらそのとたんほんとに場の雰囲気が変わったのです。風の抜け道がなくて熱がこもり熱い室内が一瞬で凍り付いたのです。恐ろしい感じでした。
言葉を通訳していてくれた人がこういいました。過去に性格が合わないという理由で別れたということは、また性格が合わないという理由で別れることになるかもしれない
とすごく心配になるのだそうです。私としては恥ずかしいし今更口にしたくないことを説明したら それならいい ということになりやっと収まりましたけど。
性格の不一致 日本人にとってはある意味すごく便利な言葉だけれど、確かにあいまいな言葉。そこが文化の違いというか。日本なら この先は触れてくれるな を惻隠の情とやらで感じ取るのが良しとされそれで収まる日本と、納得できるちゃんとした事情が聞かされないと納得できないという違い、冷や汗を流しながら感じた次第です。
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