2016年12月29日木曜日

現閣僚・稲田防衛省の靖国神社参拝


一体どこをどうはたいたらこういう発想が出てくるのだろう。

29日朝の現閣僚・稲田防衛省の靖国神社参拝。つい二日前、第2次世界大戦・アメリカとの直接の闘いの発端となった真珠湾(攻撃)での“慰霊”訪問に安倍首相とともに訪米したばかりなのに(2016.12.27)

相も変わらず注目させておいて中身のない言動、安倍首相による真珠湾訪問は反省でも謝罪でもなく慰霊の訪問との由。

そこに同行していた稲田朋美防衛相の帰国直後の靖国神社参拝。

元々中身のない訪問だったけれど、今度はその訪問自体何だったのかと疑問符をつけさせてしまった。

2016年12月28日水曜日

“国際豆年”


2016年も終わるというこの日にというのもなんですが、今年は国連制定による“国際豆年”なんだそうです。

そのことを扱った記事の中に 豆の成分や選び方 保存方法そして豆の種類・分類の表を見つけ、忘れないようにいつか扱おうと思っていました。 そう思っていながらタイミングを逃してしまってここまで来てしまったというわけです。こういうのは知識ということで言えばいつであろうと無駄ではありませんけど、どうせなら2016年うちのほうがいいでしょうから今日紹介します。

2016年12月26日月曜日

自主 ではなく 独特 の日本


このたびの南スーダンへの武器取引禁止の国連安保理決議に日本が反対したのにはびっくりしました。(“核”禁止条約の時もびっくりしたけど)

南スーダンの内戦、ここまで拡大してしまうと簡単に止められるレベルではないとわかります。でも人々の恐怖からくる疑心暗鬼を取り除く困難さよりも、武器の供給を止めるほうがより早く具体的な結果が出るのではないでしょうか。それを変な論拠で。



日本はなんでもアメリカ(合衆国)の言うことを聴く。日本のアメリカ追従・盲従は今の沖縄を見るまでもなく屈辱的。 まさに米軍は占領軍そのものの振る舞い、日本は戦後70年以上たった今でも実質アメリカに占領されたまま。 



イラク戦争の時国連の意に反しての有志連合の名による実質アメリカによる戦争をいち早く支持した日本。結局その根拠がでっち上げだったことが明白になってからも日本では責任の追及がなされないままうやむやになったまま。(UKは時の首相の責任が問われた)

言われるがまま 何の主張もない 卑屈なほど気に入られようとしているそしてだれも責任を取らない。これで自立した独立国なのか と憤りを感じるほど。



それが どうも違うのかもしれないと思いだしたのは、現ロシアによるウクライナ・クリミヤ半島を力で奪い取ったことに対して欧米各国が協調して制裁行動をとったのに、それに加わらず、今こそ日本との関係を強めるチャンスと“独自”行動しているのを見てから。 



アメリカ追従に見える、だけどただそれだけじゃないようです。世界の国々が協調して行動するときにそれに加わわらない。 国連決議 対ロシア などでは アメリカと異なる行動もする。

アメリカ合衆国よりも優れていると評価されている“何時でも どこでも”を国民に保証している医療制度を骨抜きにすることも、日本を守り誇りでもある平和憲法 “核”の扱いでも、沖縄を米軍に差し出すふるまいでも、ただ屈服させられていたわけではなくて自分が そうしたかったんだ、話し合いに参加し結果 協調して行動するんではなくていっしょにやりたくないんだ自分勝手にやりたかっただけなんだという風に思えてきました。

日本の場合は他からの独自性を持っているのではなく、日本独特の発想・回路を持つ国なんだと思えてきました。

2016年12月25日日曜日

Merry Christmas 2016


Merry Christmas 

2016年 今年もクリスマスを迎えることができたことを感謝します。


内憂外患 の種は尽きませんが神様のお導きでいつまでも同じでないことも感じています。



個人的には、あちこちに出かけて新しいことをたくさん吸収できた一年でした。どちらが最初かはわかりませんが、相乗効果でいろいろ動けるようになったということでしょう。辛いこともありましたけど総じて大過なく送ることのできた一年だったと感謝しています。

昨年は仕事で顔を出せなかった一年最後のヨガでお茶とお菓子をいただいて楽しいひと時を持てました。久しく連絡・行き来のなかった人とも会ったり連絡を取り合ったりできました。

 何より家族が増え家庭になった、ハウスがホームに変わることができたということが感謝ですね。 これからは映画のように「家族のところに帰るぞ!」と言って困難を乗り越えていかれるんですね。

2016年12月19日月曜日

F3 16-4-19 両替したお金の使い出 物価 1/6


その道の専門家でない人はこんな感覚になるのでしょうか?

一万円をペソにすると(これまでの3回では毎回違っていましたがここでは仮に)4,200ペソになる、万→千なんて聞くとお金が減ったような・円が弱いような感覚になってしまいました。 このことと、その両替したお金で実際のところどれだけの物が買えるのか・価値があるのかはまた別のことなんですけどね。
じゃあ実際はどうだったのかを羅列ですけれど私が見聞きしたことで書いてみます。



・ガス
 泊めてもらったお宅の熱源・煮炊きはプロパンガスでした。
ケニア・ナイロビだと最初にボンベを買うんだったか相当分を支払うんだったかしてからでしたが、こちらはそのあたりがどうなっているかまでは確かめられませんでした。
料金は10300ペソ。連絡をすると、側車付きのバイクで配達してくれました。

・上水道
 泊めてもらったお宅には上水道がありました。でも飲料としては適していないようで、飲み水は別に20ℓのポリタンクで買っていました。自分でも買いにも行っていましたが、これも連絡すると側車付きのバイクで配達してくれました。

・下水
 太い本管があり大規模な下水処理場があるのかまではわかりませんでした。
家の前のコンクリート敷きの道は両端に向かって少し傾斜がつけられ端が少し窪められていました。そのところどころに小さな穴があけられていて雨水はそこに流れ込むというようになっていました。でも穴は小さいし取り外しのできる蓋があるわけでもないので詰まったりしたらどうなるのか心配になりました。
トイレや台所の生活雑排水の流れていく先までの確認はできませんでしたが、近くに流れていったものが溜まっている所や臭いはしませんでした。

・トイレ
 水洗式でした。と言ってもタンクについているレバーを動かすなどして水を流すのではなく、脇に置かれた大きなバケツにためられた水を手桶で汲み便器に流す式でした。壁にパイプは設置されているんだけど水は来ていないのかな?
便座はついていませんでした。
用を足した後はトイレットペーパーを使うのではなく手桶で水を汲み手で洗っていました。世界にはいろいろなやり方があるからこれはこれかな。

・電化製品
 お店を見たところでは品ぞろえにそん色は感じませんでした。
総じて安いような感じがしました。例えば冷蔵庫は日本なら普及品クラスだと円換算で2から3分の一、それよりも少しグレードの上のものでも日本の2から34分の一くらいかな。現地の人の月収から考えてみると十分に高額商品のようですが。でも冷蔵庫は、そもそも日本のように幾日か分をまとめて買っておくとか残ったものを痛まないようにして取っておくというようなものではなく、その日の分をその都度買いに行くという生活スタイルがまだまだ残っているような感じだから私が思うほどにはほしい・必要とは思わないのかもしれません。
泊めてもらったお宅のテレビはソニーのロゴのついている大きい液晶でした。コンポーネントステレオもありました。これもソニー、と思ったら似た名前の別メーカーでした。カラオケもできるもののようです。カラオケは好きみたいです。音はカーステレオもそうだけど、とにかく低音のブーストがすごい。私からするとバランスが悪いと思うんだけど、こういう音が好きみたいです。鳴らすときは夜でもお構いなしにすごいボリューム。
エアコンも窓枠にはめるタイプに物がたくさん並べられていました。そして安い。道から見ていると、設置してあるお宅が結構ありました。ただし泊めてもらったお宅もそうだけれど、電気代が高くてそう稼働していません。
炊飯器や扇風機は安い値段からたくさんありました。ただし圧力式となると急に高くなっていました。
メーカーは日本そしてフィリップスもありましたが、圧倒的に多いのは中国製。 ケニアに行った時もそうだけど、色遣いなどで良くも悪くもすぐ中国製とわかります。韓国製もあるんだけど評判は今一つのようでした。

2016年12月11日日曜日

F3 16-4-16 正直為替のことはよくわからないけれど


  

 
  フィリピンにはこれまで3回行きました。その都度日本円をフィリピンペソに両替したわけですが毎回為替の率が異なっていました。 わかりやすいように1万円単位で比べると、一回目201510月は3,900を少し下回っていました。その時の印象は、フィリピンペソって強いんだなぁ。

2回目は2016年の3月。この時は4,200ちょっとでした。3回目は4,400くらい。正直為替のことはよくわからないけれど、これって日本の円がフィリピンペソに対して強くなってきているという理解でいいんでしょうか。

 

 日本の会社に勤め日本円で給与をもらいそして支払う暮らしをしていると、そんな実感は全然ないのですけれど。 目減りしていく賃金・雇用不安、悪くなる一方の医療・教育・年金 それら社会不安に対して安全弁として不十分な各種社会保障で、今にも将来に対しても不安は増すばかりなのですから。

 でも対外的には、政治・政策的にも企業業績 技術開発でも何も問題なし将来はバラ色と見えているのでしょうか。国と国との関係でいうとこういうことになっているという事、そこから関係を考えてしまいました。

2016年12月6日火曜日

安倍日本国首相とアメリカの実業家・不動産会社会長兼社長ドナルド・トランプ氏


マッドアマノさん作  相変わらずさえてますねぇ
これで「日本は向こうからすり寄ってくる ほっといても大丈夫だ」と思われたことでしょう。 何って “私的な訪問” と言いながら政府専用機を使った安倍(日本国)首相のアメリカ合衆国の民間実業家ドナルド・トランプ氏(次期大統領予定)との会談。 会談の中味 手続き・進め方 様々な指摘がされているけれど、安倍首相本人は「トランプ氏は信頼できる」 とか 「素晴らしい友情」 とか得意満面の体。



 ところで、今みんなが一生懸命情報を集めている最中なんだろうと思うけれど、その中でもいち早くトランプ氏を支持 評価している顔ぶれを見てみると右翼でありナショナリズムの団体・政党・代表。ネオナチや様々な差別主義者。国でいうとこれまで人権問題で指摘を受け、国際関係でも物議をかもしているロシアのプーチン大統領と中国の習近平国家主席。  トランプ氏はどういう人なのか、大統領としての実際の政策は年明け就任後からということになるわけだけれども、これまでの様々な言動をみて支持しているこれらの顔ぶれを見てみると先行き暗澹たる思いになってしまいます。 で、安倍首相も同様に支持しているわけですからねぇ。 わかるでしょ。 ま安倍首相の場合は、やっていること言っていること、自分でも言っていますけれど元々ナショナリストですから驚くことではなかったのかもしれませんが。

2016年12月5日月曜日

クール・ジャパン≒ 賭博


このたび自民党・日本維新の会 他によって強硬可決された別名 カジノ法案。安倍首相は 今年2,000万人を超えた訪日観光客を2020年には4,000万にする。その起爆剤にする、観光立国の重要な柱だと言っています。

2,000万人を超えた訪日観光客。日本の伝統文化、現代の文化、そして技術立国としての日本を世界に発信し、もとは若者の隠語から始まり今はかっこいいの代名詞にもなっている“クール”を持ってきたクール・ジャパンもすっかり耳になじんだところへと言うかそれなのにと言うかこのたびの国際会議場・宿泊・カジノをまとめて立地するIR法案。 “カジノ” 確かにきらびやか 着飾った男女、でもそれって“クール”なこと?  何なの!

日本文化(伝統的・今)を紹介・知り体験してもらう。あるいは技術的なこと、芸術的なこと自然。日本文化、技術・芸術を支援するとか紹介するとかという事ではなく賭博。 全然かっこよくない・かっこいいと思わない。
日本の経済を立て直そう2020年には4000万人を目指すと言いながらこの程度の考えなんて。これまでの様々な事例から、このような実体のないものは仮に一時的にプラスになってもだんだん下降する。こういう嗜好性の強いものは、次から次へと新たな刺激策を追加していかないとじり貧になる、とのことです。マイナス面として一番懸念されるギャンブル依存症対策はこれから考えるんですって! もともと賭博が成り立つのは、賭博をする人が所持金を負けて取られることで成り立ってい居るわけで儲かるのは胴元だけ、これで国民の生活がよくはならないでしょう!

2016年12月2日金曜日

一つ勉強になりました


 
相手の名前がちゃんと記載されているだけでなく、これまでに至るすべてが必要。



今夜の(スカイプ)PCモニターに映る彼女はいつもに増していい表情。

私によく見えるようにか顔の前で顔写真付きの証明書(?)をこちらに向けています。 今一つピントが甘くて字が判読できないので何なのか聴いてみたら、日本でいうところの戸籍謄本にあたるものだそうです。これで名前(苗字)を変えたパスポートも近々できるそうです。 やっと! と正直なところ思ったけれど、やっぱりうれしい。彼女がうれしそうな表情をしているのがほんとによくわかります。だってこれまで長かったもの。

どうしてこんなに時間がかかったのか? だって結婚したのは4月ですよ、それが11月も終わりになってやっとなんですもの。私の方は在留許可申請の手続き彼女の方は名前(苗字)を新しくしたパスポートの手続きを進めていました。それがなかなか進まない。聴けば今年大統領が変わってそれで時間がかかっているとの由。それでも何度かのやり取りの後1012日にできると聞かされ楽しみに待っていました。それが10月はだめで11月にやっとだったんですから。



聞かされていた「大統領が変わって時間がかかっている」もあったのかもしれません。でも一番は正しい情報が伝わらなかったがその原因とわかりました。

つまりこういう事です。

私はフィリピンでも、式を挙げその旨届け出れば終わるものだと思っていました。だってそれで出してもらった証明書で日本での戸籍の手続きは完了したんですもの。

 帰国する前に言われました「この証明書で手続きをして、(日本の)戸籍謄本と住民票をすぐ送ってください。」と。 ここが実は取り違えたところだったのです。

 実は私これまでに結婚と離婚を経験しています。そしてこの間の転居・書式変更によって、今居住している行政区での戸籍謄本に載っていなかったのです。確かに手続きを終え名前が載っている記載内容になっていれば足りるものだとばかり思っていたのです。

 もちろんそれは当然のことなんでしょうけど、前に結婚していたことそしてちゃんと離婚の手続きがされているという一連の流れがわかるものが必要だったのです。すぐ前住んで居た行政区の戸籍謄本も取り現在のものと合わせて送り直しました。それで一気にというかやっとというかあちらの手続きが進んだというわけです。

 彼女にはちゃんと話しましたので知っていることとはいえ、前のこと(離婚)が載っていない戸籍謄本を手にして正直なところ安堵の思いでした、ちゃんと彼女のことは記載されているわけだしそれで足りると思っていたのです。だけどそこが違っていたというわけです。 

つまり “相手の名前がちゃんと記載されているだけでなく、一連のここに至るすべてが必要” という事だったわけです。 

この私の経験が誰かの役に立つかもしれないと思って書きました。 

国が変われば手続きも様々、勉強になりました。