このたびの南スーダンへの武器取引禁止の国連安保理決議に日本が反対したのにはびっくりしました。(“核”禁止条約の時もびっくりしたけど)
南スーダンの内戦、ここまで拡大してしまうと簡単に止められるレベルではないとわかります。でも人々の恐怖からくる疑心暗鬼を取り除く困難さよりも、武器の供給を止めるほうがより早く具体的な結果が出るのではないでしょうか。それを変な論拠で。
日本はなんでもアメリカ(合衆国)の言うことを聴く。日本のアメリカ追従・盲従は今の沖縄を見るまでもなく屈辱的。 まさに米軍は占領軍そのものの振る舞い、日本は戦後70年以上たった今でも実質アメリカに占領されたまま。
イラク戦争の時国連の意に反しての有志連合の名による実質アメリカによる戦争をいち早く支持した日本。結局その根拠がでっち上げだったことが明白になってからも日本では責任の追及がなされないままうやむやになったまま。(UKは時の首相の責任が問われた)
言われるがまま 何の主張もない 卑屈なほど気に入られようとしているそしてだれも責任を取らない。これで自立した独立国なのか と憤りを感じるほど。
それが どうも違うのかもしれないと思いだしたのは、現ロシアによるウクライナ・クリミヤ半島を力で奪い取ったことに対して欧米各国が協調して制裁行動をとったのに、それに加わらず、今こそ日本との関係を強めるチャンスと“独自”行動しているのを見てから。
アメリカ追従に見える、だけどただそれだけじゃないようです。世界の国々が協調して行動するときにそれに加わわらない。 国連決議 対ロシア などでは アメリカと異なる行動もする。
アメリカ合衆国よりも優れていると評価されている“何時でも どこでも”を国民に保証している医療制度を骨抜きにすることも、日本を守り誇りでもある平和憲法 “核”の扱いでも、沖縄を米軍に差し出すふるまいでも、ただ屈服させられていたわけではなくて自分が そうしたかったんだ、話し合いに参加し結果
協調して行動するんではなくていっしょにやりたくないんだ自分勝手にやりたかっただけなんだという風に思えてきました。
日本の場合は他からの独自性を持っているのではなく、日本独特の発想・回路を持つ国なんだと思えてきました。
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