大田昌秀さんが亡くなりました。(2017年6月12日)
大田さんというと1990年から98年まで、2期8年沖縄県知事を務め、その任期中に軍用地代理署名拒否(駐留軍用地特別措置法に基づきアメリカ軍基地用地使用及び収容に土地所有者が応じない場合に知事が代理で使用に応じる書類に署名捺印するという行為)。米軍人による少女暴行事件(1995年9月)、県民総決起大会が印象に残っています。
沖縄戦末期・1945年3月、鉄血勤皇隊に徴集され同隊の半数以上をなくし自身も九死に一生
軍・日本の沖縄に対する振る舞いを身を持って体験し、知事になってからも一貫して反軍反戦反基地の考えを貫き平和を求め沖縄の人たちの立場に立って行動した人でした。
それに加えて亡くなられたことを報じる記事の中に、“平和の礎”を建立(1995年)したとあるではありませんか。 平和の礎と言えば一回目の沖縄行きで訪問がかなわず非常に心のこりだったところの一つ。 改めて大田さんの成したことの数々を振り返りました。(すごく有名な“白旗の少女”の写真を世に出したのもその一つ)
ご冥福をお祈りします。
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