2011年6月29日水曜日

福島原発事故に学ぶ人学ばない人  企業経営から見てもおかしな選択

本当は日本が率先して原発反対の動きを起こさなければいけないんだけど、福島第一原発の事故後いち早く原発廃止の方針を選択したドイツ スイスに続いてイタリアが国民投票によって原発廃止の選択をしました。
 3ヶ月が過ぎても未だ先が見えない人知を越した現状にはっきり意思表示をしたわけです。

 メルケル首相は演説の中で「日本のような高度な技術国ですら原子力の危険は確実には制御できないという事実を、われわれは福島の事態から認めざるを得ない。~ ひとたび起こればその結果は、空間的にも、時間的にも極めて深刻かつ広範囲であり~」
と認識の変わったこと、原発撤廃エネルギー政策転換を発表しました。

 緑の党・90年連合のトリッテン議員団長は言いました。「原発のコストは安いと言われてきたけれど、建設に至るまで、廃棄物の管理・処理、廃炉の処理。それに加えてこのたびのような事故への対応、補償のことを考えるととても安いとは言えない。」と言いました。

 チエルノブイリの時に直接放射能の被害を受けた経験があるとはいえ、日本からは遠いヨーロッパ。
 その人たち、その国々のこの反応・決断。
このたびの原発事故はそこまで深刻なんだということをよくわかっているんでしょうね。


 日本だってなにもわからない人ばかりではありませんが、廃炉どころか逆に再開を促す政府が一番わかっていないということなんでしょうね。
 いや。3・11以前、危険性を訴えても疑問を呈しても真摯に対応してこなかった原発推進の人達はこの期に及んでもまだ何も学ばず誠実な態度をとらずにいると言うことですか。
 事実に学ぶではなく結論が先にきてますよね。 
国民の生命・安全お構いなしで“政治的判断”  
国は何を守ろうとしているんでしょうか。


追伸 ここにきてずいぶん事態が変わってきているように感じています。

   国の態度は相も変わらずですが、県や市町村段階では、点検終了後の原発再可動に首を縦         に振らなくなっていますし、原発見直し、踏み込んで廃炉を提言する動きもでてきています。

   東電の株主総会がありました。
   会社に大きなダメージ(イメージも株価も事故処理被害補償などの多大な損失)を与えた管理     責任と損失に対してどう考えているんでしょうか。
   株主、地域、国全体に与えた影響をどう考えているんでしょうか。廃炉にするしない以前に、企  業運営としてこんなマイナスの影響を与えていることに対しての執るべき態度は決まっているんじゃないでしょうか。
   企業生き残りのために、赤字案件・部門からの撤退などの選択をすべきではないのでしょうか。

1‐14‐30・2 ウチミ 印象に残った品物

 全体の品ぞろえで印象に残ったのは、化粧品コーナーの所のエクステンションと専門店の並びの中の電気店。


 化粧品の所が印象に強くのこったのは様々な色合いのエクステンションが扱われていたからです。
 街では髪の長い女性が多かったんですが、そもそもこちらの人の髪はあまり長く伸びないんだそうです。
 そしてエクステを付けるのがすごく流行っているのだそうです。それで色合い・長さ・髪の量などが様々のものがたくさん扱われていたようです。


 電気店は、ソーラー関連の製品だけを専門に扱うお店でした。
 地域によっては、電気が引かれていないとか料金のこととかでソーラー発電のライトやラジオなどの需要は根強いものがあるのでしょう。用途も、サイズも大小さまざま。こんなにあったんだ!と店内を見回しました。

1-14-30・1 ウチミ 内外


左奥が展示されている車
  ウチミは何度か行きました。
 このお店は、JAVAよりは庶民的な店のようで、スーツ姿の人もいるけれど、お客も働いている人も雰囲気が幾分違います。 

 最終日はホテル出発前にお土産の買い出しに行きました。つまり早い時間帯にもあいていたと言うことです。そんなことを考えあわせると、ウチミは24時間営業かもしれません。 

 さて、ウチミと言うショッピングセンター。柵で囲まれた敷地にJAVAほどの規模ではないけれどまあまあの駐車場を併設しています。もちろんここもガードマンがいます。


 時には駐車場から建物の出入り口に通じる所に、ほんの半畳ほどの大きさのシートに雑貨を並べて売っている人々がました。
 “10円木馬”も数台おかれていました。


 出入り口はドアで仕切られているわけでもなく、オープン形式。
 その出入り口に、人の流れをコントロールする意味もあるのか車(これも売り物)が一台展示してありました。

 買い物を終えた人たちは、今私が車に向かって立っている所から見て、この車の右側からでてきます。
 これから買い物をする人は左側を通って店内に入ります。



 店内の導線としては、左から入って時計回りでお客を回遊させるようになっていました。

 店内の作りは、入ってすぐの所に野菜や果物、冷蔵が必要な食品。真っ直ぐ突き当たり壁沿いには、アルコール類、パンや肉の専門店。 時計回りの内側にミネラルウォーターの棚。
 壁沿いにはCDなんかも扱っているオーディオのお店。鍵のかかる扉で囲まれた電気店。日用雑貨、衣類の専門店、薬局。時計など貴金属を扱うお店がぐるっと続いていました。
 中心に向かって文具・書籍、水周りの品々。そこから食品に向かってのスペースには塩やスナックなどのお菓子類、箱や袋に収まった生鮮以外の食品類。
 左手出入り口側には、洗剤、各種ペーパー類、鍋釜、スプーンやお皿等の日用雑貨類。化粧品。園芸用品などの外仕事用の品々。
 日本のホームセンターなんかと同じように、どの並び・棚は何、と様々な商品が並べられていました。

 その外側、出入り口に展示してある車との間のスペースにずらりとレジが並んでました。
 レジは少し青みの入ったグレーの色の白衣型のものを羽織ったペアが当たっていました。
一人が読み込ませて、その商品をレジ台につながっている左後方のステンレス製の、枠で囲まれたスペースに流す。
 流れてきた品物をもう一人が袋に入れるというわけです。
 支払いを済ますと、袋に詰められた品物を手渡してくれるという段取りです。

 このスペース、畳の縦を少し詰めて横は広くした感じ。品物が遠い方に流れると身を乗り出さないと手が届かないくらい、結構大きいですよ。

2011年6月25日土曜日

1‐14‐29 Nガイドとお別れ ウチミへ買い出しに

ンゴングヒルズホテル外観
 Nガイドはホテル同宿ではないので、今日のところはこれでお別れ。


 仕事とはいえ、四六時中ずっと一緒のが何日も続いたのだから大変だったでしょう。

 お疲れさまでした。




 別れる前、バーカウンター 朝食用の食堂 ガーデンラウンジなどを一通り案内してくれました。

 
 ツアーに今夜の夕食は含まれていないので、夕食はホテルのレストランでとの説明もありました。

  棟の2階に上がるとこちらの生バンドの演奏も聴けるとの由。
こちらの というから音楽はリンガラミュージックかな。


 さて夕食。
 同行の二人はホテルのレストランで夕食を取ると言うことで話がまとまりました。

 私は、二人をエスコートしないと悪いかなという気がしましたが、買い出しに行くことにしました。
ただし、Nガイドに止められてしまったので街までは行けません。

 講演会で見聞きした青年たちの状態や街並みを実際に見てみたい、もっとあちこち行っていろんなものを見たいと思いましたがそれこそ危ないわけですからね。

 そんな私のもくろみに気づきちゃんと釘を刺すなんて、さすがですよね。



 そこで、街までは出かけられなくとも、買い出しは、すぐ並びだしまだ明るい内なので、ショッピングセンターウチミでする事にしました。
 先日店内を見て回ったときにいろんな専門店と共に結構規模の大きいパン屋さんが入っていたのを目にしていたので、食べ物はここで買う事にしました。

 二人のことが少し気になりましたが、買い出しのあとホテルの部屋で手足を伸ばしてくつろぐことにします。

はたして!   やせたのか? やつれたのか?


水たまりに あめんぼう を見つけました
  先日のアフリカンドラム&ダンスの時に引き続き、この土曜朝のヨガの時一月ぶりくらいに会った人にも「やせましたね!」と言われました。

 やせてればいいなんて思ってはいないけれど    少しうれしい気持ちもあったのかな
 「最近立て続けにやせたと言われたんです    よ」  
と職場の隣の人に話したら間髪入れず
 「やつれたんじゃ~ないですか!」
と言われてしまいました。


 隣の人。
そう、3・11の支援に入る時に「これが最後かもしれないから挨拶しておこう」と言ったあの人です。

 半分は言葉遊びだと思いますけどね。頭の回転が速いんですよ。



 今日の話?!  

      ただそれだけ。

2011年6月19日日曜日

このコーヒーはネパールの人たちが一生懸命作っているのはよくわかりました


 新製品として、これまでの物より深入りと紹介してあった「シリンゲ物語」(製品名)コーヒーが発売されたのをネパリバザーロの季刊雑誌“ベルダ”で知りましたので早速購入、飲んでみました。


 


 これまでのネパリのコーヒー「ヒマラヤンワールド」はどちらかというと酸味によったさっぱりとした飲み味。
 私は苦みの勝った飲み味の方が好きなので、ヒマラヤンワールドのときは入れ方を工夫したり、豆を細引きにしたりしてみました。
 結果、豆を細引きにしたときは違いがわかりましたけれど、後はわからなかったなぁ。
 でもすごいなぁと感じたのは、蒸らし方や豆の量、お湯の量をいろいろ変えて試したそのどれでも味がぼけないということ。 豆そのものが持つ力がすごいなぁと感じたことを覚えています。 

 今回のシリンゲ物語、見た感じは確かに深入りの色合い。期待して入れてみたんだけどこれがうまくいかない。豆が蒸れないと言うか味がうまくでないんです。
 まずいというわけでも、薄い 水っぽいと言うわけでもないんだけど味がよく抽出できないんです。いろいろ試してみたけどどれもだめ。私が知らないだけで、何かいい方法があるのかもしれませんが。

 考えてみました。
 このコーヒーの木が植わっている所 土地は、痩せた、耕作にとても労力を要する所なんだろうなぁと。
 良くも悪くも、成長に時間がかかり、結果としてがっちりとしまった実になったんだろうなぁと。
 私の入れ方についてはひとまずおいておくとしても、買ってもらい続けるにはもっと改善が必要だと思います。だけど、このコーヒーはネパールの人たちが痩せた土地、困難を抱えながらも一生懸命作っているのはよくわかりました。

 こういうことが感じられるからやめられないんです。 

 ただ先ほど書いたように、私の好みは酸味より苦みの方なので今愛飲しているのは第3世界ショップの「エルドラド」というコーヒー。
 これは明るい少し甘みを持った苦みのあるコーヒーで、こくもあるし気に入ってます。

 フェアトレードの品々。これまでの経緯や縁があるのでなんとかネパリの品物を、と思い続けていました。
 たとえば衣類。
 ネパリの衣類は素材も色合いもとてもすてき。
だけど私用にと探してみると、サイズも含めてそもそも男物が少ないのでなかなか購入まで至らなくて。
 誕生日プレゼントにしたこともあります。けど「好みがある・・・」と言われたことがあって。そのときの衣類はネパリさんの物ではないときだったけどそれ以来どうもおっくうになってしまって。
 そんな経緯があったので、今回のコーヒーは 見つけた!と思ったんですけどねぇ。
 単品のガラムマサラもカタログ落ちしてしまったし。
 食べてなくなるものなら継続して購入できると思ったんだけど残念です。

太った!?   ほんとは痩せてきてるんだけどなぁ

 ついに・・・


 6月と12月。年二回行きたいと段取っている献血。
 今日(13日)仕事帰りに行ってみたら、この春変わった検査基準での血液検査がパスしなくてできませんでした。
 これですぐ貧血とか言うことではないとのことですが気にはなります。

 

 去年の春くらいから、ベルトの穴の位置が変わってきたり、ワイシャツの首周りに指が入るようになったり、足も小さくなるんですねぇ前より靴が緩くなったと感じることがあったりしていました。

 一番違いがわかったのが、チョッキでした。
前は、ボタンをかけると引き連れがでていた物が、楽々かけられて引き連れもなしだったのです。

 ちなみに今回献血センターで計ったら体重も約4Kg落ちていました。 

 それでも久しぶりに会う人には太った!?と言われてばかりで、ほんとは痩せてきてるんだけどなぁと思っていました。

 思うに、髪型と、今かけている眼鏡、レンズが小さめのデザインなので、それで相対的に顔が大きく感じられて(確かに日本人に典型的な大きい顔ではありますが)パット見太ったかのように見えているんじゃないかと思っていました。 

 ところが昨日、junjunの集まりで半年ぶりくらいに会った人から「痩せました!?」と言われたんです。久しくこんなことがなかったし、痩せることがいいこととは思ってはいないけどやっと事実がわかってもらえたかとうれしくなってしまいました。 

 ただねぇ、鍛えて引きしまったと言うよりは、食べてくれる相手がいなくて作る喜びも義務もなくて、かつ忙しかったり疲れたりすると、食べること事態が面倒というか大変なんですよね。
 こちらのせいじゃないかなと思うので、ほんとはよくないんでしょうね。
 朝も必ず何かは口に入れて出勤するようにはしているし、3食とるようにはしているんですけどね。

鮮やかになった、とぎすまされてきたような感じがするんです

 ペンギンカフェオーケストラのCDを手に入れました。
 LPの時代に購入し聴いていたので何年ぶりになるのでしょうか。

 初めて聴いたとき、こんな物でも楽器(音楽)になるのかとすごく新鮮に感じたその感覚を覚えています。
 今ならリズム(感)とわかりますが、音楽は楽器じゃないと思いましたね。

 ジャケットも、それまで目にしていたJazzのジャケットの格好良さとはまた別の、何か引かれる物がありました。(Jazzの方もこんな感じの物が全くなかったわけではありませんが) 


 ところで、今日こうして書いているのは、実は音が違って聞こえた、楽器編成にこんな楽器使われていたのかが聞こえてきてびっくりしたからなのです。

 元々機械物(この場合はオーディオと言うことになりますが)は好きな方でしたから今使っている物とは別の物ではありましたがそんなに悪い機械ではなかったと思います。

 アナログのLPとデジタルのCD(デジタルの方が絶対いいとは思っていませんが)の違いはあるかもしれません。

 でもそれ以上に何か違うんですよね。

何か、耳も含めて感覚全体が違ってきているというか。
何か鮮やかになった、とぎすまされてきたような感じがするんです。

 大音響で耳、聴覚細胞がダメージを受けてしまうと再生しない、と聞いていますし。肉体的には20年たてば20年30年たてば30歳をとっている訳なのにどうしてと思うんですけどねぇ。

 考えられるのは二つかなぁ。

 一つは、普段、たとえばテレビの音を絞っていること。
よく聞こえるようにと大きくするのではなく、逆に絞る・小さくすることによって耳が聞き取ろうとする聞き分けようとしているように思います。

 もう一つ、こちらの方が大きいと思います。
 実際に楽器をたくさん聞くこと、いろんなシュチエーションで楽器になれること目にすること、体験することだと思います。
 そうすることで聞こえてくる(見えてくる)んです。

これが大きいかなぁ。

1‐14‐28 明日は キベラ




明日はいよいよキベラのマゴソスクール訪問。


 説明によると(イメージ的にはピントこないけれど)、このホテルからも近く、町で働くにも歩いての通勤圏内という話。その近接さに少し驚きました。




 キベラに入るときは案内の人の他に私服警官のガードが就くとの由。
 念のためということのようですが。

 今日ここに至る何年かのことや、参加を申し込むときから聴いてはいたことだけれど改めてこの説明を聞き、いよいよという気持ち 期待とともに緊張感も高まってきます。

緊張の日々で調子がおかしくなってしまいました。

 やっと終わりました。

そう思おうとすること自体がもう駄目なんだとわかっているんですが…

 昨年まで配属になっていたところに2週間支援に行っていました。
話があってからの約3週間というもの、緊張するはいろんな場面を想像してしまうはで大変でした。
 異動の理由が理由。仕方も仕方でしたからねぇ。ちょうど一年。調子もよくなったかなぁと感謝していたのですが…
 おかげで不眠がぶり返してしまって、これからが心配です。


 今は、仲間と会ったり映画を観に行ったりコンサートや レッスンに行ったり、今朝は久しぶりに庭の木々に手を入れたり、朝わざとゆっくりして疲れを取ろうとしたり。大変です。
 考えもまとめられなくてスピーカーズコーナーの更新もすっかりご無沙汰してしまいましたしね。

 でも私が生きたあかしとしても口に出さなければなんにも残らないのでだんだん元にもどるようにします。

 おまもりください

科学の進歩がより神の存在を確信させてくれる

 キルタン・バジャイ・コンサートでは、寺院に詣る時そして寺院で日常奉じられている音楽が紹介されました。
 当然ながらヒンズー教の たくさんの神様がたたえられ祈られている音楽、説明でした。

 

 たくさんの神様

 たとえば 不安な夜をしのぎ朝になり 朝日を見た時思わず頭を下げる気持ちよくわかります。自然の営みに接していると確かに人知を越えた尊いことを感じ、文化によってはそれを神に結びつけることもあるだろうなぁと。

 でも神様ってそんなに大勢居るものなの!?と私は思っちゃいます。
 私の神は唯一の存在であり、すべてのその奥にいる神なのです。

 そういう確信を感じられるようになったのは、様々な出来事に遭遇し なぜ!と思ったり できれば感じないですめばと願ったりもした体験の故です。
 大変だったし失うものもたくさんあったけど、そのおかげで得るもの わかるようになったこともたくさん。
 そのおかげで今の私があるわけだし。
 でもその深淵に私自身が直接体験したことだけでなくこんなことも大きく影響しています。

   (おことわり・原本に当たってはいません)
 それに学び後にそれを発展させたマルクスは、へーゲル哲学を高く評価しながらも人類の誕生を含めすべての事象、宇宙の誕生のきっかけの“最初の一撃”を神に求めたところに時代的限界、弱点があると指摘しました。
 へーゲル個人の人間的限界ではなく、時代の進歩がまだそこまでだったのだと指摘したのです。

 今時代は、科学は、そのころよりも格段に進歩しました。以前はここまでと思っていたことが、研究・仮説・実証の中でその先にまで踏み出しています。
 すごい進歩だと思います。

 でもそれで神は居なくなったのか?と問うてみると逆にいっそう神の存在を感じてしまうのです。私は。
 これほどまでのことは人間業ではない、神業だと

 これは観ました。
 「大草原の中の小さな家」その中のどの回だったか失念してしまいましたが、ローラがおじさん(おじいさん)に出会います。森の中、その前後経緯は覚えていませんが、清流に足を踏み入れ流れの中の石を見て話します。人間・科学の進歩で様々なことが解き明かされてきた、それはすばらしいこと、でも神様は居なくなったのではない。そう話しながら流れの中の石に手を伸ばし裏がえすようにして少し持ち上げ言います「神はこの後ろにいるんだよ」と。

 そうなんだ! 私は感動しました。
 同じようなことを思っていました。でもこれほどまでに分かりやすい言葉で、映像で見せてもらえるとは。
 すとんと腑に落ちました。ほんとにすっきりしました。
 大事なこと、真理をこんなに分かりやすく伝える発想と技術に敬服します。

 話は飛びますけど、大草原だけでなく、たとえばセサミでもそうですし大スターといわれる人でも結構“子ども番組”に出演するんですよ。それも真摯な態度で。いいことですよね。元々 子どもでも観られる番組はあっても“子ども(だまし)の番組”はそんな言葉も含めて向こう(この場合はアメリカ合衆国)にはないんでしょうね。
 観ているとはッとするときが結構あります。