2012年10月30日火曜日

k つまらない人間でなければいいんです


 “まじめ”と聞いて受ける印象はどうでしょう。

 私は結構いい印象ですけどね。誠実っていうことかなと思って。

 だけど一般的にはどうなのかなぁ。

もちろん知ってますけど。

 

 
 
 一般的にはあんまりなのかなぁ。特に頭に一言ついて“まじめ人間”なんてなると。

私は人間としての美徳じゃないかとも思うんですけどね。

 

 まじめ=つまらない じゃないんですから、ようは 人間としてつまらない かどうかだと思うんですよね。

 

 この考えと言うか、想いを伝えたい、知ってもらいたい対象が頭にあるからこんなことを思ったんだけど、私も気を付けます。

2012年10月29日月曜日

ジャクソンさんに会ってきました


ケニアでお世話になったジャクソンさんに会ってきました。

会場となった山形県上山市の蔵王温泉のホテルまで片道約200㎞。地図上でこちらの方が近いと思った行は約4時間。帰りは少し遠回りになるけど高速を使って約3時間の運転。朝から一日中雨降りで決して楽ではなかったけれどケニアまで行くことを思えばね。

久しぶりのジャクソンさん永松さん早川さん大西さん。

ジャクソンさんはちょっとぽっちゃりしたかな? 永松さんはパツパツだったのが少しやせた?大西さんは変わらないにこやかな感じ。人柄かなぁ。

早川さんはマゴソの給食のことなどでの苦労があるのかな。

でもみんな一生懸命ですよ。食と教育が大切と、一生懸命なのがよく伝わってきました。

 

物品販売はいつもより種類も数も多め。

今回の受け入れグループが普段から支援活動をしていて品物の販売もおこなっているアマニ・ヤ・アフリカだったということも関係していたのかもしれません。

ただアマニヤは仙台のグループ。だけど会場は山形。

仙台からきている人もいるんだろうけど、参加者も含めてそれなりのメンバーがここ山形にもいるということですよね。連絡先はアマ二・ヤ・アフリカ山形。

素晴らしい。

新潟だとどうなのかなぁと考えてしまいました。

言っておきますけど、新潟でもやってきたんですよ。私が一番最初にマゴソを知ったときはラスペックのボランティアグループが受け入れを準備して200人前後も集まったでしょうか。

エッどういう縁!と思った太鼓の仲間が準備してくれた時もありました。

そう思うと、私に話が来たら、と言うことなんでしょうかね。

 

行って何するのと問われればはっきりこれをと言うことがあるわけではありませんけど、この春のリリアンさんの時はどうにもやりくりがつかず会いに行くことができなかったから自分としては満足しました。

2012年10月23日火曜日

夢がほんとになるの?



「夢もいろいろ」

 5歳の息子が引いた小吉のおみくじには「夢が実現する」と。

夜中になって息子のシクシク泣く声が聞こえてきた。

怖い夢を見たらしい。       
           
                     (リライトしました)

読売新聞・日曜版  2005424日 わが家のあたしんち  より

2012年10月21日日曜日

辺野古の浜の監視カメラ


辺野古の海、争いと平和を隔てている“世界で一番美しいフェンス”をいろんな角度から写真に収めていて見つけてしまいました。

監視カメラです。

だれが、どこのグループが、何人くらい来て、何をするかを逐次監視しているのでしょう。

“武器”を持たない私たちを、圧倒的な武力をもっている人たちが恐れているという証でしょう。

 

こんなエピソードを思い出しました。

ベトナム戦争の時アメリカ合衆国は南ベトナムのあちこちに基地を置きベトナムの人たちを抑圧・監視していました。

けれど実際のところは、あちこちにおかれたアメリカ合衆国軍の基地の方を周りにいたすべてのベトナムの人たちがいつも取り囲み見張っていたのだという。

 

ここの監視カメラも私たちを監視しているようで、実は平和を望む世界中の人たちの方がそのレンズの向こうを逆に監視しているということを知るべきだと思いました。

2012年10月20日土曜日

1-16-2’ テーマも見えてきたし、いい出会いのいっぱいあったいい旅でした。


横になって思いました。

すぎてしまえば アッ と言う間。

 

一回目でしたから見て回りました。

“見て回った”だからほんと見学でした。次は今回の経験をもとにもっと深くと思っています。

そのテーマが少し見えてきた旅でした。

 

いずれにしてもいい出会いがいっぱい。次につながる良い旅だったと感じています。

1-16-2 荷造り お土産のスペースがなくて大変です


昨夜は各自部屋で荷造りに悪戦苦闘したことだと思います。

 

今回はこれまでの経験で荷物をずいぶん抑えました。
 うまくなったと思います。ハードタイプの大きいスーツケースを使わず、山で使うザックで済んだし。
 本当に必要なものを見極められるようになったんでしょうね。衣類は宿舎で洗濯してたし。

 

だけどこちらで手に入れたものをおさめるスペースが少なかった。
ほとんどピッタリだったかもしれません。
 運営資金を集めるためのマゴソのバザーに品物を出してお土産のスペースを開ける手はずだったのに、衣類を少し出しただけ。そもそも荷物を減らしてたから出すものがありませんでした。結果としてこちらで買い込んだものをもぐりこませる新たなスペースが生まれなかったというわけです。

 

ザック・イン・ザック式で荷物を持ってきたので、大きなザックから小さなザックを出して独立して使うことにしたり。形がつぶれないようにと言う意味も込めてインドのお弁当箱の中に衣類をギュッと詰め込んだりしてやっと荷造りしました。

収まらなかったら飛行機に乗るときどうしようかと大汗をかきながら。

 

結構時間がかかって何時になってしまったでしょう。
 明日は長い一日になるから寝ておかなくちゃとあわただしくナイロビ最後の夜の眠りにつきました。

2012年10月15日月曜日

1-16-1 最後の朝食  昨日は美味しかったのになぁ


ケニアで迎える最後の朝です。
ホテルのビュッフェ形式の朝食もこれで最後。
私が行ったときはすでにビジネスマン風の人と軍人さんが食事をしていました。

 
このホテル結構軍人さんが宿泊しているようです。短い休暇なのか、それともどこかへ移動の途中なのでしょうか。
 駐車場に止まっている車両は使い込んだディフェンダー。(かっこいい!) 
見た感じ公用車でしたからやはり移動の途中なのかな?

 
 
 
 
 さて肝心の食事。
 昨日のスクランブルエッグはなかなかおいしかったので今朝も注文してみました。
 ところが、今朝はコックさんが別なのでしょうか、ずいぶん違います。悪い方へ。

2012年10月13日土曜日

サムワン・トゥ・ウォッチ・オーバー・ミー  !?


いよいよ明日・明後日が本番です。

それが終わったからって全部が終わったわけじゃなくて翌週にはまた別の催しが。その後にもまた別の催しが…  そんなだからこのところ相当に疲れがたまっています。結構危ない感じかなぁ。

それでも、一つづつ準備(作業)が終わっていくとその分少しづつ楽になってきてますけどね。

 

先日の土日は台風のせいでなかなか自分の思うように進みませんでした。

連休前夜、このたびの連休は「疲れているからゆっくりするか、それとも疲れているからこそ気分転換にどこかにドライブするか」いろいろ選択肢があるけどどうしようかな… そんなことを考えながら横になりました。

 ところが、時間で言うと夜中の2時半くらいに目が覚めてその後寝られなかったんです。

夜中に目が覚めるということはこれまでもあったけど、その後寝られないなんてことはまずなかったんですけどねぇ。何かあるのかなぁと考えてしまいました。 

 

実は以前にも一度、夜中に目が覚めてどうしたのかなぁと思った夜がありました。
 その半月程前から、100%納得してというわけではありませんでしたけれど母親がターミナルに入っていたんです。
 その目が覚めた日は、結果として母親が亡くなった朝と言うか夜中だったんです。
 時間も、後でいろいろ聞いていると母が亡くなる少し前でした。
 会いに来たのかなぁなんて思っています。
 私、どちらかと言うと敏感な方だと思っています。こういうことってあると思うんですよね。 だからこの度もどこかで私に縁のある人が何かしてたのかなぁなんて思っています。 

 
 

身体は疲れているのに、頭がさえ眠気が完全になくなりました。

先日行きそびれた魚沼のコスモスの丘に行くにしても、睡眠不足ではなおさら駄目だよなぁと思いましたけどどうしようもありません。

目を閉じているだけでも疲れが取れるからとも思ったけど、もうこうなったら本でも読もうと思って枕元のスタンドライトをつけて「レイ・ブラッドベリ自作を語る」を読みました。まだ途中までですが、よく言えば才能豊か、自己・個性豊か。関心は多方面に及び、造詣も深い。そして生い立ち、周りの人、エピソード。ある章では面倒をいとわない生真面目さを感じています。

 

頭はボーっと重い感じがしていたけど、周りが明るく朝になるころ、気力的にはみなぎってきて「よし出かけるぞ!」と決めました。
こんな体調なので運転に気を付けなければいけないけれど、魚沼のコスモスの丘まで出かけることにしました。

 ルートは先日の三条楽音祭の会場となった下田・ヒメサユリ森林公園の近くを抜け栃尾へ。その先峠道を走り魚沼・入広瀬のコスモスの丘を目指しました。
 道の脇にはサルビアやマリーゴールド 曼珠沙華が咲いています。でも一番元気のいいのはススキ。こんな感じでは行ってもコスモスは終わってるかなぁ?と思いながら車を走らせます。

水色の300TEはソフトな乗り心地でいい調子。ただ私の事だからちょっとした行き違いはいつものように。 
 

 そうやってたどり着いた高原は一面“われもこう”が群生しています。
 丘と空との感じからするとここだと思ったんだけどもう何年も前のことだから違ったのかと思い直して先へ進みます。
 だけどコスモスは全然咲いてないし景色が記憶とどんどん違ってくる。どうやら われもこう の群生と見えたのが終わってしまったコスモスだったようです。

時期がずれたので、一面のコスモスが見られるとは思っていなかったけど全然ないとはねぇ。残念。 
 

 それでも、これから冬に向かって貴重な好い天気の日だったし、思い切って出かけて満足しました。

 
 

それにしてもなんであの時間に目が覚めたのでしょう、なんでその後全然眠れなかったのでしょう。
 どこかで誰かが私の事を思っていてくれたのでしょうか。

サムワン・トゥ・ウォッチ・オーバー・ミー

2012年10月8日月曜日

1-15-0 お土産を買いにウチミまで


朝食の後、キベラへ出発するまでの時間を利用してウチミまで買い出しに。

塩、栓抜き、スパイスケース。 お土産用に下見しておいた小物類を買い込みます。

エクステンションも見つけました。
いやぁたくさん種類がありましたよ。
 ただし、それらを見ていて私の好みはよりウイッグに寄っているとはっきりしたので、これは見送ることにします。

 

在庫限り!! 
赤字で1,200ケニアシリングが400ケニアシリングに値引きされていた取っ手の付いた4段重ねのインドのお弁当箱を、予定外だったけど思い切って買うことにします。

 
 
エナイボルク村で、すごく重宝していたアルミ製の桶も、大きいのから小さいのまで様々なサイズで見つけました。

大きいのはこれがまた、叩くといい音を出すもんだからほしいなぁと思ったけれど、どうやって持ち帰るのかと自問してさすがに思いとどまりました。

 
 

幸いなことにアクシデントに遭遇しなかったからこんなことを言ってられるんだろうけど、街()や人(店員)にもだいぶ慣れたかな!? 
 やり取りも、もっと言葉ができれば今より深いやり取りができるのでしょうけど、まぁ足ります。

他人の犠牲によってなるものは幸せでも正義でもなんでもない


「オバー自慢の爆弾鍋」の楽天性、へこたれない柔軟性のことを書いたせいも多少あるのかこのところまたウチナージャズを聴いています。

どこか懐かしい、角のない、聞いていて和む演奏 音作り。きっと演奏している人たちが 穏やかな人たちなんだろうなぁと思いが至りました。(もちろん、沖縄だって穏やかなひとたちばかりでないことはわかるし、他所にだって穏やかな人がたくさんいることはわかっています。)

 直近のオスプレイのことを始め、辛く 悔しいことがたくさんあるだろうに。

もしかしたら、痛みを感じている故に他の人の傷みがよくわかるのでしょうね。

 
  そんなことを思うとはなしに思っていて「はッ」と頭に鮮やかによみがえってきた言葉があります。
   それは
「ほかの犠牲の上に成り立っているものはなくさなくてはいけない」  と言う言葉。

間違いなくそれ以前からそういう認識 言葉はあったと思うけれど「ほかの犠牲の上に成り立っているものはなくさなくてはいけない」。言うなれば「誰か(どこか)の犠牲の上に成り立っている正義、幸せはない」という短い言葉は、私の心にあったこと、目の前の出来事を短い言葉でどう判断したらいいかを明確にしてくれたと思いました。

       


そういう視点でこの度のオスプレイのことをもう一度考えてみると沖縄の犠牲で一段落とさせてはいけないと改めて思いました。

 まあこの度のことは山口の岩国にもいたし飛行訓練ルートは日本中にあるのでより問題が沖縄の事だけじゃないと鮮明になったと思いますけど。

 

ビキニ集会の時に「だれも広島と長崎の責任を取っていない。だからビキニ・第五福竜丸が起こり、福島が繰り返された。」と言う言葉を聞きました。

そうすることも必要だったとも思うけれど、広島と長崎を象徴とすることによって私たちはそこで思考を行動を停止していたのかもしれないなぁと思いました。

 “象徴として忘れない、けれど他所は別”としてしまっていなかっただろうか。だから繰り返してしまったのかもしれないこの度の福島。

問題を、他人の傷みを、自分の事として真剣に考えないとどうなるかをこの度の福島第1原発の事故が突き付けたと思いました。

 

話しが唐突に飛ぶ印象でしょうが、神様はあのパウロにも足の不自由を与えました。
そして、こんな私にさえも。
辛いし大変だし、この傷みを何とか取り去ってくださいと願ったことも何度あったことか。

 でも、そのおかげでほんの、ほんとに少しだけれど前よりは人になれたんだと感謝して受け入れているつもりでいます。

2012年10月3日水曜日

“国” は負けても 一人一人は負けてません !!


ついにオスプレイが普天間に持ち込まれました。(2012201)

アメリカ合衆国と言う国は、話し合いのできる相手ではないということがこの度の事でもまたはっきりしました。

 

ちゃんと窓口を設けて対等な関係で話し合うという関係ではなく、宗主国と「植民地」の関係ですよね。

相談するとか、ましてや同意をもらうなんてことを必要と思っていない。その発想すらしない、日本政府を見下した態度ですよね。

でも、国は見下され対等な相手とみなされていなくても、抗議をやめない沖縄の人たちはこの度も負けていませんねぇ。

 

市井の人たちが“負けていない”ということは「オバー自慢の爆弾鍋」を聴くだけでも強く感じます。

沖縄平和ツアー一日目の交流会で、すごく楽しい乗りのいい曲を耳にしました。

耳に残った“オジーィ自慢のオリオンビール”を頼りに曲名、そして歌っている人(グループ)を尋ねました。

 

いろいろな経緯を経てようやく手にしたCDを繰り返し聞いてみたら、交流会の時はただ楽しく聴かせてもらっただけの「オジー自慢のオリオンビール」の歌詞が、大きな困難に直面した時の男の不甲斐なさ、悲哀を感じさせるような内容だったのでちょっとびっくり。 (歌詞からは同時に、決して全否定ではないし、歌・音楽で辛さに耐えている姿の見える暖かさを感じますが。)

それ以上にびっくりしたのは、同じCDに収められていた「オバーの爆弾鍋」を聞いたとき。

日本(軍隊)は戦争には負けた。アメリカ合衆国の軍隊に占領された。

でもそのアメリカ合衆国の爆撃機が落とした爆弾・不発弾で煮炊きする鍋を作った。

「女手一つで屋台を始めてこの店も 今は食堂 この鍋で次男は大学行かしたど ~ 学も遊ぶもまずはご飯を食べてから 栄養栄養心にも まずは栄養つけてから ~  

アメリカ兵隊もひもじい人なら大歓迎 だけどオバーの爆弾で満腹轟沈させようね ~ 」 だって。

負けてませんよね

国は負けても、人は負けてませんね(特に女性・母親)

 

この度のことは、「アメリカ合衆国と言う国はこういう国なんだ」という思いを一層強くさせられる一連の対応でしたね。

最後に今一度言っておきますが、この度オスプレイが日本・沖縄に来たことには同意していませんからね。

みんなが嫌だ!と反対したのに、一切構わず勝手に押し切ったんですからね。