いよいよ明日・明後日が本番です。
それが終わったからって全部が終わったわけじゃなくて翌週にはまた別の催しが。その後にもまた別の催しが… そんなだからこのところ相当に疲れがたまっています。結構危ない感じかなぁ。
それでも、一つづつ準備(作業)が終わっていくとその分少しづつ楽になってきてますけどね。
先日の土日は台風のせいでなかなか自分の思うように進みませんでした。
連休前夜、このたびの連休は「疲れているからゆっくりするか、それとも疲れているからこそ気分転換にどこかにドライブするか」いろいろ選択肢があるけどどうしようかな… そんなことを考えながら横になりました。
夜中に目が覚めるということはこれまでもあったけど、その後寝られないなんてことはまずなかったんですけどねぇ。何かあるのかなぁと考えてしまいました。
実は以前にも一度、夜中に目が覚めてどうしたのかなぁと思った夜がありました。
その半月程前から、100%納得してというわけではありませんでしたけれど母親がターミナルに入っていたんです。その目が覚めた日は、結果として母親が亡くなった朝と言うか夜中だったんです。
時間も、後でいろいろ聞いていると母が亡くなる少し前でした。
会いに来たのかなぁなんて思っています。
私、どちらかと言うと敏感な方だと思っています。こういうことってあると思うんですよね。 だからこの度もどこかで私に縁のある人が何かしてたのかなぁなんて思っています。
身体は疲れているのに、頭がさえ眠気が完全になくなりました。
先日行きそびれた魚沼のコスモスの丘に行くにしても、睡眠不足ではなおさら駄目だよなぁと思いましたけどどうしようもありません。
目を閉じているだけでも疲れが取れるからとも思ったけど、もうこうなったら本でも読もうと思って枕元のスタンドライトをつけて「レイ・ブラッドベリ自作を語る」を読みました。まだ途中までですが、よく言えば才能豊か、自己・個性豊か。関心は多方面に及び、造詣も深い。そして生い立ち、周りの人、エピソード。ある章では面倒をいとわない生真面目さを感じています。
頭はボーっと重い感じがしていたけど、周りが明るく朝になるころ、気力的にはみなぎってきて「よし出かけるぞ!」と決めました。
こんな体調なので運転に気を付けなければいけないけれど、魚沼のコスモスの丘まで出かけることにしました。
水色の300TEはソフトな乗り心地でいい調子。ただ私の事だからちょっとした行き違いはいつものように。
そうやってたどり着いた高原は一面“われもこう”が群生しています。
丘と空との感じからするとここだと思ったんだけどもう何年も前のことだから違ったのかと思い直して先へ進みます。
だけどコスモスは全然咲いてないし景色が記憶とどんどん違ってくる。どうやら われもこう の群生と見えたのが終わってしまったコスモスだったようです。
時期がずれたので、一面のコスモスが見られるとは思っていなかったけど全然ないとはねぇ。残念。
それでも、これから冬に向かって貴重な好い天気の日だったし、思い切って出かけて満足しました。
それにしてもなんであの時間に目が覚めたのでしょう、なんでその後全然眠れなかったのでしょう。
どこかで誰かが私の事を思っていてくれたのでしょうか。
サムワン・トゥ・ウォッチ・オーバー・ミー
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