2014年4月28日月曜日

3.11  しばらく“音楽”が演奏できなかった に共感します  おんなじですよ それほどの出来事だったんですよ


たくさんあった 311に関連する番組の中で強く印象に残っている番組がもう一つあります。

縁があったんだと思います。 
まさかこの番組にまで311が出てくるとは思いもしませんでした。

   その番組とは、「世界一ドラム缶をたたく人々  」と題してスティールパン発祥の地トリニダード・トバコを一人のミュージシャンが訪ねる形で展開する番組です。


“スティールパン”は前から知っていました。

 その音色に魅かれCDも持っていましたし、まれにこちらにもやって来るグループのライブやスキヤキミィーツザワールドのコンサートを聴きに行ったりしていました。
買ってどうするの?ほんとに使うの?なんて問い聞かせて思いとどまっていますけど次にほしい楽器候補の一つでもありました。

そんな私でしたので、番組紹介をたまたま目にしてこれはぜひ観なくちゃッと思ったわけです。
 

番組は、トリニダードでのスティールパンの楽しまれ方、誕生までのいきさつ、ほんのさわりだけれど作るところ等楽しめたし収穫がたくさんありました。
何より、製作過程を紹介する場面で目にすることのできた音階の割り振りは幸いでした。

 
 さて。番組ではこのミュージシャンが冒頭、問わず語りに311の後誰に言われたというわけではなかったけれど音楽活動を“自粛”したことを口にするのです。

これでよかったのか。

自分ももっと有名な音楽家だったならすぐにでも自分のできること=音楽(活動)が、支援活動として許されたかもしれない。でも自分は“自粛”、あまりにも多くの人が亡くなり演奏することさえできなかった、と。

そして、地元(トリニダードトバコ)のミュージシャン(この場合は愛好家のニュアンス)に、多くの人が亡くなったりしてつらくて音楽ができないということはないですか、と問うのですが、そこがすごく印象に残っています。

大震災・津波後、まだ余震が頻発する時期に現地に行き、繰り返し放映される津波の映像を目にして私自身具合が悪く、このミュージシャンの大震災後自分の中では音楽どころでなかったというのはよく理解できるし私の周りでも同様の人が結構いたもんだからその気持ちに共感しました。

2014年4月22日火曜日

1‐17‐8 少し長めのクランキングの後目覚めてくれました


寒い冬場に10日も止めておいたから少し心配しましたけどキーを回したら、思わせぶりに少し長めにクランキングした後無事エンジンがかかってくれました。

ハンドル操作や車両感覚が少ししっくりきません。こんなに長い間全然運転しないということはありませんでしたものねぇ。懐かしく嬉しいような、また一段と現実に戻ったような感じというか。仕方ないと言え、もっとずっと旅をつづけていられたらなぁと改めて思います。

 

2時過ぎ、無事家につくことができました。

片付けは後にするとして、とにかく家に荷物を運び込むだけ運び込みます。

 身が引き締まるような空気()で何か目がさえてしまったけれど、まずは寝なくちゃ。

ボストンマラソンの開催と3・11


ボストンマラソンの開催を支持します。

海外のマラソン大会の中でもボストンマラソンというと日系のゴーマン夫人の存在もあり私のような人間にもなじみ深い大会です。

テロで大変な大会になった昨年から一年、今年も途切れることなく今日開催されました。

警備も新たなテロを許さないように相当に強化されたようです。

誰もが程度の差こそあれ昨年のことを思い何らかの不安を感じたと思います。けど、参加ランナーは昨年よりも逆に9,000人も多く、100万ともいわれる沿道の人々も決してテロには負けないとの意識でボストンマラソンを成功させたのです。

遠く離れたこの地からもその思いへの共感を表明します。

 

そして3.11東日本大震災との共通するものを感じます。

塩釜多賀城に支援に行ったとき、神戸から来た人が阪神淡路大震災の体験からの“早く日常を取り戻すことの大切さ”を提案をしていました。

一度(一年)も間をあけることなく開催したボストンマラソン。そんな経緯からもほんとによかった。

2014年4月21日月曜日

立憲主義と憲法9条を守る新潟県民の集い(3月29日)4/6  その時になって主張は通るんですか


今争点となっている 集団的自衛権の問題。
 時がたてばたつほど反対の割合が高まってきている国民の意識調査に対して安倍政権はつじつま合わせの苦しい言い訳をしているとしか見えません。
一度集団的自衛権の立場を選択したのち、いざその時になって改めて参戦するかどうかの選択をさせてもらえるものなんでしょうか。日本に直接関係のある地域そして時だけしか行きませんなんてことが通るものなんでしょうか。


日米安保条約、外圧によってのなし崩し的なもので充分に危なくなってきていると感じています。それでも平和憲法によってこれまで何とか直接の介入の形を取らずに来ていました。そのおかげで、紛争当事国へ出兵している国々などよりはるかにテロの標的になる危険は低かったと思います。その条件を生かして日本こそ紛争の鎮静化、平和を目指して行動すべきだと思っています。
以前日本の政府・マスコミ情報では世界中がそう言っているかのように「日本はお金は出すけど人は出さにない国」と誘導がなされたことがありました。確かにそのようにいう人はいたかもしれない。でも世界にそのような考え方だけだったんでしょうか、大いに疑問、そうとは思いません。戦争遂行のためにお金を出すということだけでもよくないと思うけど、日本は破壊と人殺しに加担しませんそのための人は出しませんと主張すべきだとさえ思いました。
でも「集団的自衛権」の立場を選択してしまい公然とアメリカ合衆国軍とともに戦争・破壊・人殺しをするということになると、第2次世界大戦後日本はどことも(直接)戦争をしていない戦死者を出していない、私たちに銃弾を撃ってこない国という評価・信頼を無くしてしまうと思います。これは日本のためだけでなく世界の平和のためにももったいないことだと思います。

 

追伸1
その方面に詳しい人の話による、集団的自衛権で紛争に直接かかわることになったら「新幹線 電気 水はもちろん、原発でさえ少し前に訓練を受けた傭員からなる特殊部隊が各原発に常時配備の体制になったレベルの日本のインフラ危機管理の状態ではテロに対応できない。」
納得できます。

追伸2
「鉄砲は撃っていない、ただ燃料を補給しただけ兵隊を運んだだけ。」
 これ戦争遂行に欠かせない兵站行動でしょう。

追伸3
イラク戦争の時、小泉首相は「サマーワは戦争状態の地域ではない。それは(なぜか)紛争地帯にはいかないことになっている自衛隊が行くということはそこが戦争状態ではないということだからだ。」
ついていけません。

2014年4月20日日曜日

白河・浪江・三沢 帰ってきました



エンジンキーを切り目をやった時計の指す時刻は、日をまたいで既に日曜になっていましたが無事帰ってくることができました。

木曜朝出かけて、白河で、ジャクソンさんたちに再開 念願のアウシュビッツ記念博物館を初めて訪問。併設されている原発資料館、避難している人からもお話を訊くことができ。翌日には、ここから先立ち入り禁止のゲート前に行き、禁止区域に沿いながら進み、報道に何度も取り上げられた“子供の姿も嬌声の一つも聞こえない学校”避難住宅や住民がいなくなった後の不審者・地域警備の自警団の人除染作業の人等々の視線を強く感じて。日本もこんなに遠い(広い)のかと実感しながら北上。昨年縁がなくて行きそびれていた青森は三沢の米軍基地を望み、ゲート前まで行ってきました。

 青森では、ちょうど沖縄で見聞きした事と同様のことがあり、基地の存在を考えると必然だったのかもしれない一致に驚くとともに改めて考えさせられてきました。

 肉体的には(精神的にも)楽な内容の旅とは言えませんでしたけどそれ得るものが多く、満足する旅となりました。書くこと、書かなければいけないことがたくさん生まれました。

2014年4月14日月曜日

立憲主義と憲法9条を守る新潟県民の集い(3月29日)3/6  安倍さんが気づかせてくれたもの


いくら思うようにならないからと言って、普通の法律とは別格の憲法を軽々しくも解釈だけでどうにかしてしまおうなんて見当違いも甚だしい安倍さんの行動に関しては96条の時にもまして広範な人が口を開きだしているので、心ある人はそれらに耳を開き賛同の意を示してもらうとして今日はちょっと別のこと。

 

いまさらとかそんなことも知らなかったのと言われると言い返すこともできませんが、実は昨年96条に関しての色々な人の話を改めて聞くまで私は、憲法は国民を守るものだとずっと思ってきました。 

それは朝日訴訟をはじめとしていくつもの生活権 人権闘争のことを多少なりとも知っている身として、戦いの進め方 根拠として幸福で最低限の生活はこの憲法が保障してくれているんだ守っていてくれるんだという視点だったようにとらえていたからなのです。

 

 それも確かにそうだし間違いではないと思うのですが、この間 憲法は権力者を縛る 権力者にタガをはめるものだ という発言を耳にしてはっとしました。

 王様皇帝…いろんな権力者の呼び方がありますけど(でも自分で自分を神だと言うのは日本だけじゃないのかな)時代が進むにつれてただ兵隊を持っているとかだけではなく、なぜ王権を持っているのかの説明をしなくちゃならなくなったり(王権神授説)王様は王様のままなんだけどその権限の履行に際しては王様個人の勝手が許されなくなる、まさにタガをはめられるということでしょうか立憲君主制になったり、と社会は変わってきたわけです。

 

人類が長い年月の中で勝ち取ってきたものの中の一つが“憲法”という宝物なのだ。

そう思うと、生きていくうえでの人権とか生命生活にかかわることはこの憲法の精神にのっとってもっともっと主張要求してもいいことだったんだと気づかされました。

 

現行の“選挙制度”の弊害の結果でしかない現在の国会内での多数派形成。でも国会内においては多数派は多数派なんですよね。それなのにやりたいことが思うようにいかない現状には頭を抱えているでしょうねぇ。

それは、安倍さんの国の内外で言っていることやっていること実際が違っているということ、その矛盾がいよいよだれの目にも明らかに、そして大きくなってきているからに他ならない帰結でしょうね。

 

 安倍さんのおかげで私も含めて多くの人がいろんなことに気付かせてもらいました。そのことに関しては感謝しなければいけない?

良い講演 演者 とは


三上満さん

このところ立て続けにいろんな人の講演を聞く機会がありました。その講演を比較してみて“いい講演・演者”というのは、話し方口調も含めて内容が伴うというのはもちろん当然のことですが、それにプラスして、時間どうりに終わるというのも結構大きな基準かなぁということに思い至りました。

 そのあたりを踏まえて直近44人の講演・演者を振り返ってみると、その中での一番は笑ヨガの先生のかなぁ。

その笑ヨガは共同組織研修交流集会(326)の中の一つの企画としてのものでした。

講師は人前での“笑ヨガ”に若干の抵抗のある人にも配慮しながら上手にリード。終わりのころはもう少し延長してもらってもと思うほど会場全体が盛り上がりました。参加者はもっと知りたいやってみたい気持ちになっていましたから、とてもいい内容・講演だったと言えます。

けど持ち時間でぴたりと終りました。

それと比較しての先日の第2回立憲主義と憲法9条を守る新潟県民の集い(329)での渡辺治さんの講演は、中身は良いんだけど時間を相当に延長してしまいました。これには運営の側は困ったと思いますよ。

講演の後のパレード(デモ)の時間は届け出をしてのものでしたし、“警備”に当たる警察も参加者の予定というものも全部狂ってしまいましたからね。本人は熱が入ってということなのかもしれないけれどやはりこれはまずいんじゃないかなぁ。段取りというものがあるんだからやはりそれは尊重しなければと思います。

学術運動集会(412)での三上満さんの講演は、場馴れているというか口調も好ましく紹介されるエピソードのどれもが琴線に響くものでした。昔はその側にいた人ですから、運営する側の人のこともよくわかってというか、主催者側の趣旨に沿った講演内容終わり方でよかったと思います。

福島原発事故から3年・原発問題を考える市民の集い(316)での堀潤さんもその点ではしっかりしていました。講演内容はいろいろな示唆に富んでいた上に、会の進行上も非常にスムーズに運んだと思います。

この時話された数々のことはいずれもほんとに示唆に富んだものでした。

2014年4月13日日曜日

立憲主義と憲法9条を守る新潟県民の集い(3月29日) 2/6  今度は“解釈”でですか


立場 経歴は違うけど その真摯な態度には敬服する小池加茂市長
講師(渡辺治一橋大学名誉教授)による熱の入った話。裏付け資料、一覧で見せてもらったここ20年ほど執拗に繰り返されている戦争のできる国にしてしまおうという企みは、60年安保に向けて双方の運動の高まった時を第1とすれば第2の大きな波にあたるという話しは、なるほどと納得する話しでした。


   話は当日の集まりのことから少し飛んでしまいますけど。
 

このたびの政府・安倍首相の“解釈し直し”は 、そのものに手を付けるのではなくて憲法を自分の都合のいいように解釈しなおすだけで、わざとそこまでにして 戦争・人殺しのできるようにしてしまおうという目論見にほかなりません。昨年の。憲法改定の手続きを規定している96(憲法というのは普通の法律とは全く別のものなのであえてハードル高く、一般の法律とは別の進め方が規定されている。単純多数決ではなく国会の23 以上の同意を得た上で次に国民投票に進むという規定。)を自分に都合のいいようにまず変えようとしたのに対して、平和憲法改憲の立場をとる人の間からも異議を唱えられてしまって頓挫したのに懲りてか、一内閣での解釈し直しだけで自分の思いを通そうとするやり方できたにほかなりません。

 

昨年の96条にしろこのたびの解釈で何でもできるにしろ、まあ安倍さんに関してこういうのは初めてのことではありませんけどひどいものだと思います。

数年ぶりに参加できた集会 と 引いてはいけない“線引き” について


18回目となるNM学術運動交流集会に参加してきました。(2014412)

この取り組みは、わざわざ一日特別休診体制にしてより多くの関係者が参加できるようにと位置づけられる大きな取組です。思えばここ数年は参加する予定にしていながら、当日はどうにも身体がいうことをきかずに欠席でした。そう思うと先の選択はその点でも身体にはよかったんでしょうね。実際大変でしたよ。
 さすがに通勤まではまだ感じはしませんが、このような年に一度のような催しは、あぁ今年が最後なんだなぁ とか 少なくともこのような立場での参加はこれでおしまいなんだなぁと思ったりします。そういう意味では新鮮(!?)かなぁ。

この名前での開催となる以前から同様の集会は毎年開催際されていました。その当初のころに比べると規模と言い内容と言い、発表する側も聞く側も格段にレベルが上がってきたと思います。良くも悪くも、今後は開催の仕方での検討が一段と必要な段階にまで来ていることは間違いないと思います。

楽しみにしていた、全大会での三上満さんの講演は話し方と言い琴線に触れるエピソードの数々と言い期待を裏切らないものでした。
 
 
 

同時に3会場という分散会は物理的に無理なので泣く泣く取捨選択しましたが、その中の一つ「最近の水俣病の戦いと被害者たちの現状」と題して関川医師から行われたものの中に、他とも共通する問題だと思う発想(311における被ばく線量の安全基準)が出ていたのでそれをここで書き留めておきます。
 それは 昭和35年 昭和40年問題 と報告されていたもので。
水俣病の“行政”認定上において、昭和35年まで阿賀野川流域に1年以上居住し阿賀野川の魚をたくさん食べたか、水俣病の原因となった水銀を昭和電工で使用しなくなった昭和40年 というはっきりとした線引きがあるということなんです。
 昨年12月にも提訴前夜集会の模様を伝える一文をアップしましたがさまざまだと思うんですよね。大規模な事故などで高濃度の暴露状態になれば劇症型の症状も出るでしょうし亡くなる人も出てくるでしょう。でもさまざまだと思うんですよね。
 在野の研究者故河辺先生の研究でも、観測される水銀の濃度は工場の操業状態を反映しての増減はあるものの、ある年から急に出現してある年に忽然と消えてしまうというあらわれ方はありません。
 どういう状態でというのは私には想像でいくつかのケースを思いつくくらいでしかありませんけれど、例えば洪水などで濃度が上がるようなこともあるとのことだし人為的に回収(それでも0ということはないと思いますが)でもしなければたとえ濃度が下がったとしても 低濃度になっていったとしても汚染は続くわけです。
 その上 社会的な公害によるものは、具合が悪くてもその時は名乗り出られないということがあるのが常ですから。
 個人の抱える様々な事情。それは 社会的 地域的 個人の身体と様々でしょう。 低濃度だけれども長い間その状態に置かれるということもあるでしょう。そのことによっての遅発性の発症もあるわけです。

ある時をもってして“線を引く”ということは不可能だと思います。そしてしてはいけないことだと思います。福島第1原発における 年間被ばく量の“安全基準”と同様 社会的な病気 状態においては 線を引いてはいけないと思います。
 それ以上でも発症しないというケースもあるかもしれない、けれどそれ以下でも発症するというケースもあるだろうし、何より放射能のことについては時間的に人類にとってはこれからはじめてわかってくるだろうことがいっぱいあるのだけは間違いないのですから。

 

このたびは、数年ぶりに参加した(できた)集会ということでの私個人の違い(体調)、そしてそこで目にした 線引き ということで思うことを書かせてもらいました。

2014年4月9日水曜日

憲法集会に参加して 1/6 確かに変わってきている



立憲主義と憲法9条を守る新潟県民の集い(329日)に参加してきました。

会場となったのは新潟市中央区の県民会館大ホール。新聞報道によると当日集まったのは2000となっていました。私の見たところでも、全く空席がなかったわけではないけれど立ち見の人もいたしそれに迫る大勢の人がいたのは間違いないと思いました。

この所とみにこの手の集会が増えたように感じています。いずれの集まりも以前に比べ参加者は増えています。顔触れも多彩になりました。

話は飛びますが、あえて大きな組織を離れて自分で様々な発信を始めている堀潤さんの話を聞いてみたくて先日(316)長岡まで行って参加してきた「福島原発事故から3年 原発問題を考える市民の集い」(この集まりの詳しい内容については、話の中身 集まり全体でも書き残しておきたいことがいくつもあるので別稿で)の集会後のパレード出発前の報道関係の人のやり取りを耳にしてその感を一層強くした覚えがあります。

そのやり取りというのは新聞社の記者が主催者側の人とやり取りをしている言葉でした。「今日の顔ぶれはいつもの集まりとずいぶん違いますねぇ」「つながりのない人がだいぶ来てるねぇ」「よく知らない人がだいぶ来てるんじゃないか」…

主催者側も把握しきれない人たちが行動し始めている。実際に報道されるかどうかは別として、いつも取材だけはしているマスコミの人間も、顔ぶれ 規模が変わってきている ことを確かに感じている。

原発のことといい、憲法 9条をめぐっての様々なことと言い、間違いなく現在進行形の運動であり、以前とは質が違ってきているということを実感しました。