2014年11月30日日曜日

10-9-16 日本バプテスト連盟理事会声明 「韓国強制併合」100年の悔い改め


その一団を見かけた時どういうグループなのかと思い声をかけたら日本バプティスト教会の-「韓国強制併合」100年 歴史を心に刻む旅- のみなさんでした。 入場料の案内で日本語のプレートがわざわざ掲示されていたくらいですから、楽しい観光地とは言えないここにも思っている以上に日本の人たちの来館者が訪れているのだと思います。それでも日本のそれもクリスチャンの人たちとここで一緒になるとは思ってもみませんでした。
その一行の責任者・牧師?の方から貴重な資料をいただきました。結構具体的に踏み込んだ内容で大事なものだと思いますのでここにその要旨を紹介します。

 

2010714日付 日本バプティスト連盟理事会声明

 「韓国強制併合」100年の悔い改め(韓国連盟諸教会の皆様に向けて)

・~私たちは、自らの言葉で告白することを重んじてきたバプテストとして、今この時、歩んできた歴史を振り返り、その過ちを悔い改め、許しを求めるとともに、未来を拓くための決意を表します。

19108月の韓国併合は、朝鮮半島への侵略と植民地支配以外の何ものでもありません。~その時、私たち日本のキリスト者は、その併合を祝い、歓迎したのです。 ~日本は、土地を奪い、食料を奪い、言葉を奪い、名前を奪い、性を奪い、尊厳を奪い、信仰を奪い、生命と文化を破壊しつくしました。それらの侵略行為の前に立ちはだかることをせず、主告白を歪め、福音の証を曲げ、隣人たちの血と涙と死を生み出すことに加担してしまったわたしたち日本のキリスト者の罪とあやまちを、今、心より悔い改めます。

・~敗戦後、わたしたちは、この悔い改めを持って新たな歩みを始めるべきでした。しかし「古い人を脱ぎ捨て」ることができませんでした。 

・~日本社会には、誤った歴史認識や、在日韓国・朝鮮人への差別や偏見が、今なお残っています。そして、日本のキリスト教会の中にも、それを払しょくできていない現実があります。この現実を克服する闘いは、これからもわたしたちの重大な宣教課題です。~

 

 

 

A4の紙に細かい字でぎっしり、結構具体的な事柄にまで踏み込んだ内容そして決意表明になっている立派なものだと思います。これだけ踏み込んだ内容の理事会声明ですから、当然ここに至るまでに長い時間をかけてみなさんで考えてのことだと思います。ただし、ここ韓国の地でだからなおのことだったのでしょうハングル語も併記され -韓国の諸教会・皆様に向けて- となっているものと同様のものが、日本においては -日本の教会そして日本のキリスト者の皆様に向けて- という形で出されていますように。

私 は・・・


「これで3つそろいましたね」研修終了式の時、担当の人が私にわざわざ声をかけてくれました。 3つとは夏前の同行援護従事者、そしてこのたびの移動支援・全身性と移動支援・知的精神のこと。
研修はなかなかハードでした。丸々14日ではありませんが、2週にわたる日程で朝9時から夕方の6時ころまでびっしりの研修内容。実習も大変でした。まあ 視力に障害があったり体が不自由だったりする人の支援中に何かあったら最悪の場合人の命にかかわってくることですから当然と言えば当然のことでもありますけれど。

もともとは社会福祉の方だったのに、縁でずっと医療畑で働かせてもらっていました。それもあって最後まで一種の疎外感を払拭しきれませんでした。私の方にももちろん問題があったと思っていますが、せっかく持っている資格を生かし切ることができませんでした。そんなこともあって、今度こそは社会福祉の方で仕事ができたらという思いもありました。いまだ何の進展もありませんけれど。 
 

さて本題

夏前の同行援護の時もそうでしたけどこのたびの移動支援研修の時も、すごく高ぶっているなぁと感じていました。 この人すごく慣れてるなぁ、いつも明るくだれにでも声をかけてひたしくなる人 積極的な人だなぁ、何でも知っている人だなぁ、すでにいろいろやっている人だなぁ、等々と思われていたと思います。
でも、実は私不特定多数の所・場はどうも苦手、落ち着かないんです。例えば人ごみ・お祭りの屋台が立ち並ぶ人ごみとか。 でもここにいるのはどういう人かわかる、同じことを思っている人 同じ目的で来ている人というのがわかる人達だとすると、このたびの研修の時のように初めてと思えないくらいに声もかけられるし振る舞えるのです。研修の内容は、新しいことを知るときの喜びにあふれていましたし。
そうかそうでないかの差結構大きいんですよ。 

 自分はどういう人間なのか? そのことに集中して考えていた時・わけではないのにひょんな時・所で思ってしまいました。
プラス3.11をはじめ中越・中越沖地震などの支援活動の時のように、非日常(場・状況)だとすごく動ける、頭が回るというタイプだと気づいています。 

2014年11月27日木曜日

劇団 A 公演終わりました


8月頃だったか「今考えている舞台に出てもらえないだろうか」と声をかけてもらっての 久しぶりの舞台らしい舞台公演終わりました。

いやぁ~今回は今までで一番きつかった。9月下旬に一稿をもらって、その後私の方が、子どもたちとの映画製作 10月後半は移動支援の研修、11月に入って沖縄に出かけてずうっと忙しかったのです。おまけに、27度の沖縄から帰って来た新潟は11度。その気温差実に16度、飛行機直行便で2時間ちょっとで激変プラス出かける前に封を切っていたものが傷んでいたのか悪寒 腹痛で4日ほど寝込んでしまいほんとに練習ができなかったのです。

おまけに、このところの生活リズムをいきなり変えて当日早起きしたもんだから頭がボーっとしてすごくきつかった、大変でした。そんなこんなで午前の通しと、午後のみ2回公演の一回目の方はもうボロボロ。

それなのにアンケートが意外なほど好評だったのでビッツクリ。これはストーリー・盛り込まれたテーマ・ネタのせいかなぁ。

話、8月最初に聴いたときは、東京・実家を離れて大きな町に出ていた娘が就職ニートとなって今家に閉じこもっている、そしてその家族というようなことを聞かせてもらいました。その後出来上がってきた台本ではプラスして、家族のことを思いながらも妻に任せっぱなしの夫・父親、認知症の入ってきた母親その介護を抱えた専業主婦。 そこへ3.11で大きく深い傷を負って戻ってきた娘が加わる。年寄りには動物がいいそうだと後先考えずに犬を買ってきた父親。予期できないことが起こり始める。母親は母親で一生懸命なんだけど、その思いがうまく回らない。そんなせっぱつまった気持ちの時に目にしたボランティア募集の案内。3.11被災地のボランティア活動で家を出た母親を追って来た父親、ペットとのかかわりの中で自分が本当に好きな事を見つけだし歩き出す娘、3.11で深く傷を負い且つ再開した知り合いたちとのかかわりの中で自身を見直す娘。

これらのテーマかなぁ。 誰か一人とか一つの家庭がモデルというわけではないんだけど、ニートのこと閉じこもりをしている家族を抱えている家庭、夫婦 介護のことなどがちりばめてあったので、そのどこかに重ね合わせた人が大勢いたのかなぁ。

3.11 
3.11は人々にとってそれだけの衝撃を与えることだったんですよ。 最初に声をかけてもらった時まさかこんな話しになるとは予想だにしていなかったのにこのようになるとは。何かの縁を感じます。

 でも改めて思いましたけど、劇団ごとにほんとにスタイルが違うものですねぇ。
 日常を自然な演技でというのではなく 舞台の上で俳優どうし・役どうしで関係性を豊かにして一つの空間を作りそれを見てもらうというのではなく、このたびのは体を観客のほうに開いて大きな声で台詞を言う。まさに演技してるって感じです。でもまぁこちらのほうが多数なんだろうなぁと思いますけど。
 

 打ち上げ、ごちそうを食べてたくさん話をして楽しいひと時でした。会場となったMAMMAは前から行きたかったところ。  たくさん話した中で年齢の行った俳優が若い人を演じる方が、若い人が年寄りを演じるのよりもそれらしくやれると思うよというような講釈をしました。

ちなみに、服装・仕草・物、年齢が行ったから似合うようになるということがあると思っています。

2014年11月22日土曜日

タムロンレンズその後 B016 16‐300㎜

  これは先にも書いたことだけれど 超音波モーター・PZD による違い、効果はてきめん。  動作音は静か、そして反応の良さピントの合う感じ(感覚)は格段に良くなったと言ってもいいくらい。 だからレンズそのもののを比較ができるともいえるのかもしれないけど、本体は愛用のα700のままでこうだからもし本体も最新型ならいかばかりかと思うほど。

背景が空のような条件、手前にネットや窓ガラスがあるような条件でその向こうを狙うような時はさっとレンズを向けた瞬間一度合って、その一瞬あとから前後に探り出す感じの時はあります。これは条件も悪いけれど、カメラ側のフォーカス・シーンの設定や機種によって変わるもののような気がしていますので今度試してみます。
  でも全体が明るいし、反応が早い、全くの無音ではないけれど音はほんとに静か。 で距離目盛の小窓をのぞいていると細かく動き続けていて「やってるやってる(合焦点を)探ってる」というのがよくわかります。

ちなみに、その静かさは胸にICレコーダーを入れた状態で撮影しても、再生してみるとカメラのシャッター音だけが響いているだけという感じです。 以前のレンズはジッジッという音がしつづけでした。
B‐016(16‐300)
カメラのシャッター(ミラー)の音、私は映してるという感じがして嫌いではありませんが、店頭で77Ⅱを手にした時想像していた以上にシャッター音が小さかったのを覚えています。まあ77Ⅱはミラーそのものがないわけですからそうなるのでしょうけど、それに比べると・今となると700はほんとに大きい音を出してるんだなぁと感じました。静かなところだと少し気おくれしてしまいそう、そんな感じ。

 
A18(18‐250)

画角。ワイド・広角側はほんとに広く感じます。一度にたくさん、特に左側が感覚的に一回りも二回りも広がったような気がします。
望遠側は、前回嘉数高台から普天間基地の大型ヘリコプターを映したのに比べるとやはり大きく手繰り寄せている感じがします。大型ヘリコプターよりさらに大きいオスプレイだからというのもあるかもしれませんが、確かに大きく映っている感じがします。

 

各部の操作感、ズームミングは以前のものに比べると少し力がいるかもしれません。でも決して重いとか悪いとかのレベルのものではなくて適度な抵抗感の範疇。ズームロックスイッチはこの機種にも装備されていますが、下に向けた時でも自然に伸びるようなことは今のところ全然ありません。使い込むうちに甘くなるということもないと思いますが。 フルタイムマニュアル機構。手動でピントを合わせようとするとき、これまでの癖でカメラ側での切り替えをしてからしてしまうけれど、どのタイミングでもできるとのこと。頻繁に使う機能ではないかもしれないけれど、背景が空とか手前に何かある状態でその向こうの物にピントを合わせたい時などにさっと対応できて有効なのかな、今度意識して試してみます。

 

電池の持ち・消耗具合はやはり前より早いような気がします。 時間にするとフル充電のバッテリー(NP-FM500H)で5から6時間くらい。 でも今回一日8百枚以上写した時もあったので、カメラ本体のカタログデーター上の650枚という数字と考え合わせると特段に違うということにはならないのかもしれません。でもバッテリー一つではだめだということも確かですね。まあ私はこれまでも、日帰りでプラス1個、泊りなら2個プラス充電器を持って出かけるようにしていますので実害はというものはありませんが。
フォーカスモード事の違いはあまり感じません。前の機種は特にAF-Cにしていると常にジッジッと動いてくれてましたけど、B-016はこれも動作音から受ける印象のせいかも知れないけど距離目盛の小窓を観れば動いてはいるんだけど常にという感じは受けません。
 
今回は写したい・写すべきものがたくさんあったからなお数字が大きくなった、そのせいもあるのかもしれません。 
 

2014年11月19日水曜日

子どもたちと取り組んでいた映画作りその後



上映時の模様
今年夏前から子どもたちと取り組んできた映画が完成し、先日学校文化祭の中の企画の一つとして上映したところ、なんとなんと約360名もの人たちが観に来てくれました。この数字、過去2回の上映はいずれも340名ほどだったとのことなので、いやぁーみんな嬉しいやらびっくりするやらです。

格段にレベルアップした今年の作品。子どもたち自身出来栄えに自信を持ったのでしょう、小学校全27クラス全部に手書きポスターを張り出し校内放送で上映予告。 当日も、交代で文化祭会場各所に登場人物のふん装姿で宣伝に回るほど一生懸命。 この数字はそれらの総合結果ですね

 

思えば、劇場観賞引率のお手伝いかと思って顔を出したら実は映画作りだった。でも教室は、何から手をつけたらいいかもわからない子供と今年顧問になったばかりの先生で収拾がつかない状態。そこでまず日程的な段取り。自分は何をしたいかの確認、テーマ選定などから取り組み脚本作りから取り組み。 撮影技術や機材、発声 演技 編集などなどで忙しくした日々を思い出します。

この数か月は、子どもたち自身達成感を感じられる日々になったことを感謝するとともに、私にとっても子どもたちと打ち解け楽しみな日々になったことを感謝しています。

沖縄県知事選が突きつける 日本の民主主義と伝えるということの成熟度



沖縄県知事選 オナガさんが当選してよかったーッ 各種調査、実際に先週沖縄に行きこの肌で感じて「大丈夫」だとは思っていたけれど、最後の最後まで何が起こるかわからないのが選挙でもあるから決まるまでは心配でした。よかったーッ。

何より基地問題が大きな争点になったこのたびの県知事選は、“物事の決め方”において選挙制度を持つ国でそれがいかに尊重されるかも見られているのではないかと思っています。沖縄一つの県を超えて日本の民主主義の成熟度さへ問われていた選挙だと思います。で結果は、辺野古新基地建設を良しとしない結果が圧倒的な大差で出されたわけです。(オナガ候補36 仲井間候補26)これまでの大集会や選挙で幾度も示された民意に対して自民党政府はそれを受け入れずに来ました。このところはそればかりか、自分に都合の悪い結果は無視という態度。このような態度はどうしてそのままにしておくことはできましょうか。

もう一つ目についたのは、自らを公共放送と銘うっているNHK(日本放送協会)の報道姿勢。

例えば民間の放送局、例えば政府が直接内容に関与する体制になっている国営放送ならいざしらず、まがりなりにも公正中立“公共”放送を標ぼうしているNHKの沖縄知事選、特に結果が出てからの取り上げ方の矮小化にすごく作為を感じます。

財産として大事にしてもらいたい「ニースはNHK」とか「NHKが言っているから」という信頼を台無しにしていますね。特にここにきて一段とひどくなったとはいえ、ここ何年かの推移を見ていると、それが全国ニュースのトップに来る事柄か?それくらいの扱いで済ませて足りる事柄?アナウンサーではなくキャスターやわざわざ呼ばれた解説者がその程度の内容しか口にできなくていいの!と嘆かわしく思います。

私のところはこういう立場ですよ・主義主張ですよと明確にして放送するならば見る方もそのつもりで見るかもしれません。けれど、公共放送 公正中立を言いながらのNHKの記事の取捨選択はそれ自体がとても作為的で問題だと思います。

2014年11月14日金曜日

グレート○○2題 2/2


そして思いもしなかった縁を感じた2本目の作品は「グレート デイズ」


17歳になった障がいを持った息子のもとに、解雇されたことをきっかけに、父が帰ってくる。 息子は自分を避けて満足に口をきこうともしない父親との関係に傷つきながら、ニュースで障がいを持った子供と一緒にアイアンマンレースに出た親子のことを知り、偶然昔父親もアイアンマンレースに出ていたことを知る中で父と一緒にアイアンマンレースに出れば関係・距離も変わるのではと考える・・・

この後は様々な困難に直面するところを描きながら破たんのない展開。紆余曲折を経てレース参加が決まり、親子で練習を重ねる日々。会場・観客・仲間・家族の声援を受けながらも、最初のスイムは最後尾、次の自転車ではあとの方とはいえほかに脱落者が出たりして順位は前後する。 いよいよ最後の息子を載せた車椅子を押しながらのラン、早い人はどんどんゴールする中、制限時間まであとわずかとなりながらもゴールはもうそこにまで。 しかしどうしようもない肉体の限界。必死に息子を載せたゴムボートを引いて泳ぎ・ペダルをこぎ・車いすを押してきた父はついに限界。悔しく叫びながら泣き崩れる。 

それを目にしながら自分で車いすを漕ぎ出す息子。その姿に気づいた父親は再び車椅子を押して走り出す。どこにこんな力・気力があったのかどんどんリタイアする人が増える中で・・・

観る前。一人でも大変なアイアンマンレースに、自分で泳ぐことのできない人を載せたゴムボートを引き、自転車のペダルをこげない人を乗せ、自分で走ることのできない人を乗せた車椅子を押してのマラソン、こんな話はあるの!?と思いながらも、それを承知でべたに涙を流したくて観に行ったんです。でもリタイアする人が続出する中で、再び走り出す気力がわいたのは息子がいたからだったこそと気づきました。 一人だったら、この時も過去と同じように挫折を繰り返したんじゃないかと感じました。 少しでも身軽になりたいレースに逆に大きなハンデを抱えて参加する。でも愛する人と一緒だったからこそ、息子のあきらめない姿があったからこそ、再び走り出す気力がみなぎってきたんだと思いました。お定まりのパターンだったかもしれないけれど素直に声援してしまいました。

 

人は、自分のことだとあきらめてしまうけど相手のあることは頑張っちゃうものなんだな

グレート○○2題 1/2


夜の練習時間までに映画のはしごができそうだったので昼から出かけました。

そして2館目でその名前を口にしてハッとしました。「あッ これもグレートだ。」 実は今別のところで観てきたのも頭に“グレート”がついていたんです。今の今まで全然気づきませんでした。どちらにも“グレート”がついているなんて

最初に観た作品は、予告編を観て「洒落ているなぁ」ぜひ観たいなぁと思っていた一本「グレート・ビューティ」  主人公は、まだまだ現役だけれどそろそろ先のことも見え始めてきた一人の男性の,交友関係 現在・過去を描いていました。 しぐさも服装も主人公・ジェップの表情も期待通り、強くひきつけるものがありました。何か甘酸っぱい過去・若いころ。話しはあちらへ行ったりこちらへ来たり絡み合ったり。時間軸も過去に戻ったり現在に舞戻ったり。 というところを観ていて期待外れだった「グランド ブタペスト ホテル」を思い出していました。製作に携わった人たちの想い意図はもちろんあるのでしょうけれど、完成した作品からはそれが伝わってきませんでした。そういうことで言うと「スラムドッグミリオネア」も危うかったけど、観ていてまとまりのなさを感じました。

 その違い。演出・編集も大きかったんだとは思いますけれど、一番は一本太い筋があるかどうかだと思いました。「グレート・ビューティー」はトニ・セルビィッロ扮するジェップの存在がしっかりしていて、様々に入り乱れた交友関係で多少混乱しても基軸がしっかりしていたので、いろいろなエピソードそして過去へ飛んでもちゃんと立ち戻ってくることができたのです。 強く印象に残っているテンプル教会合唱団。パーティ会場の音楽・交錯する光・男と女、そこにさっそうと登場するジェップ。混沌の姿でもあるかもしれないけれど引き込まれてしまいました。  夜の情景、朝(の光)とともにガラッと変わる雰囲気。観ている人それぞれに様々でしょうけれど、この様は私に「ドルチエ・ビータ」を思い出させました。そして、イタリア・ローマの夜はいったい何時間あるんだろうというボリュウム。 一見どういうつながり意味があるのかとおもうシーン、最後のテベレ川のシーン、美しくも絵画のようなシーン、男も女も大人もみな美しかった。ここであげるならば国は変わるけれど「ディーバ」の雰囲気かな。

 

 人は戸籍上の年齢だけでは決まらないな、いつまでも自分にかけている欠片を探し続けるのが人生なんだな

2014年11月11日火曜日

”自分の方からどうぞといった基地は一つもない”  歴史的なタイミングの沖縄


 昨日の夜帰ってきました。気温は11度。新潟の11月としてはまぁこんなもんなんだろうけど沖縄は27度でしたからねぇ。

 今回は以前も行った普天間・辺野古はもちろん、東村・高江のヘリパット建設反対の座り込み 平和記念公園・平和の礎 ジェット機墜落の惨劇となった石川小学校 不屈館 等々、平和通 首里城 県立博物美術館訪問などで琉球・沖縄の文化・歴史の一端を学びました。各地で体験をまじえてくわしく解説してくれた幾人もの人達は知識が豊富という以上に素晴らしい人たちばかり。今回は日程的にも前回より長くとれたので、たくさん歩き視て聴いて食べて嗅いで話して来ました。

 そして、今その審判の日・投票日を目前に控えた沖縄県知事選・那覇市長選のまさに歴史・社会が動くこの時にわずかながらも立ち会いかかわることができた幸いを感謝しています。一つ一つのことは改めてまとめるつもりですけど今日のところは、たくさんの説明を聴く中で一番印象に残ったこのことを。「沖縄にはたくさんの基地があるけれどその中の一つとして自分の方からどうぞと言った基地は一つもない。」
 今回の選挙は、それなのに「どうぞ」と基地受け入れを表明してしまった仲井真候補(現知事)とこれまでの歴史を守るため保守革新を問わず幅広く県民が力を合わせているオナガ候補との選挙戦なのです。

 沖縄と沖縄の人たちに負の影響を及ぼすだけでなく、世界中に出撃していく人殺し部隊のための基地に“大切な沖縄の土地をどうぞと言ったことはない歴史”を守るのか一線を越えるのかの瀬戸際にある意思表示の機会・選挙。私もその平和の歴史を守る立場で、まさに歴史的瞬間のその場その時に立ち会うことができたことを感謝しています。