2015年7月8日水曜日

御嶽  再び吉野裕子さんと結び付けてくれたもの


  私にとっては貴重な資料 でも人から見るとただの紙屑 を整理していて久しぶりに見直した在野の民俗学者・吉野裕子さん紹介記事について。  (日本経済新聞 2004425日 遅咲きのひと より) 

  この記事を手元に残したのは、印象的な南伸坊さんのイラストに添えられていた「何かを始めるのに遅すぎるということはないと思うの」という言葉。 「なぜ?」と感じると疑問をそのままにしておけない~という文章でした。
「~吉野裕子は趣味で習っていた日本舞踊でなぜ扇を使うのか扇の起源はなんなのかが突然気になり扇を扱っている職人や学者にも聞いてみるが納得のできる返事は聞かれない。ならば と自分で答えを捜しだしたのは50歳の時だった。専業主婦だった吉野裕子は、東北から沖縄まで足を運び 扇の起源は沖縄の神を祭る御嶽(うたき)にある御神木 蒲葵(びろう)の葉 が起源ということにたどり着く。~」

 そして今日紹介しようと思い立ったのは“御嶽”という言葉・地名をそこに見つけたからです。前回行きそびれた平和の礎そして高江に行った昨秋、この御嶽にも初めて行ったのです。前日一人で那覇の平和通そして首里城に行っていて、御嶽で巫女が祈りをささげる場所が首里の王様の玉座と向かい合う方向だという説明を聞いて、戦績を実際に回って感じた感慨とは別に思いを深くした経験があったもので、前に目にした時とはまた異なる意味で印象深かったもので。 

  私の中で、ここ数年ほんとにすべてが結び付きだしているんです。10年も前特に意識することなく瞬時に残す方に振り分けていたこの記事にもこのような日が来るとは。

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