2016年3月31日木曜日

14-11-6 オスプレイはこんなに低く  


私ヘリコプターの音を聞いたことがあります。あの空気をはたきつけながら圧縮して浮上しているエンジンのうなり音とともにパタパタパタと来る音色、ただ大きいだけでなく飛行機とはまた違う独特の音だと思います。このたびオスプレイのエンジン音も初めて耳にしました。積載能力が大幅にアップしていますので当然ながら機体そのものも大型化し2基積まれた大型のエンジンの音はより低域寄りで野太くお腹の底から身体じゅうにびりびり響いてくる音でした。

ところで。高熱になる排気はエンジン・機体から見ると後方に出るわけですが、それはオスプレイにおいても同様。ジェット戦闘機と同様エンジンの後ろに立ったりしたら大変なことになるわけです。ところがオスプレイはその目的からくる設計上、離着陸の時エンジンの向きが変わって機体から見ると下方にその高熱になる排気が出る形になり、その時にはエンジン出力も挙げられますからすごい轟音と高熱のガスが地面をたたきつける形になるわけです。だから着陸しようとする地面が燃えたという報道は何ら不思議じゃないことです。それが頻繁にやってくる 低空飛行をする 離着陸するんですから、そこに前々から住んでいた人たちにとってはもともと墜落という重大事故も含めて危険の度合いが高いといわれているオスプレイにたいして来てくれるなと行動を起こすのは至極当然のことだと思います。

 

“低空飛行”それはオスプレイの使用目的上必然視されていることですが、実際どれほど低空を飛んでいるのかは、この写真の普通にある電柱・電線に引っかからないように目印のコーンが取り付けられているところで想像してください。この電線、特別に高い鉄塔に張られた電線じゃないんですよ、こんなに低い電線に引っかかるほど低空飛行をするのかと怖くなります。

2016年3月30日水曜日

弁護士・布施辰治


何度も何度も同じ思いになり口にしていることだけれど「本当にまだまだ知らない(知られていない)立派な人(立派な行いをなした人)がいるんだなぁ。」と改めて感じています。

今回改めてそんな思いにさせてくれた人物は、1880年に宮城県現在の石巻市に生まれ、戦前にはその活動から自身も治安維持法で逮捕収監され、戦後も1953年に亡くなる前年まで三鷹・松川事件の弁護に携わった布施辰治という弁護士です。直接的には再現ドラマを含めての弁護士・布施辰治の活動・生涯を扱った映画を観たからです。

「世の中に一人だって見殺しにされていい人はいない」の信念で、戦前戦後に困窮を極めた人々の立場に立ち自分の専門を生かし・ヒューマンな感覚で社会の不条理に立ち向かう一生を生き抜いた人。
  戦前、どんどん人々が孤立化させられていく中で今だってまだまだ不十分な“権利”そしてその発想、その言葉を口にすることすら忌み嫌われ時代に、民衆の立場に立ち自分の専門知識を生かして自身も弾圧を受けながらも奮闘した人。守られるべき人の立場で自分の専門知識を生かした人。時代の困難さは私の想像をはるかに上回るものだろうに勇気を失わず生き抜いた人。

戦前戦後に活躍した社会派弁護士 という言葉一言で言い表すことはとてもできない人だとは思うけれど、こんな人もいたのかと感慨深い思いでいます。

 

*家族 家族の存在 妻の存在 夫婦瑞祥

 何かなす人には必ずその存在があるなぁと感じさせられました
 
 

2016年3月26日土曜日

「太田ひろし/不思議ってステキ」マジックショー


先日こちらのおやこ劇場2015年度最後の例会「太田ひろし/不思議ってステキ」マジックショーに行ってきました。 正直なところ、間が空いて久しぶりということもあって出かけるには少し足が重く感じました。

この人 太田ひろしさんは、私は初めてでしたがショーの合間の話を聞いていると今回は5年ぶりその前は結構来ているとのこと。東京一極集中とは一線を画しているのか、地元北海道・札幌を基盤に活動している人。ショーのスタイルとしては大がかりな出し物のスタイルではない手元でのマジックを見せてくれる人でした。

会場は街の真ん中でもないし、低学年高学年合同ということで久しぶりに大勢とはいえ100人に満たない感じでしたが、ショー自体はとても軽妙。これで十分だなぁではなく、これはこれでいい十分面白いと感じ始めました。 合間の話もマジックそのものとのバランス的にもちょうどいい感じ。見に来ている人に対しての対応も好印象。舞台に引っ張り出した人を見世物的に“いじる”という周りが嫌になるようなこともなくとても丁寧。 前に出た人はそりゃぁ照れくさい恥ずかしいだろうけれどもいやだとか悪い気持にはならなかったんじゃないかな。

太田ひろし マジックそのものも十分見ていて楽しく、話も面白いし非常に誠実な印象でひと時楽しませてもらいました。

あれ~ どこかへん


朝 これから始まる自分のものであって自分のものではない忙しい一日を前に、時計代わりのテレビに目をやりながら朝の段取りを思うひと時・・・  あれ~いつから変わっていたの?!と目が吸い寄せられました。  株価や円・ユーロの情報のところの為替情報が消えている!    とともに現在対ドルで円高とか円安とかが一目でわかるあの画面です。

NHKの安倍政権盲従ぶりは最近に始まったことではないけれど、
一枚“看板”アベノミクス失敗の声が高まるとともに円高になってきたことに安倍首相が非常に神経をとがらしているみたいだったのでそのせいなのでしょうか。

NHKの問題姿勢極まれり ですね。

2016年3月24日木曜日

14-11-6 水源地としてのやんばるの森

 
座り込みテント近くに水準点がありました。 

やんばるの森 とも呼ばれている沖縄本島北部は大切な水がめ、飲料水の水源地帯でもありました。アメリカ占領時代に着手され、返還後の1974年に完成した福地ダム(ふくじダム)によって沖縄・那覇の渇水・断水がようやく無くなったんだそうです。確かに昔 ハーレムの暑い夏  が報道される時季沖縄の断水のことを聞いたような気がします。

 この山々木々を目の前にすると確かに水源地帯だろうなぁと納得します。ヘリパッド・オスプレイの問題はもちろんここの問題なんだけど、人間が生きていくためにはどうしてもなくてはならないものとしての 水 が関係しているということでは沖縄全体の問題でもあるんだなぁと思いました。  桃太郎旗や横断幕のスローガンにそのようなことが書かれていました。「県民の宝 やんばるの森はいのちの泉!」
 

本来の意味は別なんだけど、水準点の“水”とか いのちの泉の“泉”という文字でつなげて考えてみました。

14-11-6 「自分の家で普通に暮らすために」ヘリパッド建設反対座り込みを続けている人たちの思い


『やんばる東村 高江の現状』

東村 高江は、沖縄県の北部、ヤンバルとよばれる亜熱帯森林のなかにある約160人の住民が暮らす小さな集落です。
この集落をかこむように米軍のヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)を6つ作る工事が、はじまっています。
高江は米軍のジャングル訓練センターの真横にありますが、これでは訓練センターの中に高江があるかのようになります。
高江では昼夜を問わず、米軍ヘリが飛びます。
ヘリパッドが増設され、これ以上ヘリが飛んだら、しかも新型機オスプレイが飛んだら、高江に人が住めなくなる!と考えた高江の住民が、『自分の家で普通に暮らすため』に20077月から工事現場の入り口で、非暴力の抗議 説得活動として座り込みを始めました。
ウェブサイト  高江ヘリパッド問題ってなに?  より

 

 

ここ高江地区は、アメリカ軍のジャングル訓練センターのあるところです。ここへ来る途中、この座り込みのテントすぐ手前にゲートがありました。

昔聞いた話ですが、ベトナム戦争当時ゲリラ戦の訓練を行うにおいて住民が駆り出されたということですがこの辺りだったのでしょうか。 恐ろしいことです。

2016年3月23日水曜日

14-11-6 ブロッコリーの木 東村 高江やんばるの森


沖縄 那覇の空港建物を出たところから私の住む地方とは明らかに植生が違うということを、特に初めて沖縄に来た6月は身体をむっと包み込む高い湿度とともに感じたものです。

今朝は前回行く事かなわず心残りだったいくつかの中の一つ「自分の家で普通に暮らすために」と2007年から高江ヘリパッド建設工事現場近くで反対の座り込みをしているところに向かっています。

道は上りになりいよいよ東村 高江に近づいてきたようです。この高江地区は沖縄北部のヤンバルとよばれる亜熱帯森林のなかにある約160人の住民が暮らす小さな集落だそうですが、山並みとそして木々のほうがはるかに多いところです。

再び木々の格好が違ってきました。そんなことを思いながら車窓を眺めていたら、みんながそう思うということなのでしょうか同行のガイドさんから先取りするように説明がありました。「私たちはこの木を“ブロッコリーの木”と呼んでいるんですよ」と。上から見るとちょうど ブロッコリーのあの塊のようになっているのだそうです。確かに、上から見るともっとはっきりするんだろうけれど枝の感じからもブロッコリーの塊に包丁を入れたときそっくりだし想像できました。

2016年3月17日木曜日

2015年 劇場観賞映画  1月

1
10

1「サン・オヴ・ゴッド」 ユナイテッドシネマ
史劇 聖書にあるエピソードを描き出した作品? こんな風に話したんだろうか? 2000年も前のこと、誰も見てきた人も聞いてきた人もいるわけじゃありません。だから見る人一人一人の思いに比例して、同意したり抵抗を感じたりということになるのでしょうか。 私としては、聖書に確かにこんな話はあったけれど、だからと言って一言一句あんなふうに話したなんてまでは思い込めません。よく作られていたとは思うけど少し抵抗を感じます。 

2「レクイエム96時間」 ユナイテッドシネマ
アクションとしては今回も、すごいというかすざまじいというか、でもほっとできないというか。実際こういうものなのかもしれないけれど、映画として「あ~楽しかった」と言って終われない後味。
 

13日 

3「王の涙 -イサンの決断」 ユナイテッドシネマ
最後端折った感じで終わった印象があるけれど楽しませてもらったテレビ作品の劇場版。
暗殺 刺客といったのは共通しているけれど、ずいぶん趣が違う作品になっていました。
テレビ版では思われ人になっていたハン・ジミンがこの劇場版では適役で出ていたのにはびっくり。イメージが狂うというか、彼女にとっても作品にとってもあまりいい選択ではなかったんじゃないかな。

4「美女と野獣」
実写版だからという以上に、アメリカのディズニー作品かフランスの作品かでの雰囲気の違いでしょうか。フランス人にとっては好ましい顔立ちなんでしょうけれど俳優の顔立ち作品全体の感じもずいぶん違います。 突然運びが変わるのは「ロバと女王」と同じ印象。

 

17

5「ストックホルムでワルツを」 ユナイテッドシネマ (23日にもう一回観た)
これは素敵な映画。美しい女性 素敵な音楽。 
でも成功に向かっていくときのワクワク感と、いざ成功してからの切ないエピソード。
もちろん本人のも持っているけれど、今回のサントラとBD買っちゃいました。  
個性ある車の数々、その中でもサーブの初めて見る車種が印象に残っています。
 

26

6「レッドファミリー」 ユナイテッドシネマ
家族と偽って韓国に潜入した北朝鮮軍人の話。映画作品にするにあたって脚色はあるんだろうけれど思わず「えーっまじめにそんなことを 」と思うようなやり取りが幾度も。
私はソン・ビョンホしか顔に覚えがなかったけど、韓国にはいっぱい俳優がいるんだなぁと感心しました。というより日本は同じ人しか使わないといったほうがいいのかな。

2016年3月16日水曜日

手軽さではまだまだ改善の余地ありコンピューター


ところでこのたびのパソコンの不調。何度か口にし書いていることですがまだまだ家電並みの手軽さには及ばないなぁと改めて感じました。 といっても家電をネットにつなぐ動きは加速する一方ですから、ウイルスや遠隔操作の問題は家電にも起こってくるのかもしれませんが。 

先月18日パソコンがおかしくなりました。昨年11月に入れ替えたパソコンは動きも早くとても快適で入れ替えたかいがあったと満足しています。立ち上がりも早いのでシャットダウンすればよかったんでしょうけど、その時はそこまで考えずに席を離れたのです。で、帰ってきたら何かおかしい。動きも遅くなったけど立ち上がらなくなったソフトもあったりして。いろいろ試した後再起動してみたら起動もおかしい。
購入店担当に問い合わせたところ「ウイルスが入ったかもしれませんねぇ」と言うものの口が重い。具体的なアドバイスが全然聞けない。 混んでいるんだろうなぁと思いながらPCメーカーに連絡してみるとこちらは結構親切な対応。結果ハード的には問題ないようなので後はソフトのほうでしょうかねぇということに。それでOSメーカーに連絡を取ることにしました。 受付時間のこともあるので仕事の休みの日に改めて「さぁ連絡するぞ」と電話片手に準備万端整えパソコンの前に腰を下ろしました。電話は「の方は何番を…」「ただいま大変込み合っており…」のコメントを延々と聞かされ(ているような気になりながら)ながらやっとオペレーターのところまでたどり着きました。まあ覚悟はしていましたが。 もうここまでで結構な時間、それから状況を説明し指示をもらいトライ。詳しい人ならもっと手早く行えるのかもしれませんが何せトラブルがあって助けを求めている状態なのでパソコンの反応も時間がかかり大変でした。
結果として日をあけて計3日にわたり6人の人とお話をすることになってしまいました。全員に何の問題もなかったとは言い切れませんがおおむね対応はよかったと思っています。その時その時の状況が同じというわけではないので相違なくというわけにはいきませんでしたが持ち合わせている技術・知識はさすがだなあと感心させられるものでした。 様々なケースがあるので「このケースはこう対応すると… 」というあたりの知識と経験の差はあると感じました。そこにおいては誰に電話がつながるかという運の差はあると思います。

 

このたび33回にわたって連絡を取ることになってしまったのは、回復したと思ったのにまたおかしくなったからで、今の状態にまで解決するに至る手間がかかったのにはまいりました。そのおかげで、ブログ更新もそうですがフィリピン行きのEチェットの確認・印刷ができなかったらどうしようとはらはらしました。そんなこともあり「今アドバイスがもらえたら」と思いながらどうしようもなく初期化を何度したことでしょうか。
初期化をするとソフトの再インストール・登録設定が必要という手間もかかります。今後だんだんこうなっていくのかもしれませんがこのインストールでは、以前のようなインストール用のディスクのないものもあり、昨年新しいパソコンに入れ替えたときプレインストールでないハードだったから大変でした。それまで使っていた2台のパソコンがどうにも調子が悪く今のパソコンに入れ替えたのでEメールが使えない状態なのに「本人確認のEメールを送りました」と来るんですから。どうしようかと思いましたよ、こういうケースもあるということが想定されていないんでしょうねぇ。

お話のできる人


約ひと月間が空いてしまいました。先月下旬からのパソコンの不調とも相まって実に久しぶりのブログ更新です。
その温度差実に33度(36度の国から帰国した新潟は3度)、行くにも帰るにも一日がかりの国から帰ってきました。 昨年は暑い!という感じでしたが、体感的には昨年10月よりもこのたびのほうが湿度的にずいぶんきつい感じがしました。同じ北半球のこの時期ですから朝方の日差しはいくらか弱めのようにも感じましたがそれが10時ころになるとコントラストもすごくきつくなり、痛いくらいの日差し温度のなか汗を拭き拭きでした。 

このたびの渡航は、縁を感じた人との関係を具体的に進めるためのものでした。昨年夏の本人との話、秋の家族の前での申し込み。その後、エージェンシーに依頼したほうがいいというアドバイスで依頼と進めていました。ところがエージェンシーから私への進行状況の連絡がない指示が何も来ないまま時ばかり過ぎていく感じでいたのです。それで、これではことが進まない 決めるときには一気に行ったほうがいい とこのたび行動した次第です。

紀行的なこと詳しくは改めて書くとして(前回のこともまだなのに!)、もちろん私も回ったことがない、彼女のほうも治安の問題 生活上の問題などで同じ国の中をいろいろ見て回ったことがないということなのでこの機会に同居している家族の小さい子も喜んでくれるかと、いくつか名所旧跡と言われるところを回ってみました。
回ったところの大きな所はイントラムロスそしてオーシャンパークでした。メトロマニラ パサイ などでの折々も彼女と家族の人となりを知る有意義なひと時でした。 このたびの数日で私の思いは一段と揺るぎのないものになったことを実感しています。
 

私は彼女が日常口にしている言葉が、彼女は私が口にする言葉が話せません。つまり彼女とは 言葉が通じません。でも、言い方おかしいかもしれないけど “話はできる”と実感しています。
「バべットの晩餐会」「ラブアクチュアリー」のシーンを思い出します。