2016年10月30日日曜日

行ってみたかったところ二題 その一 文化学園服飾博物館


    先日「日本人と洋服の150年」という企画展が文化学園服飾博物館で行われているという紹介文を目にしました。

文化学園服飾博物館   前々から行ってみたいところの一つでした。時代・歴史 社会の変遷によっての衣類・衣服の変化(他とへば 女性がズボンをはく・はけるようになった)。地域・民族 文化ごとに特色のある衣装の収集・研究に力を入れているところ、という事でも関心がありました。ただし、この服飾博物館のあるのが東京で、開館している時間が日中のみ、それも平日のという事で気になりながらもなかなか行く機会がありませんでした。実際のところそんな思いで何年かいました。



201411月、沖縄行きの朝 羽田空港集合の時間に間に合うかどうかが不安で前泊することにした際、宿舎に直行するのではなく「これはチャンス!」と文化学園服飾博物館に回ることにしました。

初めての新宿駅南口前は今年(2016)完成した大型バスターミナル、通称バスタの工事中。文化服飾学園までの道自体は道なりの変化はあるもののわかりやすかったけど、街並みは同じようなビルが連なりうっかりすると行き過ぎていたかもしれません。この時は、ちょうど文化学園の大学祭を宣伝する看板が目に留まり大丈夫でしたけど。

駅を少し離れると急に中国語が耳に響いてきだしました。声を潜めることなく普通の大きさで話している人が多いようで日本語よりも耳に響きました。声のする方 脇の方や、一歩裏に目を向けるとお店・高いビルがという風景ではなく普通の住宅が並んでいて思った以上に大勢の人が住んでいるのかもしれません。街の第一印象はまずこれ。

 
念願の文化学園服飾博物館のこの時の展示は「文化学園創立50周年記念 雛人形・雛道具に映し出された雅の世界」でした。雛人形もその表情大きさ いわれ 様々でしたが、雛道具のち密さには目を奪われました。ただしこの展示で一番印象に残っているのは、実に小さい大正天皇がまとったという衣装。これは大正天皇がというより、当時の日本人自体が今の日本人よりも相当に小柄ととらえたほうが正しいようですが時代によって、より大柄になったりより小柄になったりを繰り返しているとのことなので、このころはちょうど小柄だった時代という事のようです。変なことに気が行ってしまいました。 



ずっと「いつか行ってみたい」と思っていたところについに行くことができた事、感謝。

2016年10月25日火曜日

第二回柏崎 平和のための戦争展 ‐ちゃんと知りたい戦争のこと‐


柏崎文化会館アルフォーレ大ホールでのドナルド・キーンさんの集まり2016年9月19日)を終えチラシでもと思ったところで 2階ギャラリー回廊で「第二回柏崎 平和のための戦争展 ‐ちゃんと知りたい戦争のこと‐」というパネル展を見つけました。 

平和のための戦争展(写真と説明)という取り組みがあったということを初めて知りました。 展示(写真と説明)は 「戦争の実相を知り風化させない」のコーナーでホロコースト・イラク戦争・日中戦争勃発・南方諸島での戦い・沖縄戦(本土防衛の捨て石)・新潟県と戦争 「戦争の要因と進め方」では大日本帝国憲法・満州事変・日韓併合 平和への道筋と私たちの努力 というテーマに沿ってその区分をもっと具体的に示す形で写真展示がされていました。 知っている写真 初めて見る写真共に、系統的に見せられると恐ろしさも含めて認識が深まりました。

そしてそれが最近の紛争にも結び付いてしまっているということも知るに至っては、決して大々的な展示取り組みではなかったんだけれど(関係者の立ち合いは全くなく、ただ写真の張り出しと資料が置いてあっただけ)このような取り組みの持つ意義を再認識しました。

ドナルド・キーン・センター 開館三周年記念特別講演会


ドナルド・キーン・センター柏崎 開館三周年記念特別講演会 に行ってきました。(2016年9月19日 柏崎市文化会館 アルフォーレ)ちょうどその少し前にドナルド・キーン・センターに行きご本人も来るというその集まりのことを知り、肉声を聴くいい機会と思いぜひ行ってみたいと思っていたのです。


 当日朝はあいにくの雨、あとで気づいたんですがこの日はいろいろある日でした。一つは年に一度の敬老の日。もう一つは寺泊の魚のアメ横を通った時、あいくの雨とはいえ連休の中海産物を求める観光客でにぎわうところで、反対を押し切って昨年“安保関連法案”が国会で通った日ということで全国的に様々な取り組みがなされる中ここではスタンディングという形で意思表示する人たちがいました。正直なところうっかりしていました。特にどこのグループにという私ではありませんけれど、こんな悪天候の中で頭が下がります。

 

 特別講演会は、今年2月にドナルド・キーンさんの「石川啄木」が刊行されたということもあって、「石川啄木~最初の現代日本人~」としてドナルド・キーンさんと池田功(明治大学大学院教授・国際啄木学会会長)さんによる記念対談(!)、この池田さんによる基調講演「石川啄木の日記を読む ~キーン先生の啄木日記論を紹介しながら~」そして合唱という構成で行われました。

 石川啄木については “たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず” にその絵を思い浮かべ “友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ” に共鳴したりするものの一般の人たちと大して変わらない知識しか持ち合わせていない私ですが、他の人が時の日本の社会(社会問題 事件)を取り上げたときに石川啄木の言葉を引いてくることに幾度も接する中、その言葉が出てくる背景(石川啄木の)をいつか知りたいと思っていました。



 基調講演は、理解しやすい口調でさすがに国際啄木学会会長という内容で網羅的に理解が進みました。その中からいつか知りたいと思っていたことに関して 「~啄木は早熟な青年であった。19歳で結婚し翌年には子供が生まれた。この 早くに家庭を持った 家族を養わなければならないということが(困窮生活)石川の作品に影響を与えた。~」が、社会的(問題・事件)発言につながっていたということがわかり収穫でした。

 記念対談は内容以前に、いくら第2次世界大戦前から日本語にかかわってきた人とはいえ日本語で対談する必要があったのだろうかという感を強くしました。内容を問うならば母国語で話してもらったほうがよりいいものになったのではという印象を持ちました。言い方は悪いかもしれないけれど、敬老の日ということもあってか良いおじいちゃんというような持ち上げ方のような気がしました。でもドナルド・キーンさんは十分現役の人だと思うんですけどねぇ。

2016年10月19日水曜日

今年2016の手作業


夏休みに縁のなくなった私なのになぜか78月にこだわって参加した講座のことを書き留めておこうと思っていました。  一つ一つではないけれど

そう思って振り返ってみたら今年は1月の蔓網に始まり78月はもちろん9月も10月も、どこで区切ろうかと思いましたけど11月にも予定が入っていまして悩んでしまいました。

すんだもの

1月 蔓編み講座  食育花育センター 

7月 アンギン編  津南・なじょもん

8月 縄文編み   馬高縄文館 

   籐網     アークオアシス

9月 カラムシ撚り 津南・なじょもん

   一閑張り   西蒲区福井・じょんのび館

10月 アンギン編  津南・なじょもん



もともと布に関心はあるほうでした、以前から布・端切れなどを鑑賞しに行ったりしていました。少しだけれど機(高機)を習ったりもしました。染にも関心がありました。

染は染料を使って定着液を使うような染だけでなく泥染なんてものも知りました。染めるというイメージのものから、色(汚れ?)が落ちないなんてものまで。「こんなでもいいのかぁ」とか「こんなのもありかぁ」楽しくもあり目から鱗というか、楽しい日々でした。



もうずいぶん昔のことになりますが県立歴史博物館の講座で日常着・作業着のこと、民芸運動や民俗学にも触れ 宮本常一さんの調査方法には影響を受けました。

昔は布が今では想像できないくらい貴重、それ以前に布そのものがなかった時代のこと 逸話も知りました。もうぼろぼろの端切れでももらってきて刺し子で印半纏に仕立て上げ、 海で遭難して見つかった時はもう顔かたちがよくわからないというときでもその印半纏で自分の夫とわかるようにしたんだという逸話、生まれてすぐ死んでしまった嬰児を埋めるときせめて布で得くるんでやりたかったが自分の身体の一部を覆うだけの布しかなくてそれがかなわなかったのをいつまでも悔やんでいるおばあさんの逸話などが忘れられません。

そのころ“アンギン”という言葉を知りました。今では〇〇上布なんて言ってすごく高価な織物もありますが、日常着・野良着は残っていない、今のうちに収集・保存が必要だという考えは前より広まってきているものの、高価な着物は残っていても日常着・作業着は酷使され傷んだらつぎを当てどうしようもなくなればその作業着が今度は当て布となって再利用されるという運命をたどったのでしょうからなお残っていないのでしょうね。普通にはそんな作業着が貴重だとか、ましてや美しい(用の美?)なんて思いもよらないことだったでしょうから。



*ところで “アンギン”ってそういう布かと思っていたら道具の名前でした。そして「これは編みであって織ではありません」と最初に言われた。こういうこと一つでも新しく知るということがうれしいんですよね。

いまだ変わっていない現状に意味を持ち続けているボブ・ディランさんの詩


今年(2016年)のノーベル文学賞受賞者はボブ・ディランさんです。ということを聴いたときえっと思いました。(その後の経緯のいろいろは置いときます)改めて考えることなく文学賞だから作家が対象になるものだと思い込んでいました。 

今でもすらすらと英語の歌詞が理解できるわけだはありませんが、生き方も含めてその姿勢そして時代を反映したバックに映される映像とともに聴こえてくる曲の心地よさにひかれていました(他のプロテストソングと言われた数々の名曲とともに歌詞の要約は目にしていましたが)。

受賞発表後さまざまに伝えられる見解を自分なりに咀嚼し伝えられる“歌詞”を改めて読んでみると曲がついていなくとも十分に内容のあるものだと気づきました。

 平和と普通の生活を求めて軍事基地建設に異を唱え続けている沖縄の人たち、いまだ終息のめどもつかない原発事故そして危険な核を使っての発電に待ってくれと言っている人たちの声を一向に聞かない人たちの存在ことを思うとこの歌・詩がいまだに古くならず力・意味を持っていることがよくわかります。いまだ過去のものにならないというのは問題だと思いながら。

2016年10月16日日曜日

ほんとにあきれる次期アメリカ合衆国大統領共和党代表候補ドナルド・トランプ氏 と ほんとは危ない安倍首相


まったくひどいものだと思います。ほんとにあきれます。何ってアメリカ大統領選に共和党から出ているドナルド・トランプ氏のこと。

前からもしトランプ氏がアメリカ合衆国大統領になったら(核兵器のことを頭において)恐ろしいことだと思っていたけれど、主義・考え方以前に人間としての資質に問題ありということが次から次へと公になるのでさすがに一時は党の候補ということで渋々ながらも支持した人も支持を撤回している。なぜこんな人が熱狂的な人気をえ大統領候補になりえたのかと思ってしまいます。

同時に思いました。ほんとに解決するために取り上げるのではなく、受けることだけを狙い扇動の手段として利用しているポピュリズム。問題の本質から目をそらせるということでは罪深いことだと思っています。でも実際アメリカ以外にもフランス イタリアをはじめヨーロッパ各国でもこの動きが社会の安定化の上で大きな脅威となっているのが現実です。

と、ここでまた思いました。私から見れば安倍首相も十分危ないと思うけれど日本国内の一般にはそれほどには取られていなくて、各種法案や行政運営で大変なことを行っているのにマスコミによる支持率調査では高い数字を維持しているのかということ。これはマスコミ報道の現在が非常に問題ありだからなんだけれど、日本以外からはどう見られているのかというと、アメリが合衆国議会で演説した時には自分でも発言していたから本人は海外からはどう見られ評価されているかを一般の国民よりはるかに認識し自覚しているようだけれど、平和問題 社会の安定ということでは危ない人だと思うんだけれどなぁ。

2016年10月7日金曜日

O2 14-11-8  石敢當



年に何回か送られてくる旅行会社発行の新聞に目を通していたら、沖縄の琉球新報社の人たちが「私たちが沖縄の石敢當になりたい」と始めた取り組みのことがほかの沖縄の話題とともに紹介されているのが目に留まりました。

ちょうど視線の行った先に 「~T字路の突き当りや辻、三叉路に立てる魔よけのこと~」 という文字があったのです。 ちょうど先日、ラベル・沖縄平和ツアーの「ヒンプン」の表題で書いたことじゃないですか。そのときは名前が書けなくて行為・発想「魔物はまっすぐしか進めないのでわざと突き当りを設けている」ということを書きましたが、そのものずばりの言葉・名称がそこに書いてあったのです。

 

私が“悪鬼”と書いたものは 沖縄では“マジムン” まっすぐ進む(しか進めない)マジムン除けは “石敢當”(いしがんとう)というのだそうです。



いろいろなことに興味関心を持っていて、時にはもっと一つのことを深めるほうがいいのかなぁと思ったりもしますが、まじめに向かい合っているとたまには神様がこんなプレゼントをしてくれるのですね。 

2016年10月6日木曜日

F2 16-3-9 堪える暑さ


フィリピンは1年を通して気温・湿度の高い熱帯モンスーン型気候で年間平均気温は2627℃。雨期(611月)と乾期(125月)となっています。それでいうと、初めて行った10月は雨季の時期に入るんですね。

 フィリピンには10月と34月の3回行きました。気温はいずれも30度から上が続き暑い暑い毎日、でも身体への応え方はそれぞれでした。



 初めて行った10月は、暑いことを覚悟して行ったせいか意外と大丈夫でした。日本(新潟)との気温差も10度前後で収まっていましたし。といっても暑いことは暑くて、特別動くわけでもないのに顔にも手のひらにも自然に汗をかくくらいでした。ただし私が寒さに慣れているように、地元の人たちは私よりはるかに暑さに慣れているのでしょう、私が手のひらに汗をかいている時でも汗をかいていませんでした。その違いに少し考えるところがありました。

 
2度目は3月。初めての10月が覚悟していたほどでなかったので「まだ3月だし~」という気持ちで出かけてみたら これが堪えました。  

雪こそ降らなくなったとはいえまだまだ寒い日の続く3月の新潟(最高でも10度を越さない日もある)からいきなり気温30度越えのところに行ったからものだから身体が暑さに慣れていなくて堪えたんでしょうねバテバテでした。 じとじとまではいかないけれど湿気もあったし、治療するときのようなホットパックでくるまれているような、バテ気味の体にはそのパックの重みさえ感じる暑さでした。地元の人も顔に汗をかいていたから暑いことは暑い時期なんでしょうが。

 3度目になる4月は、3月の経験もあったし新潟も春めいてきていたのでいくらかよかったようにも思いました、でもこの時も暑かった~  期間も長かったし上着こそはおらなかったものの長袖長ズボンをまとわなければならない時もあったし、電気代が高くて家の人は全然使ってなかったエアコンのある部屋で日中の暑い盛りに何度かそこで一休みさせてもらいました。

帰国する間際に聞きました「今が一番暑い時期なの?」って。答えは「一番は6月くらいかなぁ」ですって! それはどれほど堪える暑さなんでしょう




*住宅事情にもやられました。 夜も更けてから、そして朝方は表へ出るといい風が通るんです。でも寝ようと思って家の中へ入るとこれがもう蒸し風呂状態、扇風機2台を一番強く回しているんだけど来るのは熱風。窓は片側にしかない長屋構造の上に、防犯上仕方ないのかもしれないけど夜は唯一の窓もドアもしっかり閉めて寝るもんだから風が抜けない全然抜けていかなくて眠れません結果疲れが取れません。一部屋だけ、窓枠にはめ込む形の小型のエアコンがあるんだけど電気代が高くただ あります というだけ。それもあって 疲れが取れない暑さにやられる というパターンになったのかもしれません。

2016年10月2日日曜日

F3 16-4-20 制服 おまけ




手続きで訪れたところで正装としても通用するバロンを着ている男性と会いました。スラックスやワイシャツ・ブラウスをまとっている人も目にしました。 

日常的にはTシャツ短パンそしてサンダルが多くとも時によって、そしてその差は拡大する一方の(階層)格差を超えると・その場によって服装も雰囲気も随分違うんだろうなぁと感じます。同じ空の下・国に息をし暮らしながらも目に見えない“結界”が存在することは知っています。その拡大はどの国・社会でも大きな問題で、フィリピンでも変わりません。もともとあった格差が一段と拡大していると言い切ってもいいと思いました。




余談になりますが、一見涼しそうに見えるバロン、日本の絽の着物と同じで本人は見た目ほどにはどうなんでしょうか。下に着て上に重ねて羽織るわけですから。

話ではパイナップルの繊維を使って風通しのいいように作られているとのことですがどうなんでしょうか。

バロン 式のときに羽織ってみようと頼んでおいたのですが用意されていなくて試せませんでした。ショッピングモールで扱われているところも見かけたんですが、一枚買い求めるほどにでもない感じだったし。日本にいてはそうそうできないことなので、少し粘ってそでを通してみればよかったかな。少し残念です。これからもチャンスはあると思いますけど。

2016年10月1日土曜日

F3 16-4-19 服装・制服




見かける服装は圧倒的にTシャツと短パン。だけど印象に強いのは制服姿の人たち。

空港や領事館にいた人とショッピングモールの入り口でセキュリティチェックをしていた人、街中の銀行や何のお店かまでわからなかったけれどその前にいる人も同じ服装だったので公的な警察官なのかガードマンなのかまでわからなかったけれど、姿勢も良いしかっこよささえ感じました。(映画で見るようなショットガンを手にしている人もいました。)

 そのほかにも、ショッピングモールに入っている様々なお店。ファストフードのお店、食品スーパー。小さなお店であっても働いている人はそろいの制服というところもありました。

制服を着た人たちはいずれも「熱くないですよ 汗なんかかいてませんよ」て感じですっきりしていました。ちゃんと服を着て姿勢をよくすると、気温が下がるわけでもないし暑いことは暑いんだけど意外といけちゃうんだけどちょうどそんな感じなんでしょうか。

それに、もしかしたら制服が好きなのかもしれないなぁと感じました。制服を着ている自分をかっこいいと思っているんじゃないかな、だからなおさらかっこよくなるのかなと思いました。