2021年9月20日月曜日

記念紙誌原稿 洗礼を受ける 1/8


   創立135年記念に発行される「K」誌の原稿です。加筆も考えましたがだらだら長くなるよりは一つ一つのエピソードは別の機会にもっと豊かにした方がいいかと思い、一部修正で掲載します。 わかりにくくなったかもしれませんが。

 

今年、実に24年の間を開けて4人目の子どもを恵まれました。(縁あって5年前に良き伴侶を得て。) もともと子どもは4人を望んでいて、真理を喜ぶ で MAKI 神の証人 で AKASHI 真理の言葉 で MAKOTO、そして4人目には 真理の名前 で MANA という名前を考えていました。 広く周りに 神を示す 明らかにする、伝えなさい 神様のために働きなさいよ と言う想いで考えた名前。意味有る良い名前であるのは間違いありません。  

けれど今は新な想い 発想で4人目の子どもの名前を考えています。 いろいろあったから… 私も変わったなぁ と考えています。

 私はN教会付属のS幼稚舎に通い、小学校に進んでからも祖母 Tと一緒に日曜学校に通っていました。祖父 Sは、無教会派だったこともあるのか欠かさず礼拝にということは無かったように記憶しているのですが、私が教会から帰ると何時も大きい缶の蓋を開け“ロシア・ケーキ”だったのでしょうか普段目にするものより大きいクッキーを一つ選ばせてくれました。楽しく思い出される いい思い出です。 中学校に入ると、日曜学校に通う中学生自体が少なかった上に男子は私一人だけ。教会に行って誰かに会うとか教会に行って何かをするというような事も無く、なんとなく足が遠のいてしまいました。 そのころの礼拝説教はまさに聖書研究。聞く人が聴けば非常に意味のある話だったのでしょうが、中学生の私には全然面白くない時間でした。そんな私でしたが、祖母のTは毎週必ず日曜礼拝に誘ってくれていました。

 話は横道にそれます。 そのころの教会は祖母も含めて名物おばあさんが幾人いました。みなお気に入りの席が決まっていて、そこで説教を一言一句ノートに書き留めているのです。祖母のノートを見たことが有りますが、縦書きでびっしり書き留めているそのノート「これほんとに後で見るんだろうか」と感じた覚えがあります。

0 件のコメント: