2021年9月20日月曜日

記念紙誌原稿 洗礼を受ける 3/8



大学では社会保障を学びました。 教会、礼拝は大学の教職員も通う教会に行きましたが何か物足りなさを感じ、他に何カ所か行ってみたもののなんとなく足が遠のいてしまいました。 初めて親元を離れての大学生活、その後の学生生活は今思えばせっかくの機会をと思うことも多々ありますが、読みたい本もいっぱい 興味のある事 やりたいことがいっぱいありました。 “解放の神学”の動きには大いに惹かれました。クリスチャンとして、教会の外 社会で何かしなければ、と考えました。「科学とヒューマニズム」という言葉も印象に残っています。 実際の所は、想い先行でどれだけできたかという所ですが。何処へ行っても何を話してもクリスチャンとして というこだわりは持っていたつもりです。 

卒業、そして就業・社会へ。大学を終えて進んだ先は医療の世界でした。 神様は、そんな学生時代を経た私に気づかせようとでもしたのでしょうか。今に続く“試練”が始まりました。 社会人になるとやはり違うものです。学生の時から準備してきた人でさえ最初から問題なくという事は無いんでしょうが、社会人としての自覚も不十分・学生時代の延長で来たような私は周りからどう思われていたでしょう。人との付き合い方も、学生時代のような会いたくない人とは合わなければいいなんてことは通用しません。もちろん仕事は覚えなければいけません、上司 同僚 職場には様々な関係が有ります。まわりと同じようにふるまえていない私を感じていました。全部だめというわけではないんだけれどちょっと違うかな。そんなつもりじゃないんだけどな、と。 社会に出て早々の様々な体験で、この後の数年は身体的にも精神的にも大変でした。 でも何とか耐えられえたのは、やっぱり帰るべきところは教会 踏みとどまれたのは教会、とはっきり思えました。 

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