2021年9月20日月曜日

記念紙誌原稿 洗礼を受ける 5/8

 


   習いもので知り合いが増え、新しいことを知る喜びを思い出しました。そして、だんだんいいおじさんになっていたのでしょう。周りは若い人ばかり。でもその人たちの方が、技術的にも経験もルールにも詳しいのです。見て聴いて、教えて 助けて と頼むわけです。 昔を知る人に「昔と随分感じが変わった。」と言われたことが有ります。「助けて」と言えるようになったからかと思います。 ここへ到達するまでの辛い日々、もし私がクリスチャンでなかったら今こうしていなかったんじゃないかとほんとに思います。 神様は支えでした、救いでした。信仰を持つ大切さ、いざという時に頼れる教会・教会の人達の存在。“神”を感じ、確信が深まったのもこの経験があったからだと思います。 以前の私なら、問はれれば知識として神はこんな奇跡を起こしたと説明したと思います。目に映り耳に聴こえても認識できなければ意味がありません。ですから知識はあった方が絶対いいと思います。 けど知識さえあればいいというものでもありません。知識として証拠を示すだけでなく、それがなくてもと感じられるようになったら、などと言っている今の私は、知識を求めている人にとっては満足してもらえる説明はできなくなったかもしれません。私がどのように生き生活をしてきたか、どう救われ変わって来たか・・・  そして今あなたの前に居る、という話はできると思いますが。

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