2021年9月20日月曜日

記念紙誌原稿 洗礼を受ける 2/8

   


   話し戻って。 今思えば、何だったんだろうと思うばかり、経緯を思い出すことさえできませんが。中学3年の時に一度洗礼を受けたいと申し出たことが有りました。 その時は、申し出ては見たもののその後牧師の方からも私の方も、次どうするか具体的な進展を見ることもなくうやむやになってしまいました。「中3」という事を考え併せてみると、受験を控え、初めて自分の方から“何かに”と意識した結果の出来事だったのかもしれません。

 高校入学後、ラグビー部に入部。並行して聖書研究の集まりにも顔を出していました。多くの人と語り合い、“知識”としても聖書を読んだと思います。 母 T(Y)は、とにかく私の願いをかなえることを第1にしてくれました。それに対して感謝するでもなくわがままで知識ばかり増やしていた私は、入学の時の「あなたがここを選んだのではなくて、神様があなたを選らんでここに居る。」という言葉の深さを理解しないままに、高3になった41日の礼拝で受洗しました。 当日、無事洗礼が終わり皆さんに紹介という事で、振り返った時「失敗した!」と身体が熱くなりました。これまで洗礼を目標にいろいろやって来たけれど、受洗がゴールではなくてスタート。洗礼は、確かに大きな節目ではあるけれど、クリスチャンとしての生活・人生はここからなんだと気づいたのです。 この時のことはよく覚えています。これが初めてどこにも書かれていない何か得体のしれない大きな存在を感じた瞬間でした。

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