2013年8月31日土曜日

「はだしのゲン」閲覧制限が逆に公にしてしまった事の本質


松江市教育委員会による「はだしのゲン」を評して「戦争・原爆(被害)の描写 女性に関する描写が過激」ということでの閲覧制限は何とも情けない顛末を見ました。

先に“松江市教育委員会”の名で出されていた閲覧制限は「松江市教育委員会の事務局が勝手に各学校に指示したもの」だと言うことで、今度も“松江市教育委員会”の名で撤回する通達が出されたのです。

 

描写の過激さの度合いに関しては様々な作品・表現がある中で「はだしのゲン」の表現の度合いがどれくらいというのはいろいろな立場での位置づけがあると思います。

だけど核兵器による被害 禍がほかのどんな兵器とも比べられないほど残虐なのは間違いのないこと。核兵器は“非人道兵器”と言うのは改めての言を俟たないと思います。

だからこそ、それをテーマにした作品が真摯に当たれば当たるほど“過激”な表現になるのはある意味必然でしょう。

 

 そもそも、先の“松江市教育委員会”名で出された通達は何だったんでしょう。

教育長が通達に触れて話している映像も見ましたけど、この間教育委員会・教育委員は何をしてたんでしょう。

 ちゃんと任を果たしていないし、教育委員会の持つ権限と影響力のことを自覚していませんね。

 

被爆国として一段と情けないけど、日本は核不拡散条約(NPT)再検討会議・第2回準備委員会での「核兵器の人道的影響」についての共同声明に署名しない数少ない国の一つ、国の“代表”の姿勢がこうだから起きたともいえる閲覧制限。

このような事からも、この度明らかになった松江市教育委員会による閲覧制減は、一地方都市の出来事とかたづけられない大きな意味合いを持つものです。

 

事の進展は、この度閲覧制限をもくろんだ人たちにとって「はだしのゲン」を人々の目から遠ざけようとしたことによって逆に「はだしのゲン」そして「表現の自由」「知る権利」といった“事の本質”に関心を呼び起こしてしまったので大きな誤算だったことは間違いないでしょうね。

2013年8月28日水曜日

妄想人


 
 
 
 
孟宗竹

遊走腎

夢想人 

私は 日本国籍の妄想人

syanさんのバルーンショー


syanさんのバルーンショーを見てきました。

 毎年この時期に行われる 万灯のあかり~妙光寺の送り盆~ の催しの一つとしての大道芸のコーナーにでていました。

 バルーンショーは幾度か幾人か観てますけどこれまでで一番しっくりきたかなぁ。

 もちろん手さばきは見事で、作り出す作品の選択も好ましいものでした。速さは、上には上がいるのが常だから速さだけでいったらもっと速い人もいるでしょう。だから、いろんな要素を併せて、ショー全体を通してうまいなぁ良いなぁと感じたんでしょうね。

 大道での芸でしたから、広い会場の中 並びにほかの催しが同時進行で行われている、奥で行われる催しに参加する人たちの行き来も途絶えない。

 そんな視覚・聴覚様々な情報が途絶えない中でバルーンシヨーを続けるというのは大変なんだろうなぁと思ったけどしっかり自分の空間を構築し演じきってました。
  悪条件。どのような条件の中でも自分の能力を発揮できるかどうかがプロとアマの違いになってくると言うことなのでしょうか。
 今年のこのコーナーは当たりでした。

2013年8月27日火曜日

今年のスキヤキに行かなかったわけ    人に響く紹介の仕方


去年の今日はスキヤキに居ました。

でもこれを書いている今は家にいます。

 

今年も春先から、だれがやってくるのかなとスキヤキのウエッブサイトをのぞいていました。

第一報 第二報と紹介されるミュージシャン達。

今どは誰が決まったかな、どういうスケジュールになったかな、とたびたびチェックしていました。

私が(まだ)知らないだけで、間違いなく実力を伴った素晴らしいゲスト達なんだと思います。

 

 でも、行くぞ! にならなかったんだなぁ。

 なんなんだろう。

紹介される経歴はそれはそれ、あんなものともいえるけど過不足なく充分だと思います。なんだけど、何か突き動かされるものを感じなかったんだなぁ。

ストーリーかなぁ。

 

 昨年はOKIさんをぜひ聞いてみたいと思い都合をやりくりして出かけました。

 

 OKIさんを初めて知ったのは新聞の新譜紹介のコーナーでした。

何枚(幾人)か紹介される中で、特にOKIさんについては途絶えていたトンコリを復活させた人間、日本と言う国境を越えて北方アイヌ系の人間としてアイヌ文化、アイヌの人々のためにいろいろな取り組みをしている…

どんなCDなのか、どんな人なのか関心を持ちました。

あるとき、発進させた車のカーラジオから流れてきた音楽に一瞬にして全身が耳になりました。

その力強さ、ぐいぐいとこの身体を引っ張り出される乗り。途中から耳にしたので誰の演奏かわかりませんでしたけどすごくすごく惹かれました。

何時の放送・演奏か、どの曲名・演奏者の前だったのか運転中忘れないように必死でいました。

ネットで調べたらそれがOKIさんだったんです。

こういう出会いと物語が私をスキヤキに行かせたんだと思います。

 

私が知らないだけ。今年の出演者たちだって全員が素晴らしい物語を持っているはず、でもスキヤキのサイトを見ている分ではそれがわからなかったんです。

結局は出会い“縁”なのかもしれないけど、紹介する時はどういうことが必要なのか教えてもらいました。

勉強になります。  2013.8.24記             

2013年8月18日日曜日

1-16-56   交換条件  没収しない代わりに


やり取りの中でだんだんはっきりしてきたのが、ここで問答無用の没収はされないと言うこと。

 

カウンターの担当者から交換条件が出されました。

 

機内(客室)持ち込みの身の回り品ではだめだが手荷物として預けてしまうならいい、と。

ここまで来ると、もう双方にとってこれしかこの場をおさめる方法はないと思いました。 

 

手荷物として預かってもらうにはこのままではだめでしたがすでにトランクは預けた後。それで荷造り用のフイルムでラップすることにしました。

 

どこでラップできるのか教えてもらって向かいました。

そこへ行くと、台所で使うラップの何倍も大きく丈夫そうなフィルムが柱の前に縦に備え付けられて在りました。

2013年8月17日土曜日

1-16-55 トラブル発生


と、自分の手続きを終えて周りを見てみれば同行のIさんが何やらもめています。

聞いてみると「何が悪いのかわからない」と言うことなので間に入って係りの人に聞いてみると、エナイボルク村で購入した装飾された杖が問題になったようです。

 

手続きが無事終わるのを見届けようと残っていたNさんが、建物の外からガラス戸を叩いて呼んでいます。

そこまで行きガラス戸越しに事情を話したら、「今までも同様の杖をお土産にした人はいたけれど問題になった人はいなかったんだけどなぁ」とのこと。

戸の合わせ目から「彼女は膝が悪くてこの杖が必要です」と言うメモをもらってカウンターの係員に見せ、私もいろいろ話してみますけど変わりません。

このやり取り、そしてガラス戸の向こうのNさんのところと行き来する私を見ていたお腹の大きなエミレーツ航空会社の地上勤務の人もNさんのところまで行って事情を聴いてくれて、カウンターの女性の脇に立ってもくれましたがらちが明きません。

もうここまで来ると向こうもメンツがあるから駄目だろうなぁと言う感じ。

ガマの息(生)苦しさを思うほどのすざまじい蒸し暑さ 2/2


そこでまたまた思い出したのが

以前傾聴の講座を受けた時に訊いた、「人間には安心できる周りとの距離がある」その人の持っている距離感 感覚 相手との関係 それを一方的に侵されると不安にとらわれ我が身を守ろうとすると言うことが印象に残っています。

蒸し暑さ 息苦しさ 限られたスペースに恐怖に駆られた多くの人が、家族や好きな人 だろうがどうだろうが一定の距離を保てないところで命を落とした多くの人たちのことを思いました。

ガマの息(生)苦しさを思うほどのすざまじい蒸し暑さ 1/2


この夏、梅雨明けが8月にずれ込んだ(2)のも初めてのならその後の暑さの凄まじいことと言ったら。昨年も暑かったけどそれ以上。

 この身全部が熱気に包みこまれています。   

じっとしているだけでも息苦しく、動くときには熱気の壁の抵抗を感じます。

この抵抗感は、そうだなぁ。お箸で持ち上げようとするともろくザクザクと崩れる寒天ゼリーのような感じかな。

がんじがらめに押さえつけられるようなものではありませんけどこの蒸し暑さでかなりきついものがあります。

 

この息(生き)苦しさの中で私は沖縄のガマのことを思い出していました

 

私が訪れたアブチラガマはヘルメットを被るのが入る時の約束事になっていました。入り口は狭く急で背を丸め首を縮めないと頭をぶつけてしまうものの、いっきに下った先は蟻か何かの巣のように何層にも幾部屋にもなっている大きなものでした。

崖もありました。どこも平らではなく、坂になっているし歩を進めるには凸凹。岩がゴロゴロ、足元が悪く危ないものでした。 

この時はガイドさんと幾人かが懐中電灯を持っていましたが、本来は照明などはありませんので真っ暗、手さぐりで足を進めるようなものです。踏み外して足を捻挫してしまいそうでした。

アブチラガマは病院壕になっていたガマだそうです。

思った以上に天が開け広いところもありました。ここで明りを一切付けないようにと言われてすべての明りを消しました。

ほんとに真っ暗なんです。身動きできません。みんなの緊張が高まるのを感じました。

 

暗く深く広いところに、今は私たちのグループだけでしたから苦しいほどの湿気 蒸し暑さは感じませんでした。

何か“気”と言うか暗闇の中で、恐怖感 緊張感で背中やわき腹にざわっとしたものを感じました。

とは言え、これでぎゅうぎゅうのすし詰めだったらどんなに蒸し暑いか酸欠状態で息苦しかっただろうか、とわが身に置き換えるのは難しくありませんでした。

2013年8月14日水曜日

旅立ちにあたって ゴッド・ブレス・ユー


昼からK大工さんが家に寄ってくれました。

春先に、佐渡へ帰ろうかと思っていると相談(もう気持ちは決まっているようでしたが)に来てくれてましたので、決断したんだなと思いました。

こちらには住むところも仕事(収入の糧)も家族も知り合いもみんなそろっているのにそれらとの縁を一度区切りつけるようにして佐渡へ行くことにしたそうです。

 

もともと佐渡出身のK大工さん、住む人がいなくなりほぼ朽ちてしまった生家を手直ししながら暮らすんだそうです。

向こうでやりたいことが今具体的にあると言うことではないようですが、こちらでの仕事を息子さんに引き継ぎそれによって一段の成長を促す意味もあるやに感じました。

いずれにしても今持っているものを捨ててと言うのはなかなかできることではないと思います。

ゴッド・ブレス・ユー

「アジア子ども絵日記展」で気づいた子どもはどこも同じだなぁということ


新潟国際交流協会を会場に行われている「アジア子ども絵日記展」に行ってきました。
会場はパスポート発給事務を行う事務所に隣り合った、国際交流に関するグループやその活動紹介、各国の文化を紹介する資料などが置かれているスペースです。
展示されていたのは、子どもたちが描いたそのものではなく何人か分を一枚のパネルにまとめた複製でした。全国のなんか所かで同時にこの催しが行われているのでしょうか。
 
技術的な習熟度の違いは置いておくとして。
展示されている作品は、良くも悪くも小さい子どもが人を描くときの身体のパーツバランス。画面に占める題材の面積、大勢の人間が小さく描きこまれていたり、関心の有るもの 人物が特別大きく描かれていたりしていました。
 中に、色使いと言い面積を使い切る中心となる人間にトリミングを加える描き方 色使い勢いのある絵もありましたけどアニメの影響かな?
 
国・宗教・風俗風習の違い、衣服などの相違はあるものの、題材は学校の事 お父さんお母さん おばあさんとのこと スポーツやお祭りといったどこの国 子どもにも共通するもの。 
 人間の一生のうちある時期しか描けない絵で、子どもたちは国々(民族 地域)の違いそしてどこも同じだなぁと気づかせてくれました。

2013年8月10日土曜日

相談窓口   人としておかしいやり取りも

 
今どんどん専門職員(ちゃんと訓練を受けた人)が外されてきて、“窓際作戦”として申し込みに来た人に人格を否定する人権上許せないひどい言葉を浴びせて追い返すケースが増えているという話がいくつも話されていました。
そういう話は私自身これまでに知っている事ではありましたけれど、実際のその多さ深刻さひどさは私の認識をはるかに超えているということを突き付けられました。

今日聞いた話の中で、そんなひどいことを平気で言うのかと会場から思わず声が上がった話。 

子どもを抱えて離婚、頑張って頑張ったけれどどうしようもなくなり生活保護を申請に行った窓口で「別れた夫の実家から援助をもらえ」と言われたケース。

 こんなことまで言うの!

 

私の体験。

父が入院することに伴っての手続きで窓口に行ったら執ように「何で入院するんだ」と聞いてくるんです。 

口ごもっていると、言うまで手続しない感じでついに言いましたよ「ガンです!」と。
 
 
 
 
*助けの必要な人に寄り添い一生懸命その専門性を発揮している人もいることを言い添えておきます

 誰を 何を守るというの


そんなことを思っていたら、縁があったんですねぇ、第55回自治体学校に参加する機会に恵まれました。
 

 

 今、「福祉課」の窓口がどんどん「支援課」に変わってきているんですってね。助けを必要としている人の立場に立ち、助けを必要としている人に寄り添うのではなく、脇から“自助を支援”するだけに変わってきていると言うこと!?

 

今でも保険料を上げる一方なのに、合わせて保険適応になる項目をどんどん削っている。

 俗にいう保険外し。

そして、受益者負担と言う名の、いざ利用する時の負担の拡大で利用しにくく仕向けている。 

それで利用者・率が減ったとしても、問題が解消されたから減ったと言うことではありません、行政の負担していたものを個人が負担するように変わっただけと言うこと。

つまり行政の負担を減らしているだけ。

国が国の支出・制度で自国民を守ろうとするのではなくて、どんどん公助から身を引いていることにほかなりません。

 

いろいろな考えの人がいて賛否両論。良しとしない人も、それがいいという人もいるというのは承知しています。

が、今の軍備増強の危険な動き、最新兵器を買い揃えてそれで何を守ろうというのか。

軍備を増強し、強大な軍隊ができた時に肝心の国民はどうなっているのかと思います。

 

ところで。

今、自助・共助の共助までも公助だと言いだしているんですってね、そこまで言うか! とびっくりしました。

日本にはまだ“社会”保障はないでしょ!

  先日の総選挙の時。

特に消費税増税を説く人達が、あまりにも社会保障 社会保障と言うのが耳について「日本にまだ社会保障はないよ!!」と思ってしまいました。

学生時代に多少なりとも社会保障を学んだ者として、今の日本に有るのは社会保険だよと言わせてもらいます。

 

今から4050年くらい前からでしょうか。

「受益者負担」と言う言葉で、そもそも不十分な制度、そして保険料()を払っているのに、利用する際さらに負担を強いられることが行われるようになってきました。

 それも、払う力に合わせて払う応能割ではなく、お金があろうがなかろうが決まった金額・割合で払わなければならない応益割で。

 その結果、決して安くはない利用時の負担分を払えずに、利用を我慢するというのが実際に起きています。

 

そもそも自分で賄っている自助は社会保障の制度ではありません。

共助が隣近所 地域などで助け合うことを言うならばこれだって社会保障の“制度”じゃないですよね。