2014年8月29日金曜日

大きい政府小さい政府


 

日本の公的教育支出がOECD諸国の中で下位、平均以下という事は知っていました。ちなみに、2013年度版の文部科学白書では平均を下回る23位。特に高等教育に限ると必要教育費に対する公費負担割合は34.4%で25位にとどまっているということです。

とは言え、一時脚光を浴びたイギリスはサッチャリズム アメリカ合衆国はレーガノミクスもあったけれどもともと小さな政府。対して日本は未だ足りなかったり後退があるにしても形としては大きな政府だと思っていました。

  

日本における皆保険制度はアメリカ合衆国はもちろん世界中を見渡しても評価が高いのに“受益者負担”の名のもとにどんどん切り捨てられている 通信の電電公社・逓信省、交通・運輸の国鉄、主食の米・農産物、教育介入、雇用・労働、賃金、生活保障、年金制度等々において民営化・組織改編そして内容が後退、ここ数十年どんどん悪くなる一方です。低所得・貧困層の増大、子どもの貧困割合の拡大。社会の安全弁としての生活保護は本来対象の人でさえ受けさせない運用実態になっています。

このような状態は、特にこの所・安倍政権になって一段と悪化・加速してきて国民の1/4が相対的に貧困、生活困窮状態になってしまいました。

雇用・労働 教育 子育てなどでの個人・家庭の負担軽減のことを考える時、日本の現状を考えればできないのではなくて政策としてやるかやらないかの選択の問題なんですけどね。

そして、もっとも根本的な人権の事、人権意識はいまだ不十分なままです。それが社会問題も対外的にたとえば戦争責任への対応にも大きく作用していると思っています。

2014年8月28日木曜日

10-9-15  ハミルトンホテルのある街 ・ アラビア文字のネオンサインが思いのほか



 
 

たくさんのネオンサインを見ていて気付きました。

もちろんハングル文字は多いんだけど英語・アルファベットも多くて、日本語も。その中に交じってアラビア文字が結構あったんです。


高速を走るバスの車窓から、十字架を高く掲げた教会が次から次へと見えたものだから李さんに訊きました。その話では、キリスト教と儒教と仏教がくらいづつだという事でしたがイスラム教の信者も増えているんでしょうか。それとも経済的結びつきが強まっているということ?

10-9-15 ハミルトンホテルのある街 ・ 昔のコザみたいな感じ


 


 
 
 
ホテルを一歩出るとそこは彩度の高いネオンとお店がいっぱい。

同室の人が沖縄出身の人だったんですが、このにぎわいを見て「昔のコザみたいやなぁ」と言っていました。コザですかぁ。

 この人のように直接の体験はないんですが、1960年代だったでしょうか。当時夏は政治的にもとても暑く“ハーレムの暑い夏”とか“コザ騒動” が毎年起きていました。

 この町の感じコザみたい。当時のコザはこんな感じだったのかぁ。

 

2014年8月27日水曜日

10-9-15  ハミルトン ホテル


 
 
 
ソウル梨泰院(イテウォン)地区にあるハミルトン・ホテルに2泊しました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ホテルは、特別に豪華ではないけれど、ソウル・韓国観光を目的にするならば十分。一般の人が泊まる、家族でも団体でも気兼ねなく、宴会利用もどうぞ、といったクラス・イメージでしょうか。

 

2014年8月26日火曜日

第2次世界大戦後69年の間に大きく違ってしまった日本とドイツ


新潟はやはりお盆を過ぎると風が変わりますねぇ。先週=お盆の週に比べるとずいぶん変わりました。特に、朝が楽になったと感じています。

それにつけても、この所繰り返される異常気象、特にこのたびの広島の土砂・土石流・大災害はひどい。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。現地で活動している消防隊をはじめとする人たちボランティアの人たちの思いと行動に敬意を表します。

 

話変わって。

そんな悪条件・猛暑の中で感じていたのが、ドイツと日本の第2次世界大戦に対する姿勢(戦争責任)の違いのこと。

ナチスドイツが降伏した58日はヨーロッパ戦勝記念日になっていますが、日本においての“終戦の日”815日というのは“お盆”という事で国民全員が一様にご先祖様に思いをはせる日。

私常々、日本における“終戦の日”がなぜ815日になったのかと思っています。そこに何の作為もなかったのか。“終戦”をその日に重ねることによって“国民総責任”にすり替えて、政府としての責任の明確化と取り方をうやむやにしているように思えるのです。

8月は6日広島9日長崎の原爆投下15日終戦のことがあるので、さまざまな発言・調査の発信があります。市井の人たちの大陸各地・国内での様々な実体験の公表、語ること自体家族をはじめ周りの人たちとの関係でも大きな決断が必要だったと思いますが以前はなかった兵隊(加害者)として行ったこと見たことの公表もこのところ多くなった印象があります。
対して、国・政府としては総括がされていないと思います。 認めるべきは認めちゃんと総括して責任を明らかにし、取るべき人が責任をとらなければだめだと思います。日本の国・政府としての戦争責任の追及、認識、対応が圧倒的に足りないと思っています。ナチスの戦争犯罪に時効はないとしている、周りの国々との関係修復に努めているドイツ。同じ敗戦国でありながらドイツと日本は今では大きく異なってしまいました。従軍慰安婦=セクシャルスレイブの事ひとつとっても、原爆症認定、こんなに問題になっても国会議員として国務大臣として靖国参拝を続けていること。何より、人類の英知の到達と言ってもいい現行日本・平和憲法の否定、増強される一方の軍備を巡る動きをみると思います。

戦争、広島・長崎そしてビキニ水爆実験への対応を中途半端なままにしていたから、福島第1原発事故とその後の対応で過ちを繰り返しているのだと強く指摘している人が多くいます。全く同感です。

2014年8月13日水曜日

戦争では、何のために死ぬのかわからんまま


小学校教諭 大江未知さんのお父さんの言葉 

(新聞掲載大江さんの囲み記事から抜粋)
 

・「人生で一番甘く華やかな青春時代を、戦争で死ぬことばかり考えさせられて台無しにされた。」(注・当時の若者は)

・「教師は未来をつくる仕事だから、何よりも子どもたちを大切にしなければならない」

(注・大江)が教師になった時、父が大変喜んで言った言葉。

・「実直で働きものの庶民と、まだ人生も知らない若者が、国に殺された」

 

父は穏やかでユーモアあふれる人だったが家族団らんのさなか突然不機嫌になることがあった。


父は、阪神大震災の後に、肝硬変から肝臓がんを患って死にました。 高い熱が出て意識がもうろうとする中で、私に(注・娘=大江)何度も「これくらいの暑さは大丈夫。家で死ねるのはありがたいことや。戦争では、何のために死ぬのかわからんまま、何人も学生が死んでいった。俺は、臆病で卑怯者だったから、申し訳ない」と謝りました。

 


 
・・・・・・・・・

 

何のために(自分が)大切な命を奪われてしまうのかわからないままに死ななければならなかった無念。幸いにも戦争で死ぬことなく生きて帰り家族にも恵まれたけれど一生拭い去れなかった体験。

こんなことはあってはいけなかったこと。これからあってはいけないこと。

2014年8月12日火曜日

東京都立第5福竜丸展示館主任学芸員の安田和也さんの講演から


86日広島原爆の日。「第25回新潟県生協連平和集会」(新潟駅前・万代市民会館)
「核兵器なき世界を目指して、第5福竜丸は航海中」と題しての東京都立第5福竜丸展示館主任学芸員の安田和也さん の講演を聴いて 


ビキニデー集会(2012)の時の野口さんの話で、ビキニの水爆実験で上空に放出された放射能によって日本はすでに汚染されてしまっているというのは認識していたのですが、このたびの安田さんの講演・資料映像でとても分かりやすいものが紹介されていましたのでいくつか紹介します。


汚染魚の分布

北極から汚染の広まりを見る
 
上空の気流に乗ってアメリカ大陸・世界中に到達・汚染している。 
アメリカ大陸にも

核実験・チェルノブイリ・福島第1原発事故後正比例して降下物量が増えている。 

その中でも福島第1原発事故による増え方・量が群を抜いている。

 

 

 核兵器・固定型の核兵器といえる原子力発電所から放出された放射能は広く地球全体に広がる。 核は相手と同時・同様に自分も破滅させてしまうという事がこの調査で改めてわかります。

8月6日広島原爆の日 「第25回新潟県生協連平和集会」


86日広島原爆の日。「第25回新潟県生協連平和集会」(新潟駅前・万代市民会館)に連日の猛暑の中参加してきました。

今日も朝の内から集会後の平和行進には暑すぎる一日。“平和行進”はすでに新潟では6月に広島に向けて行われていて、その時は呼びかけもなかったのに何で?という思いがありました。でも考えてみれば、新潟を通過したのはその後広島まで行くためにあの日程だったわけだし、86日に広島に行くことのできる人ばかりではないわけで、自分の住むところでも参加できる集会があるということはすごくいいことだと気付きました。

それはともかく、私は「核兵器なき世界を目指して、第5福竜丸は航海中」と題しての東京都立第5福竜丸展示館主任学芸員の安田和也さんの話を訊きたかったのです。

講演は、以前参加したビキニデーで聞いた話、山下さんたちの調査・研究でも訊かせてもらったこと+その後に判明してきたこと、情勢。夏休み中、子どもの参加もあるということで配慮されたのかなという飽きさせない工夫がされ、話慣れてもいるのか円滑な進め方で有意義な時間でした。

集会最後“集会決議文”の提案の所で一悶着ありました。

これだけの規模の集会の準備ですから、早い時期から準備に取り掛かっていたと思います。各地に散らばっているたくさんの組織・人員が集まり準備をするのは大変だったと思います。ご苦労様でした。
それを踏まえての話しなのですが。用意・提案された集会決議文()は全体集会レベルでの宣言ですし、早くから準備を始めた分刻々と変化する情勢に関しての直接の文言がなかったのです。それで、会場の参加者に向かって賛同を求めたとき会場から「原発再稼働反対という文言が入っていない」という発言が出たんだと思います。原発・核を巡る数々の問題のことは抜けることなく盛り込まれていたんだけど、先日の大飯原発再稼働差し止め判決・川内原発新基準適合(安全認定ではない!)再稼働を目指す動きに対しての直接の言葉がなかったのです。準備って難しい、大変なものだなぁと改めて思いました。 

 

ところで。

86日広島原爆の日といえば晴れ、暑い日という印象しかありません。でも今回は雨だったんです。何でも43年ぶりとの事です。 

そして、情けないというか恥ずかしいことをしてくれたのが安倍首相。安倍首相のあいさつは昨年の原稿の数字()だけを置き換えたものだったんです。みんながどのような思いで参加しているのかの気持ちに、人道に反する兵器=核を無くそうとしているのかに全然思いが至らないことを再び明らかにしてしまいましたね。真実とは別に、ここではこう言ったほうがいいだろうという事だけを平気で口に出せる二重基準はいけないと思います。

2014年8月11日月曜日

外は大荒れ 心の中も大風が舞っています


台風11号の影響で大荒れです。動きの遅い台風と太平洋高気圧の縁に沿って流れ込んだ雨雲の関係で沖縄・九州、四国・近畿地方、そして東北・北海道も過去の最高記録を大きく上回る大雨で大変です。窓の外は遠く彼方からゴォーウと風が駆けてきて木々を大きくしならせています。

公演のため見られずここ数日撮りためていた番組の合間に、仲良く歩く夫婦・家族の情景が目に留まり切なくなりました。 ある人を思い出しました。 会議通訳者の世界で海外の要人にも名指しされるほどの長井鞠子さん。通訳業を生業としてからの苦労・失敗の話し以上に夫とも子どもとも別れて暮らす日「中年夫婦が並んで歩いているのを見るだけで涙が出た」「悔しい、悲しい、さびしくなりました」に共感しました。

2014年8月9日土曜日

10‐9‐16  高麗人参の遮光ネット


  昨夜宿泊したホテルを出発、街中を抜け高速へ。反対車線はソウル街中を目指す車で渋滞。気付けば都市から農村部の景観にガラッと変わっています。  

「何だろう」日本でも普通に目にする乳白色のビニールハウスが並ぶ中に黒いものが混じっています。 ツアーコンダクターの李さんに訊いたら「あれは人参ですね」とのこと。

李さんはいろいろ教えてくれました。
最初に“宣言”したのが「普段皆さんは薬用人参のことを“朝鮮人参”と言っているけどこちらではそう言いません。あれは高麗人参です。」 李さんに言わせると、あれはあくまでも高麗人参であって朝鮮人参ではないのだそうです。 
人参栽培は難しく、日差しの管理も大事なことの一つ。あの黒いのはそのための遮光ネット。 
生育。1年では全然ダメ、2年でもダメ、3年でやっと。6年物で高麗人参酒や粉に加工されて売り物になる。1020年物になったら最高。 
 加工された人参の粉。一度に耳かき一杯ほどを飲用。苦みが強いが一週間ほどで慣れる。販売されるときの箱には赤箱・白箱がある。赤箱-なんにでも効く 白箱-高血圧や糖尿の人は使わないほうがいい。
人参酒で顔をパック-すごくいい。
地力。畑は一度人参を育てると、10年は使えない。ということも話してくれました。

 


 松茸のことも話してくれました。松茸 朝鮮のものは韓国のの値段だけれど香りが全然違う。朝鮮の松茸には香りがない。と

2014年8月8日金曜日

今日は母の誕生日です


今日は一昨年天に召された母の誕生日です。

思い出します。

「お誕生日おめでとう!」と言って顔を出して、いつもご馳走になったことを。

腰を下ろすこともなくいっぱいご馳走してくれました。

いやそうではなかったけれどどうだったんだろうか。

2014年8月7日木曜日

いやなことはしない


2次大戦後に生まれた団塊の世代の一斉退職が続いています。企業の方でも技術の継承ということでは頭の痛いことですが、当人にとっても環境の激変を意味しますので大変です。団塊の世代の人たちへの社会(制度)側からの対応、当人たちの動向はこれからもずっと社会全体の問題となり続けるでしょう。

 

“団塊の世代”戦後日本の復興のため、勤め先への滅私奉公というか良くも悪くも頑張ってきた人、特に男性。いざ定年・退職となると会社以外でどう生きていくかすごく大変。極端な話、家庭・家族内とまでいかないでも、お隣さん・町内・地域への繋がりづくりはすごく大変。

 

先日どの番組だったか、会社勤めをしていた人が定年退職した後の生活についての紹介・提案が3つされていました。提案はいずれも「まぁそうだろうなぁ」と納得するもの、ただしその中にひとつ番組が終わった後でも考えるものがあったんです。 それは「いやなことはしない」

わかります? 勤めていた時は、気の進まないことでもいやだからと言って選んでいられません仕事ですものねぇ。でも会社から離れ自分の主人公は自分の生活になった後は、よりよく生きるために「いやなことはしない」自分で自分の生き方・やりたいことを決めていいんです。 これ「好きなことをする」でないところが意味だと思います。

いやだと感じることを無理にすることはありません。でも、好きなこと・これまでやってきたことだけにとどまるだけでは、楽だけど体も心も委縮していくだけです。いやなことはしないけど、好きなこと自分がこれまでしてきてわかることだけをしていたんではそれまでの世界以外との出会いが生まれません。

女性の、仕事をしている時から上手にお隣さん・地域・会社以外にもお付き合いのつながりを作っているのと比べると、男性の方は相当意識しないと家に閉じこもったままになりますからねぇ。おぉー怖。

2014年8月3日日曜日

3日にわたって郷土について学びました


市の広報で、日本・韓国・ロシアの作家たちの作品展「第3回ともだちとトモダチと友達展」が中之口先人館で開催されるという小さな記事を見つけました。この所の情勢を考えると一段と大事な取り組みだなぁと思いながら金曜日(718)に出掛けてきました。

 展示は、今は新潟市に編入されてしまった中之口村の歴史と地域で実際に使われていた郷土資料・民具などの展示の傍らにあり、広報紙から受けた印象よりは全体の規模は小さいものでした。ただ、その中に3.11の原発事故を受け巻の原発住民投票のことを題材にした俳句があったんです。戦争や原発 最近では従軍慰安婦=セクシャルスレイブなどを題材にした作品が展示されると、不思議な問い合わせの電話が入ったりして展示中止になったりする風潮がある中でえらいなぁと思いました。逆のケースはまずない中で、だいたい右翼的なこういう“問い合わせ”には弱いのが常ですからね。

 収穫は、その名前こそ前から知っていましたけれど知らない逸話がたくさん紹介されていた大横綱と言われた羽黒山と地元中之口出身の名士の紹介でした。たとへば東京の銭湯経営のほとんどが中之口村出身の人、映画制作会社東映の社長も中之口出身の人等々がたくさんその顔写真や資料と共に紹介されていて「そんな繋がりがあったのか」と思わぬ収穫でした。

 

 それに先立つ前日の木曜には新潟日報メディアシップ内の にいがた文化の記憶館で開催されていた「新潟の女性たち」展に行きました。新潟にも世界的に有名な「武士の娘」の杉本鉞子さんをはじめ伝説の時代から多くの優れた働きをした女性がいます。事前に入手した案内を見ると「この人も新潟の人だったの!」と思うような人も紹介されていて楽しみに出掛けました。

 「新潟の女性たち」の展示そのものは顔写真と書籍・書簡をメインにという形で全体のスペースもそんなに広くないし、案内で期待させられたほどではありませんでした。常設の新潟出身の地元名士たちに交じってという感じかな。

 ただ、資料として買い求めてきましたけど全国規模での大きな人物相関図が勉強になりました。こんな繋がり、反発をへてことを成してきたのかといろいろ知ることができました。

展示がなかったので、見附出身の詩人 矢沢宰が抜けているなぁと思いリクエストしておきました。

 今の書き順では前後してますけど、木曜金曜と何やら同じような展示を観たなぁという印象でした。

 

 続いて土曜は、たっつあんのベストCD完成記念コンサート。
会場となった江南区文化会館は、新潟の中心部を挟んで反対側で遠いので遅れないように早めに出かけ、併設施設の図書館と郷土資料館の資料館のほうを見学させてもらいました。展示品のなかには「これ家にもあった」なんてものも並んでいて、少し前には普通に使っていたものもだんだんこういうところに並ぶようになってきたのかなぁと感慨深いものがありました。

 木・金・土それぞれに得るものがありましたけど、同じようなものが3日も続くと結構ハードだなぁとも感じた日々でもありました。