2015年6月29日月曜日

10-9-17 烏頭山(オドサン)統一展望台 2/3  統一展望室で一緒になった中学生たち



  日本人と韓国人の顔だちはよく似ているのにやっぱり雰囲気が違うのかなぁ、先客の一団がどうも日本(人)のような気がするのです。その時はタッチ交代、入れ違うように行ってしまったので確かめようもありませんでしたが。
 

 その後、北朝鮮”宣伝村”の説明を聞き対岸に目をやり展望室を後に階下の展示室に行ったら先ほどのグループが居るじゃないですか。それで声をかけてみました。   
  なんでも、三重県内の21の中学校から選抜された全員で51名の代表だそうです。同行の大人も含めると全員で何人になるのでしょうか。経費は県が負担しているそうです。
 

 みんな代表に足る人たちなんだと思いますが、人に こういうところに手間もお金もかけるのは生きたお金の使い方だと思うし、参加した一人一人にとってもいい経験になると思います。
  一回目・最初はわけがわからないままあれよあれよという間に終わってしまうかもしれませんが、その時の悔いを感じること自体も次につながる大事な経験だし、可能であれば実際に日本を出てみる 外から日本を見てみるということはだれにとっても貴重な経験だと思います。

2015年6月28日日曜日

10-9-17 烏頭山(オドサン)統一展望台 1/3


 
 再びバスに乗り約20分ほどで烏頭山(オドサン)統一展望台につきました。 


臨津閣公園からバスで20分かけて別の場所に移動したのは確かなんだけれど、限られた日程・時間で目にした展示・資料は類似したものもあったので(それだけ ひどいことをあちこちでしているということでもあるんだけど)何処で何を観たのか これはどこだったのか 順番は・・・。間違いのないように気を付けているつもりですがここ数日の情報が多すぎて正直アップアップしています。 このオドサン統一展望台も、臨津閣公園からバスで約20分離れたところなので決してすぐ隣という所ではなかったんだけれどなんだか一連のように感じてしまいました。確かにつながりはあるのですが。 
 
 

統一展望台はちょうど臨津江と漢江との合流地点を目の前にする昔城塞があった標高100メートルを超える崖の上に建てられ、中には展望階のほかに統一に関するもの北朝鮮の物産・生活に関するものの資料紹介の階などの階からなっています。
 起伏に沿って作られた通路を対岸に北朝鮮領を望みながら歩くと昔城塞だったことをしのばせる塹壕を歩いているかのような感じ。 

 
 

眼下の河が放送禁止歌“イムジン河”。確かに、人の往来には国境があっても鳥なら朝に夕に自由に行き来ができる近さだなぁと感じました。同じところに立ち同じもの(問題)を伝えるにも感じ方や伝え方が違うものだなぁ、その感性の違いを改めて感じます。 

2015年6月27日土曜日

上級救命講習


上級救命講習を受講してきました。(610日)    

少し前、私自身はその時別の所で仕事をしていたんですが、夕食時にふわーとというかスーッとという感じで意識の無くなった方がいて。私もすぐ駆けつけて様子を見たら、呼吸も脈もあり反応もあって逆に「AEDの対象じゃないみたいだけどじゃあどうしよう」と手詰まりなってしまったことがあったのです。必要なければ機械がそう教えてくれるわけだし、使わないで後悔するよりはせっかくの機会を無駄にしないように装着しようかと迷いました。その時、機械の扱い方はわかるけど、どういう時に使うかの判断はまた別なんだなぁと感じたのです。
今の所はもともと研修に力を入れているところですが、そんなこともありみんなが救命講習を受けましょうという機運が盛り上がったのです。ただ、私はすでに普通救命講習は何度か受けたことがある上に保健師と共に地域の会員さん向けにAEDの使い方 心肺蘇生の紹介などをしていた側でもあったので「復習ということでは何度やっても無駄ではないけれどなぁ」という気持ちが正直なところありました。と、そんな時に上級救命講習が行われるという情報を入手、体制保障外になるので自分の休みを使ってでしたが「昨年は同行援護や移動支援だったけれど今年はこれで行くか!」という気になったのです。

 救命講習は、一番短時間の90分のものからみんなが受講した3時間コースの普通救命講習。そしてこのたび私が受講した丸々一日かけて行われる8時間コースのものがあります。(この上には3日間講習を受ける普及者養成講習がある)
講習は映像も併用しての講義の後ひたすら実地、後日筋肉痛が出るほどにたっぷりと繰り返させられました。AED一つとっても使い方はもちろん、倒れた人を発見するところから始まりいろんな状況の中でその人の所までどうやっていくか(状況によっては2次災害を防ぐためにいかないケース)周りへの協力の求め方、ダミーの数もたくさん用意され何度も何度も練習しました。大変だったけど、人間の命がかかっているんだからこれくらいしなければいけないことなんだなぁと改めて感じました。他に、止血法や骨折の時の対応等々。昔と違って優先順位は下がったけれどマウス・ツウ・マウスの人工呼吸。機械の扱いだけでなく、今のご時世装着するときの配慮等まで教えてもらいました。
願うならばこのような場面が起こらない方が好いわけだけれど、いざという時はちゃんと対応ができそうです。 

団地総会で災害時対行政との窓口になる係になったし、上級救命講習はなかなか開かれないので、このたび運よく知ることができたのはすごく幸運でした。

2015年6月25日木曜日

10-9-16  二日目の夕食は


二日目の夕食は海鮮鍋でした。お店は催事もできる大きい広間がいくつもあるもの。でもまぁどちらかというとそういうハレの時のというよりも、旅行などの団体客がよく利用する感じのものでしょうか。


お店に入って手際よく案内された部屋にはすでに本日の御馳走 海鮮鍋が後は火を入れるだけという感じで用意されていました。飲み物は各人御自由にということでまずはビールで乾杯。まだ明日の日程があるのでたくさんというわけにはいきませんが、せっかくここまで来ているんだからと瓶入りのマッコリを別にお願いしました。
 味?海鮮鍋は、もちろん足りるしおいしくないわけではないんだけど今一つ「これは美味しい!」というほどの感激はありませんでした。韓国のお料理、味の方はこのお店でも決められないかなぁ。

 

 これは日本における団体旅行も似たり寄ったりなので、取り立てて韓国の食事はとかお店はとかは言えません。やはりもっと少人数で、時間的にもゆったりと、こじんまりしたお店にでも行かないとダメなんでしょうか。十分足りていると言えば足りているのですが。

2015年6月24日水曜日

普通の幸せ 普通の家族 娘も娘の夫もみんな泣いていた


「東京に住む娘から一歳の息子が緊急入院したと連絡があり、僕は新聞の配達を交代してもらい即上京した。小児専門病院なので親でも面会に厳しい制限があり、孫に会えたのは翌日の正午。  眠っているかなーとベッドに近づいたら、彼はふてくされたような顔をしていた。娘(母親)の姿を認めた瞬間、顔がパーッと輝き同時に号泣した。  母親の胸にしっかり抱きついても泣き止まず、「特別サービスよ」と母乳を与えても「ワァーン」。父親に抱かれても「エーン」。初めて体験した家族と離れて過ごした一晩は、彼にとってどんなにさびしく不安であったことだろうと思ったら、カメラを構えていた僕も泣けてきた。娘も娘の夫もみんな泣いていた。  僕はひそかに誓った。これが普通の家族の姿。これがありふれた幸せなんだ。誰にもこの生活を奪う権利なんかない。集団的自衛権は断固反対、憲法9条は絶対守る!それが水戸じいの最後の仕事だ、と。」

                       茨城県水戸市 YY

 

この新聞・読者欄に掲載されていた(201478日)投稿を見つけたのはちょうど安倍
内閣の憲法解釈変更の閣議決定が出されたころ。この男性の、若い夫婦と小さな男の子の 心情と情景が目に浮かびおもわずもらい泣き、共感しました。

 

緊急入院という大変なことは起きてほしくないけれど、日常の様々な場面で安倍首相の危険な言動に対してこのように思いを新たにした人が、その後の変化を見ていてたくさんたくさんいることを実感しています。

2015年6月22日月曜日

安全は、しあわせだよね



ブルーズマガジン 創刊号   この雑誌を手にしたのはほんの偶然。 これが 出会いというものなのか めぐりあうべくして巡り合った運命なのか。
 
それは ひょんな勘違いで手に取った雑誌でした。 単館・1スクリーン上映で頑張る席数99の小さな映画館のロビー机に置かれた様々な催し案内の中に、以前CDを物色しに行ってはもらってきていた音楽情報冊子があったのです(だと思った)。懐かしい!と思って手に取って見てみたら、確かに表紙デザインの感じは似ているけれど“土木建築系総合カルチャーマガジン ブルーズマガジン”と。まだ方向性を探っているのかもしれないけれど良くも悪くも「何だこりゃ」というような内容たくさん。そんななので、今後もこういう感じで続くのか3号雑誌に終わってしまうのかわかりません。でもこの創刊号の中の「遠く離れて ザ外国人労働者」という見開きの記事に今のご時世だからなお意味のある言葉を見つけました。

 

「日本はとても安全な国。明日のことが考えられる国。コートジボアールも、ようやく最近、安全になってきたよ。でもこないだまで戦いをしてた。同じ国の中でね。明日はどうなるかわからない。アフリカの国は、全部そう。安全は、しあわせだよね。」

                 ドゥンビア・イサ(コートジボワール)

 

という言葉・話が印象に残ったので書き留めておきます。 

確かに平和・安全でなければ明日・未来のことは考えられませんね。まずそういう状況が幸せということなんでしょうね。世界中でこの状況が特別なことではなく当たり前のことになりますように。

2015年6月20日土曜日

現場に立つ


  先日ある新聞の、子があらためて父のことを語る小さな囲み記事に目が留まりました。

  その記事は、父の人となりを表す逸話を披露しながら自分が父から教わったこととして

・仲間を大事にすること

・社会に目を向けること

・歴史に学ぶこと

 の3つを父から学んだと紹介。
同時にお父さんのモットーは 「現場に立って考える」 だということも紹介してくれていました。

  父親というものは、子どもにとって成長する過程で乗り越えなければならない山となるときもあるでしょうが、人生の先輩としてよき先導者・先輩で有れたらと常々願っています。
  実際の所をわが身に置き換えてみるとそのようなことをしてきていない そのような存在になっていないということを常々感じているものだからなおのこと目が行ったのかもしれません。 

  立派な父 立派な夫。特にテレビなどで報じられる、長年連れ添って来た羨ましいほどのご夫婦の姿 立派に育った子どもの姿を目にすると、正直うらやましくも羨望の思いに駆られてしまいます。
  そんな時同時に気づかされるのは、奥さんが抜きんでて子どもが特別に優秀なのではなくて、男性が父親がすでに素晴らしい人だからそれにつりあいのとれた奥さんと子どもがいるんだろうなぁということ。
  ずうっと“自分の半分”を探してきたつもりだけれど、私自身がそれなりの人間になっていないからの今なんだろうなぁと感じています。 

  ところで、この小さな囲み記事で紹介されていた父親のモットー「現場に立って考える」“現場に立つ”ということでは、私もこだわりを持っています。 
  何処に立ち どの方向を向き いつ何に向けてシャッターを切っているか 何を伝えているか   その時その場で シャッターを切る選択をしていれば、たとえぶれてピントもあっていない写真でも多くを伝えることもあると確信しているから。
  私の写真は芸術表現の手法としての写真 報道手段としての写真ということでみて技法的には色々なことが言えるのでしょうが、私は私なりに想い、その想いを表し伝える手段としてレンズを向けシャッターを押し 言葉を添えています。伝え 報せ 発信し続けています。

2015年6月19日金曜日

“よい戦争” などありません


「“よい戦争”などありません。戦争はすべて人殺しです。」

戦争させない・9条壊すな!総がかり行動(2015.6.18)に参加した、大病を患い昨年は寝ていることの多かったという今年93歳になる瀬戸内寂聴さんの言葉。

 

仏教の考え方は「殺すなかれ 殺されるなかれ」 殺生禁し。キリスト教だって、すでにモーセの十戒で「殺してはならない」としています。

本当は進んでいる平和憲法を、時代遅れだなんて頓珍漢なことを言って再び戦争をしようとしている人の頭の中はいったいどうなっているんでしょうか。

2015年6月18日木曜日

10-9-16 ソウルタワー


今日は朝一番にナヌムの家に行き、取って返してお昼からはソウル市内の名所旧跡を巡っていました。
洋の東西を問わず歴史のある街は想像していたよりも狭い範囲に様々なものが林立しているのが常だけれど、きょう午後から回ったところも地図を見てみると「えーッみんなこんなに近かったの!」とびっくりしてしまいます。
近代的な高層建築が居並んでいるかと思えば、高さではなく横の広がり 奥行きと空の広がりを感じさせる広い敷地の旧跡。
山と川(漢江)に挟まれた制限のある地でこうなると観光ということではすごい財産ともなった歴史的な建物・旧跡と再開発された地域。もちろん全部がそうというわけではなく、昔ながらの地域・景観もありますけれど、大通・幹線はその発想が日本にはあまりない“広場”というものを感じさせ実に広々とした印象を感じさせてくれます。
 

午前午後とあちこち回った割には疲れというものは感じません、でもさすがにこの時間になってくると盛りだくさんの今日一日も「後は夕食だけか~」という気持ちになります。
写真は夕食に向かう車中でツアーガイドの李さんからナンタ観劇とともに希望者が一定数居たら案内しますと提案のあったソウルのランドマークとも言われているソウルタワーです。
ソウルタワーはこうしてみても確かに綺麗だし、南山に建つタワーからの展望も素晴らしそうです。ただし、個人的にはナンタそして韓国の伝統芸術・宮中舞踊や日本で公演を観させてもらったサムルノリなどを包括しての民族舞踊・農楽鑑賞の方がよかったんですけどね。恨みのとまでは言いませんがせっかく韓国まで来ていてソウルタワーに負けてしまって残念です。

2015年6月15日月曜日

実際と 思っているように見える の大きな差異


 前々から、協定に基づいてアメリカ合衆国のスービック クラーク基地を撤去させた国ということで関心は持っていたのだけれど。この前旅行会社から送られてきた案内に、その両基地跡そしてスモーキーマウンテンも訪問するという内容の企画を見つけて、お正月に予期しないタイミングでフィリピンプリンを口にすることもできたし、34月とフィリピンから初来日した方をいろいろ案内する役回りも勤めたし「今年はどうやらフィリピンに縁のある年かもしれない」これも何かの縁思い切って行ってみようかと思いました。
そんなふうに気にかけていたらいろいろなところ・形で情報が入ってきました。ところが、それらの多くが「平和安全法制」(戦争法案とも言われている)を強引に通そうとしている安倍首相が戦後70年という節目にどのような談話を出すか悪い意味で注目されているものだから、フィリピンも含めて日本が侵略したアジアの国々でどのような非道なことを繰り返してきたかの振り返りというような記事が結構あり、それらの一つ一つがみな重く心に突き刺さりました。安倍さんは日本がこれら過去にしてきたことをどうとらえるのか。まさか知らないということはないと思うけど、まさかまさかどうなのか不安になってしまいました。

よく見てよく考えてではなく思い付きで口にするから、ISによる日本人誘拐そして殺害という最悪の結果を招いてしまったり、東日本大震災・原発事故後ずっと避難生活を続けいまだ生活も産業も 地域・文化の復興どころか復旧すらしない現状におかれたままの人達を前に「(これから)○○委員会を立ち上げます。 ○○を検討します。」と言うだけ。ここまで来てこの発言、一国の首相としてこの4年と3か月の間何をしていたんだと情けなくなります。オリンピック誘致の時福島第1原発事故を「完全にアンダーコントロール状態にある」と発言したのも、実際に起きていることを前にしても安倍さんには自分に都合のいいようにだけ見えている。(もっと早い時期にそうあってほしいと願うならまだしも)政府・行政が十分な結果を出していないのに安倍さんにはすでにそうなっていると見えての発言だから現状に対しての中身を伴わず心に響かないんだと思います。

日本にとどまらず、人類の英知として戦争放棄を謳った平和憲法を台無しにして「平和安全法制」を強引に成立させて戦争をする国に戻そうとしている。平和のために戦争をする“平和のための戦争” おかしな言い回しだけれど、この人の言動を見聞きしていると“平和”という言葉の意味が変えられてしまったと思います。言葉の本来の意味を真摯にとらえず、言葉(意味)を完全に軽くし空洞にし意味を変えてしまったと感じます。言霊ともいわれる言葉を完全に軽くしたということを再度強く感じました。

2015年6月9日火曜日

誕生日 不思議な感覚


      「おめでとう」  

      ぼやけた視線で 

      声かける

      耳に届くは

      鳥のさえずり

 

 

今年も来ました誕生日。起きがけの少しぼやけた視線のまま、鏡の向こうに居る自分に「お誕生日おめでとう」と声をかけてみました。けれど実際耳に聞こえたのは、新緑の中家に寄ってさえずる鳥の声だけ。どうやら声は出していなかったようです。
一人でいると声を出してしゃべっているのか思っているだけなのかわからなくなる時があります。足りていると言えば足りていますけど、不思議な感覚です。
数日前から、誕生日 普段と違うわけだし連絡が来ないものかと心ひそかに願っていたものもなく。まぁ特に予定もなかったし、これはこれで時をやり過ごせてよかったのかもしれないと感謝もしたけど夜勤だったし。こんなものなのかなぁ。

2015年6月3日水曜日

責任を取らない国 日本 ずっとこの言葉(事)が気にかかっています。


 
今年は新潟水俣病が公表されてから50年ということで、ここ数年にもまして新潟水俣病のことが取り上げられています。新潟水俣病は、戦後日本の4大公害病(水俣病・イタイイタイ病・四日市喘息・新潟水俣病)の中で特異な一面も持っています。九州水俣病の反省がちゃんとなされていたら新潟水俣病は防げた(少なくとも今に至る被害の拡大  いわれのない患者差別は防げた)ということです。 九州水俣病を正しくかつ必要十分に総括し責任を追及し取るべき人が責任をとっていたならと悔やまれます。

 2012年のビキニデー集会の時に第5福龍丸の乗組員だった大石又七さんの話を聴く機会に恵まれました。その話の最中、前年に起きた東日本大震災・福島第1原発の事故のことが出てきました。要旨は、広島の原爆投下そしてその後になぜ長崎があったのか。その長崎の後になぜビキニ水爆実験(地球規模での放射能汚染)があったのか。その一つ一つに正しい検証と責任の追及がとられないままにいたから、福島第1原発の事故が起きた被爆が繰り返されてしまった、です。
広島・長崎・ビキニ環礁で繰り返された水爆実験、その後の“核の平和利用”の名のもとに取られた政治的動き。“原発安全神話”が故意に喧伝され、原発=核の恐ろしさを訴える者は科学・技術の進歩を知らない者だとさえ言う風潮。核兵器・核の戦争利用とは違う“平和利用”なんだから原子力発電は安全だ。これからの時代資源のない日本にこそ必要な無限のエネルギーだとさえ言って未来はバラ色と宣伝されました。
  政治的に唱えられ始めた平和利用“安全神話”にみんながすがりつき、原発を受け入れてしまった人たちは無理やり自分に原発の安全神話を言い聞かせ自身をごまかしてしまっていました。そして、推進の立場の人自身が安全神話にとらわれ経済性・効率を優先して取るべき対策 考えられる対策をとらず、数々の指摘に真摯に耳を傾けることすらしなくなっていました。その結果が、2011 大地震そして津波によって原発は人知を超えて暴走し未だ解消に至らない状態を招いてしまったのです。
  これも、これまでの核による惨禍を検証しなかったから、その時々にだれも責任を取らずに来てしまったから繰り返されてしまった人災。安全神話を振りまいた人たち 専門家と言われた人たち 有識者と言われた人たち  人を惑わし地域・住民を分断し誘致した責任を取らなかった政治家 行政の人間。地震と津波は天災、でもそのあとの原発事故とその災禍は人災。 
  今また“想定外”という一言で済まし責任を逃れている専門家 政治家 技術者 行政の担当者はなんなんだろう。これまでの言動の責任を取っていません。政治家 行政 自治体の長は責任を正しく追及されていません。想定外という言い訳で逃げています。
  想定外が起きた時にどういう対策を取るのですかと指摘していた人たちがいたのに、それを取り上げずにいて、今度は想定外でしたという言葉で逃げる。これは責任を取らない国日本そのものだと思います。

2015年6月2日火曜日

大切なのは


  大切なのは、財産を放棄したり、独身生活をしたり、修道院に住んだりすることではありません。
  大切なのは、何かを持つことで心を満たそうとする「物への執着を」断ち、誰かにしがみつこうとする「人間への執着」を断ち、自分の好きなように生きたいと願う「自分自身への執着」を断つことです。

 イエズス会司祭 片柳弘史 (聖書と典礼 2015.4.26 美しい人生への招きより)

 

この言葉の前後に、今の生活に至る前自分を模索する日々の中でマザー・テレサからかけられた言葉それを受けての歩みが書かれているのですが、物欲の強い私には特にここのところが強く印象に残りました。
ほんとに「財産を持つ者が神の国に入るのはラクダが針の穴を通るよりも難しい」と実感しています。