先日ある新聞の、子があらためて父のことを語る小さな囲み記事に目が留まりました。
その記事は、父の人となりを表す逸話を披露しながら自分が父から教わったこととして
・仲間を大事にすること
・社会に目を向けること
・歴史に学ぶこと
の3つを父から学んだと紹介。
同時にお父さんのモットーは 「現場に立って考える」 だということも紹介してくれていました。
父親というものは、子どもにとって成長する過程で乗り越えなければならない山となるときもあるでしょうが、人生の先輩としてよき先導者・先輩で有れたらと常々願っています。
実際の所をわが身に置き換えてみるとそのようなことをしてきていない
そのような存在になっていないということを常々感じているものだからなおのこと目が行ったのかもしれません。
立派な父 立派な夫。特にテレビなどで報じられる、長年連れ添って来た羨ましいほどのご夫婦の姿
立派に育った子どもの姿を目にすると、正直うらやましくも羨望の思いに駆られてしまいます。
そんな時同時に気づかされるのは、奥さんが抜きんでて子どもが特別に優秀なのではなくて、男性が父親がすでに素晴らしい人だからそれにつりあいのとれた奥さんと子どもがいるんだろうなぁということ。
ずうっと“自分の半分”を探してきたつもりだけれど、私自身がそれなりの人間になっていないからの今なんだろうなぁと感じています。
ところで、この小さな囲み記事で紹介されていた父親のモットー「現場に立って考える」“現場に立つ”ということでは、私もこだわりを持っています。
何処に立ち どの方向を向き いつ何に向けてシャッターを切っているか 何を伝えているか その時その場で
シャッターを切る選択をしていれば、たとえぶれてピントもあっていない写真でも多くを伝えることもあると確信しているから。
私の写真は芸術表現の手法としての写真 報道手段としての写真ということでみて技法的には色々なことが言えるのでしょうが、私は私なりに想い、その想いを表し伝える手段としてレンズを向けシャッターを押し
言葉を添えています。伝え
報せ 発信し続けています。