2015年6月15日月曜日

実際と 思っているように見える の大きな差異


 前々から、協定に基づいてアメリカ合衆国のスービック クラーク基地を撤去させた国ということで関心は持っていたのだけれど。この前旅行会社から送られてきた案内に、その両基地跡そしてスモーキーマウンテンも訪問するという内容の企画を見つけて、お正月に予期しないタイミングでフィリピンプリンを口にすることもできたし、34月とフィリピンから初来日した方をいろいろ案内する役回りも勤めたし「今年はどうやらフィリピンに縁のある年かもしれない」これも何かの縁思い切って行ってみようかと思いました。
そんなふうに気にかけていたらいろいろなところ・形で情報が入ってきました。ところが、それらの多くが「平和安全法制」(戦争法案とも言われている)を強引に通そうとしている安倍首相が戦後70年という節目にどのような談話を出すか悪い意味で注目されているものだから、フィリピンも含めて日本が侵略したアジアの国々でどのような非道なことを繰り返してきたかの振り返りというような記事が結構あり、それらの一つ一つがみな重く心に突き刺さりました。安倍さんは日本がこれら過去にしてきたことをどうとらえるのか。まさか知らないということはないと思うけど、まさかまさかどうなのか不安になってしまいました。

よく見てよく考えてではなく思い付きで口にするから、ISによる日本人誘拐そして殺害という最悪の結果を招いてしまったり、東日本大震災・原発事故後ずっと避難生活を続けいまだ生活も産業も 地域・文化の復興どころか復旧すらしない現状におかれたままの人達を前に「(これから)○○委員会を立ち上げます。 ○○を検討します。」と言うだけ。ここまで来てこの発言、一国の首相としてこの4年と3か月の間何をしていたんだと情けなくなります。オリンピック誘致の時福島第1原発事故を「完全にアンダーコントロール状態にある」と発言したのも、実際に起きていることを前にしても安倍さんには自分に都合のいいようにだけ見えている。(もっと早い時期にそうあってほしいと願うならまだしも)政府・行政が十分な結果を出していないのに安倍さんにはすでにそうなっていると見えての発言だから現状に対しての中身を伴わず心に響かないんだと思います。

日本にとどまらず、人類の英知として戦争放棄を謳った平和憲法を台無しにして「平和安全法制」を強引に成立させて戦争をする国に戻そうとしている。平和のために戦争をする“平和のための戦争” おかしな言い回しだけれど、この人の言動を見聞きしていると“平和”という言葉の意味が変えられてしまったと思います。言葉の本来の意味を真摯にとらえず、言葉(意味)を完全に軽くし空洞にし意味を変えてしまったと感じます。言霊ともいわれる言葉を完全に軽くしたということを再度強く感じました。

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