2015年6月3日水曜日

責任を取らない国 日本 ずっとこの言葉(事)が気にかかっています。


 
今年は新潟水俣病が公表されてから50年ということで、ここ数年にもまして新潟水俣病のことが取り上げられています。新潟水俣病は、戦後日本の4大公害病(水俣病・イタイイタイ病・四日市喘息・新潟水俣病)の中で特異な一面も持っています。九州水俣病の反省がちゃんとなされていたら新潟水俣病は防げた(少なくとも今に至る被害の拡大  いわれのない患者差別は防げた)ということです。 九州水俣病を正しくかつ必要十分に総括し責任を追及し取るべき人が責任をとっていたならと悔やまれます。

 2012年のビキニデー集会の時に第5福龍丸の乗組員だった大石又七さんの話を聴く機会に恵まれました。その話の最中、前年に起きた東日本大震災・福島第1原発の事故のことが出てきました。要旨は、広島の原爆投下そしてその後になぜ長崎があったのか。その長崎の後になぜビキニ水爆実験(地球規模での放射能汚染)があったのか。その一つ一つに正しい検証と責任の追及がとられないままにいたから、福島第1原発の事故が起きた被爆が繰り返されてしまった、です。
広島・長崎・ビキニ環礁で繰り返された水爆実験、その後の“核の平和利用”の名のもとに取られた政治的動き。“原発安全神話”が故意に喧伝され、原発=核の恐ろしさを訴える者は科学・技術の進歩を知らない者だとさえ言う風潮。核兵器・核の戦争利用とは違う“平和利用”なんだから原子力発電は安全だ。これからの時代資源のない日本にこそ必要な無限のエネルギーだとさえ言って未来はバラ色と宣伝されました。
  政治的に唱えられ始めた平和利用“安全神話”にみんながすがりつき、原発を受け入れてしまった人たちは無理やり自分に原発の安全神話を言い聞かせ自身をごまかしてしまっていました。そして、推進の立場の人自身が安全神話にとらわれ経済性・効率を優先して取るべき対策 考えられる対策をとらず、数々の指摘に真摯に耳を傾けることすらしなくなっていました。その結果が、2011 大地震そして津波によって原発は人知を超えて暴走し未だ解消に至らない状態を招いてしまったのです。
  これも、これまでの核による惨禍を検証しなかったから、その時々にだれも責任を取らずに来てしまったから繰り返されてしまった人災。安全神話を振りまいた人たち 専門家と言われた人たち 有識者と言われた人たち  人を惑わし地域・住民を分断し誘致した責任を取らなかった政治家 行政の人間。地震と津波は天災、でもそのあとの原発事故とその災禍は人災。 
  今また“想定外”という一言で済まし責任を逃れている専門家 政治家 技術者 行政の担当者はなんなんだろう。これまでの言動の責任を取っていません。政治家 行政 自治体の長は責任を正しく追及されていません。想定外という言い訳で逃げています。
  想定外が起きた時にどういう対策を取るのですかと指摘していた人たちがいたのに、それを取り上げずにいて、今度は想定外でしたという言葉で逃げる。これは責任を取らない国日本そのものだと思います。

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