2016年6月30日木曜日

「開いた口が塞がらない」   エッ! 39%!? 


沖縄の翁長知事のコメント(~開いた口が塞がらない~)がネットのニュースに載っていて、一応抑えておこうかと開いてみたら何だこれは!という内容。ネットに載ったアメリカ軍が自ら書いたの記事の一つで「沖縄にあるアメリカ軍の基地は日本にあるアメリカ軍基地の75%かそれ以上がだといわれているのは間違いで正しくは39%だ」と書いているものを問題視しているものでした。

日本の国土面積のわずか0.6%の沖縄に74%もの基地が集中している(日本政府見解)と言われてきたし ゆえにひどい集中だと思ってきたのでびっくりしました。 なんだなんだと思いながら中身を見てみると、日本本州にあるアメリカ軍基地は52か所で沖縄にあるのは33か所だからその割合は39%に過ぎないということでの、39%という数字でした。

日本全体で85か所そしてそのうち沖縄には33か所ということで、この数字で計算すると確かにそうなるのかもしれないけれど、意図的に自分に都合のいい方の数字を持ち出してくるなんて。

これまでのやり取りで使われてきた数字を一方的に変えるなんて、形勢的に不利な数字ではあったけれど話し合いの大本がガラガラと崩れてしまいました。今後はどの数字をもとに話し合いをするのかのところまで逆戻りしてしまいました。

 

印象 

アメリカ軍も相当気にしているなぁ。いよいよ日本国民の平和を求める運動に追い込まれているなぁとと思いました。

そして、アメリカ軍基地、数では39%に過ぎない沖縄への集中が面積で見ると74%になるということはそれだけ大型の基地があるということなんだなぁ。

いろいろな見方・切り口があるものだなぁと勉強させてもらいました。

2016年6月24日金曜日

2015年 劇場観賞映画 3月


3月

4日 11「おみおくりの作法」 イオンシネマ南

 良くも悪くもさざ波ほどの波乱も起こらない毎日の繰り返し。弔ってくれる身寄りのない人の最後の儀式・お葬式を手配し列席しその遺影を保管していた主人公の生活。それが・・・ と思った矢先の悲劇(突然の事故死)。この世的には救われることないままのラスト、でも生前主人公が弔った人たちが主人公の葬られたお墓に集まってきておみおくりをする。救われました。けれど無いようで結構思いつく着想と展開かな。  

 

17日 12「イントゥ・ザ・ウッド」 イオンシネマ西

 これはもうチラシの写真(赤ずきんちゃんの顔)で一度観ておこうと思い立った作品。
 西欧のお話が日本に入ってくるとなぜかハッピーエンドに変えられてしまう。それがこの作品は本来の筋立て終わりかたのまま作られていました。男の狡さ愚かさを見せられたような感あり。 いろいろな意味があるんですねぇ。

 

19日 13「風に立つライオン」 イオンシネマ県央

 実話をもとにした作品。医療支援でケニアに赴任した主人公の生と死、日本とケニアでの出会いと別れ。映画「おじいさんと草原の小学校」に挿入されていた、独立闘争の時のマウマウ団への弾圧の模様を思い出してしまいました。
主人公と絡む縦線となる登場人物に3・11被災地を訪れさせていて、遠く離れたアフリカの地での地域紛争が一人ひとりに残る爪痕を通して遠く離れた地にも何十年と経った現在にもつながっていることを気づかせてくれました。

 
24日 14「ひまわり/沖縄は忘れないあの日の空を…」

2014年晩秋に石川小学校敷地内に建立されているアメリカ軍ジェット戦闘機が墜落したことを伝える碑を見てきました。
2012年初めて沖縄に行ったとき「今映画を撮っているところだ。 完成したら全国で上映運動をする伝々」という話を聞きそれ以来気になっていた作品。個人的には、演出がもう少し異なっていたらと思う気もあるけれど、念願の一本。
なかなか機会はないと思うけれど、その機会があったら是非一度会場まで足を運び映画と上映を進めている人たちに出会ってほしい作品。

2016年6月8日水曜日

2015年 劇場観賞映画 2月


 出先でちょっとした時間があるときなどにと使っていた文字入力に徹したデジタル機器・ポメラDM20がウインドウズ10に対応していないことがわかって頭を抱えてしまいました。 完全原稿 とまでは言いませんが、2015年の劇場観賞映画を一通り書き出した後だったので参りました。合間合間に、入力画面を見ながらパソコンに再入力したもののかえって時間がかかるものですね。2016年ももう6月というのに、やっと2月分です。

 
2月

12日 7「ガガーリン」 ユナイテッド
 良くも悪くもソビエト連邦とアメリカ合衆国の先陣争いの内実を見せられました。
個人的には、ガガーリンと聞くと授業参観で母がいる前で先生に問われてただ一人私だけが名前を知っていたと聞いておじいちゃまがとても喜んだということを思い出します。
 
17日 8「ミュータントタートルズ」 イオンシネマ西
 アメリカの人気コミックが元の他愛もないというか荒唐無稽というかそんな作品。でもここまで徹底していると割り切って楽しめます。
 

18日 9「ムーミン」 イオンシネマ西
 むか~しからありました。テレビで放映されていたものは、出てくる人がみんないい人ばかりという印象が残っています。このたびも家族や仲間たちとの関係がうらやましい感じ。
 でも今回の映画を観て、実はムーミンてどこから見てもいい子と言うわけじゃないんだということに気づかされました。考えてみれば子どもってそういうものでした。


25日 10「リトルフォレスト」 
                                                  イオンシネマ西
 朝の連続テレビ「あまちゃん」で名前が一気に広まった橋本愛主演作品。 何やら随分と雰囲気の変わった設定のシリーズ物に一本でした。これはこれで完結した作品という感じなんでしょうが、私の見方では主人公たちの生業がうかがい知れない生活感の感じられない生活でした。
映画で描かれていたほどにゆったりしたテンポで毎日を過ごせたら、そして生活の糧がどこからか出てくる日常があるとしたら、それはそれですごいということですね。

2016年6月7日火曜日

p1 15-10-21  歩く速さ


フィリピンの人達ここでは特に女性を念頭に置いて話しますと、もちろん大きい人・背の高い人・細い人・太った人さまざまですが小柄の範疇に入る人が最大公約数かな。多い顔だちとしては丸でしょうか目はパッチリ 大きめ、マレー系とでもいうのでしょうか。どこかで見たような顔・表情は中国系の人たちなのかな。西欧風な顔だちの人もいるし、彫りの深い肌の色の濃い人たちも見かけました。
 そしてみんな堂々としてます。何かって、パンパンに太ってとか肥満の太り方じゃないんだけど、腕や足はそんなでないのにお腹のあたりだけぽっちゃりとしてる人が多く、でそれを全然隠そうとしてない。ダイエットのCMが流れていたから気にする人・風潮がないわけではないと思うんですけど、私はこのままでいいと思いました。こういう気風というか国民性なのかなぁ、好感が持てます。日本だって自分にもっと自信をもって堂々としてればいいにと思います。
 歩いてる感じは、骨盤の上に上半身を載せて足もつま先を少し外向きにゆらりと出すようにしてゆっくりゆっくりというかゆったりと歩いています。天井からのひもで頭が引き上げられているような姿勢とは違います。
 沖縄の人が「東京の人は歩くのが早い」というけどこういうことなのかなぁ。タガログ語は耳慣れないせいもあって早口のようにも聞こえてくるけど、感情豊かでその表情とも相まっていい感じ。でも歩き方はゆったりゆったり。

 

 行く先 会う人によっても違うんだとは思いますけど例えば、10年後はわからないぞと思うほど発展著しいフィリピンに似つかわないほどのゆったりした歩き方。いつもこんななんだろうか、気のもめることはないんだろうかと他人事ながら心配になるほど。そんな人たちもギヤチェンジして思わぬ速さで歩く(走る)場に遭遇してびっくりしたことがあります。
車の運転は日本じゃしないような車線変更をどんどんするし隙間があれば車の鼻先をそこに突っ込むというのはケニア・ナイロビ以上。でも渋滞してるから街中の道路では車と車の間を歩いて品物を売って回る人たちも大勢います。それは4車線のところに車線数に関係なく車6台が並ぶほどぎっしりの道路にいたとき、この時は近くに信号のない所で渋滞にかかった私の乗った車の前を抜け道路を渡っていったんです。端のほうの車線は動いていたんだけど車の脇から人が飛び出してくれば車の運転手もびっくりしたと思います。この時横断していった人の表情 目つきは全然違いましたね。こういう表情 速さも持ち合わせているんですよ。
課題はたくさんあるけれど将来が楽しみな国(国民)です。

2016年6月5日日曜日

知識としての日常の定義を生活の中で考えてみると


 
ユニセフから冊子が送られてきました。その表紙には大きく 紛争が奪う「子供時代」とありました。 
 

日常とは
毎日繰り返される連続した安定状態のこと
非日常とは
連続して繰り返される日常を切断する一回性の出来事 

これは 哲学者 木田元(きだげん)さんによる日常と非日常の定義ですが、改めて“日常”ってどういうことなのか、日常が切断(中断)されるとはどういうことなのか、昨日と同じように繰り返される毎日・日常なら何でも良いのかといろいろ考えてしまいました。 

ユニセフが冊子のこの言葉で訴えたかったことはまた別の意味もあるのでしょうけれど、私は この子たちにとっては破壊と殺戮 自分もいつ殺されるかもしれないという恐怖の毎日が日常なんだとわかったからです。こんな、昨日と同じことが繰り返されるということで安定している日常が望ましい日常なのかと考えています。

これは、どういう状態かということを定義したことから進んで、その繰り返されるものがどういうものか 運動ということにまで話を進めてのことなので、木田さんがどこまでと考えて定義して見せてくれた意図と外れていると思っていますが。
 

昨日まで綿々と続いてきた日常が3.11で途切れ、非日常であったはずの3.113.12からは日常になってしまった。という例もあり、どんな生活“日常”が望ましいのかを考えて行動しなければいけないなぁと考えました。

2016年6月4日土曜日

沖縄 女性遺体遺棄事件


4月から行方不明となっていた二十歳の女性が5月19日に遺体で発見されました。捜査の結果アメリカ軍元海兵隊員が逮捕されました。

戦後、そして本土復帰後も繰り返されるアメリカ軍(人)による人道上・道義上許されない犯罪の数々。辺野古の問題、沖縄県議選を控えて、オバマ大統領来日を控えてというタイミングで起き明らかになった事件に、沖縄県民の怒り悲しみ地位協定見直し基地撤去の声は一段と大きなものになっています。

 

「一層の綱紀粛正を図る日米地位協定の運用で対処する見直しはしない」「見直しは求めない(日本政府)」との声明が在沖アメリカ軍そして日本の政府から発せられました。

 でもこれまでも事件が起こるたびに「綱紀粛正に努める」と繰り返し声明が発表され続けてきていて、それで繰り返し事件が起きているのです。つまり変わらないんです。綱紀粛正はできないんです。日米地位協定の運用で対処なんてできないということです。となれば、このような事件の再発を許さないためには最低でも見直し、最終的には日米地位協定・あまりに不自然不釣り合いな外交特権は撤廃そして基地撤去しかないということは明らかです。

2016年6月3日金曜日

14-11-6 運動に頓智の一味



辺野古の漁港から浜に行く途中の看板です。「 基地とゴミは持ち帰りましょう 」前回見つけて思わず「うまい!座布団一枚」と ある人気番組の一シーンを思い浮かべてしまいました。
こういう頓智の効いた思わず笑みの浮かぶような感じの運動姿勢のほうがが長続きするし受け入れられ結果広まっていくのじゃないでしょうか。 
「 ゴミは持ち帰りましょう 」 観光地では必ずと言っていいほど耳にもし目にもするそういうことでいうと誰もが知っている言葉・熟語、そして記憶に残りやすい語調。最初に考え出した人は大したもんだ!  そこにほんの一言一味“基地と”を足して、わかりやすく記憶に残る言葉に変えてしまいました。これを考えた人も偉い!  
健康に悪影響を及ぼすゴミと直接に命に影響してくる基地・争いを見事にいい調子でつながりを見せてくれたこの熟語、人類がこの後も生きていくうえである意味大切な本質を言い表しているかもしれません。 
まさか知らないわけでもないだろうから、それで今看板がここにこうして残っているのもいい。

14-11-6 辺野古の浜


辺野古の浜です。ここから見ると奥のほうに“世界で一番美しいフェンス”が見えます。
遠浅の海そして砂浜を区切るそのフェンスのずぅっと向こうのほうに、さっき大浦湾奥・わんさか大浦パークから臨み見たキャンプシュワブの白い建物が見えます。
そういう位置関係にあるわけです。


前回は、広く明るい砂浜そしてこの遠浅の辺野古の海の上空をローターが二つ付いている大型のヘリコプターが飛びました。それだけでも違和感があるのに、この景観を埋め立てで遮って滑走路を作り頭の上をオスプレイが轟音と振動を響かせて飛び交う姿のなんとおぞましいことか。

2016年6月2日木曜日

私の気持ち


先日「今度退職することになりました。これまでいろいろお世話になりました。」とわざわざ私に挨拶をしていった人がいます。 「ほんとはやめたくなかったんだけど、半年前に変わった上司とうまくいかなくて・・・」と。

職場  人それぞれ様々な事情があるわけだから、退職する人が一人も出ないということもないとは思うけれど。仕事そのものが問題でではなく、職場の人間関係 特に上司が原因で辞める人が出るというのは問題だと思います。
そんなことをさせてしまうような上司は、その部署のまとめ役 責任者としての役割を果たしていないと思います。上司の役割、求められるのは現場で働く人とは違うのですから。

 

 

時々あるけれど、つらい一日でした。

数日前、朝出勤したら顔を合わせるなりいきなり、「○○さんこういう報告がきているけど」と指摘というよりは注意をされてしまいました。そこに書かれていたことはもう前のことだったのでどうだったかなぁと記憶をだどる時間が必要で即答できませんでした。それで一段とその報告を書いた人からの話でいろいろ言われてしまって。そのうえ、この際という感じでよくもまぁ こんなにと思うほど次から次へと言われてしまって。中には確かにそうかもなぁと思うこともあったけれど、そういう風に言ったら言っただけれど私のほうだって言い分はありますとか。断言する前に私のほうの言い分も聞いてほしいということもありました。この感じでは結局私は信頼できないといわれているということだとしか取れないので。
確かに実務経験では私なんかよりはるかに豊かな人だというのは私も異論はありません。でも「どうだったんですか」とか「どう考えていたんですか」とかこっちの言い分だって聞いてほしい私だって思いがあるのにと思い悲しくなりました。

 

で結局調子が出ないままの一日になってしまったんですが、このままではいけない何とか切り替えないとと思って色々考えていて気付いたのは。指摘するときの口調 仕方が原因で調子がおかしくなったのか、確かに至らないところもあるだろうなあと思うこともあったので、私のほうにも言い分があるけどその至らない私のことを考えて調子がおかしくなったのかなぁということ。
物は言いようだし、きつい言われ方はいやなものだけれど、私自身に至らないところがあると考えたから調子がおかしくなったという風であったらまだいいのかなぁと思いました。

2016年6月1日水曜日

14-11-6 「沖縄のスタイルは違うなぁ」  キャンプ シュワブ 基地前の座り込み。



聴いていた通り、ゲート前矢面には民間のガードマンを立たせて日本国民同士を対立させてました。ガードマンは地元沖縄出身の人はやめたりしたものだから今では県外からの出張組が配置させられているようです。立っている人たちは遠くに目線をやって視線が合わないようにしていました。ゲートから離れたところ・道路の反対側にはちゃんと警察、そして座り込みのテント後ろのフェンス内側にはアメリカ軍基地内の人が立ちしっかり監視しています。

ある意味世界的な関心の広がりを見せている沖縄県知事選を控えてということもありオナガという名前が書かれたボードを掲げて立つところもありましたが、座り込み最中の過ごし方 支援の人を歓迎するときの立ち居振る舞い、時間になったからさぁ行くぞ!とテントからゲート前の間を歌ったり掛け声をかけたりしながらぐるぐる回る行進スタイル(ニュースで見たホワイトハウス前や巨大企業前でやっているのと同じ感じ)に「沖縄のスタイルは違うなぁ」と実感しました。

基地反対運動の世界的広がりにも意を強くしました。 当日私たちを含めて日本各地からの支援者の他に、基地反対運動・運動スタイルの調査・把握のために来日している人、日本には観光できたんだけれどここ辺野古にも来たという“観光客”? も。かかわる人たちの幅の広がりを感じます。

キャンプ シュワブ ゲート前の座り込みを見て、運動スタイルの違い 県民性の違いかなぁと思うとともに、勢いを感じました。

14-11-6 「沖縄のスタイルは違うなぁ」 辺野古漁港の座り込みテント 

 
  このたびはキャンプ シュワブ ゲート前の座り込み合流がメインでしたので、辺野古漁港での座り込みテントと基地を望み見る浜はあっさりとした印象でした。

ところで、聞けばつい先日夜間の時間帯にこの座り込みテントが荒らされたんだそうです。いやがらせですよね。悪いことをする人がいるものだと思うけれど、これがせめぎあいの現実なんですね。簡単に基地反対で一つになれるわけではありませんから。
それで、気づいたんですけど夜はこのテント誰もいなくなるんですね。次々と引き継ぎながら常に誰かいるんだとばかり思っていました。

そういえば、最初に来たとき、基地からずいぶん離れている場所に座り込みのテントがあることを知り驚いた覚えがあります。以前に“世界で一番美しいフェンス”と紹介した遠く基地を望み見る浜辺からもずいぶん離れていました。
東村高江の座り込みは資材搬入口をふさぐ形で行われていました。私の知っているほかの座り込みも、直接その場だったり関係する省庁の門前というケースだったように記憶しているので、正直なところ「こういうのもあるんだなぁ」と感じた覚えがあります。
でもそれは実際にここに来たからわかったこと。世間一般にはこの場所でも十分に運動の象徴になっています。