2016年6月5日日曜日

知識としての日常の定義を生活の中で考えてみると


 
ユニセフから冊子が送られてきました。その表紙には大きく 紛争が奪う「子供時代」とありました。 
 

日常とは
毎日繰り返される連続した安定状態のこと
非日常とは
連続して繰り返される日常を切断する一回性の出来事 

これは 哲学者 木田元(きだげん)さんによる日常と非日常の定義ですが、改めて“日常”ってどういうことなのか、日常が切断(中断)されるとはどういうことなのか、昨日と同じように繰り返される毎日・日常なら何でも良いのかといろいろ考えてしまいました。 

ユニセフが冊子のこの言葉で訴えたかったことはまた別の意味もあるのでしょうけれど、私は この子たちにとっては破壊と殺戮 自分もいつ殺されるかもしれないという恐怖の毎日が日常なんだとわかったからです。こんな、昨日と同じことが繰り返されるということで安定している日常が望ましい日常なのかと考えています。

これは、どういう状態かということを定義したことから進んで、その繰り返されるものがどういうものか 運動ということにまで話を進めてのことなので、木田さんがどこまでと考えて定義して見せてくれた意図と外れていると思っていますが。
 

昨日まで綿々と続いてきた日常が3.11で途切れ、非日常であったはずの3.113.12からは日常になってしまった。という例もあり、どんな生活“日常”が望ましいのかを考えて行動しなければいけないなぁと考えました。

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