2016年9月13日火曜日

嫌なことはしない生活


2年ほど前 「これからは嫌なことはしない」生活を送ろうという思いに至りました。好きなこと(だけ)をする というのが身体にも精神(心)にも一番いいことだと思い込んでいたので私にとってはコペルニクス的転回だったかな。 実は似て非なるものなんですよ。

良くも悪くもそれまでのしがらみから離れ個人的にも自由な身だったので、生活していけるのではないかな と思って。その後縁あって働くようになったところ、年収では約1/4月収では1/3だったけれど毎日様々なことができるしこれまでの経験が生かせると実感できる職場でした。

それが、どうも“標的”なってしまったようでこのところずっと辛い。ここの責任者の私に対する対応を見ていて他の職員も ここではこういうことを言ったりやったりしてもいいんだ この程度まではいいんだな というところを判断したなと思えるのです。もともと、考えてしまってぱっと言い返すのは得意でないうえに感情的に言い返してしまったらただの喧嘩になってしまうという頭もあって言い返さないでいるから この人は言っても大丈夫な人 と思われてしまったのだろうという感もあります。 という毎日になってしまったので職場に行くのが辛いつまり今 嫌なことをしている という事に気づいてしまったのです。 仕事の大変さは自分の精進で対応できるけど、職場のこのことは対応しきれないことなので辛い。いつも見られている、そして突然何か言われる、それが毎日毎日。辛い。

何人かに打ち明けてみたら気づいていてくれた人もいました。それはパワハラですよねとびっくりする人もいました。 一方的に言われる(狙われる)人は私だけではないこともわかりました。「ふつうはそんなになると辞めちゃうのよ、そして今度は次の人が狙われるのよ」なんてことを言う人もいました。

今、2年前 嫌なことはしない を実践と思った時と比べるとこの春からだいぶ事情が違ってしまいました。そのことは十分わかっているのだけれどどうにかできないものかと考えるようになっています。



昔のことを思い出しました。

西日本でその事件が起こったので知識としては知っていたけれど実感のなかった森永ヒ素ミルク事件、進学先でその人たちと知り合いになったのです。その中の一人がよく、彼女のできた仲間に「こんなに早くから縛られる生活になるのか」というようなことを言っていました。

家庭・家族が与えられたことを感謝とともに喜んでいるけれど、そのためには嫌なことでも我慢しなければならないのかほかに選択肢はないのかと思い悩んでいます。道をお示しください。

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