2017年1月17日火曜日

どうして 社会全体でも個人の気持ちレベルでも簡単なことではない と言ったのか


難民受け入れに関して 「 これまでそのようにしてこなかった分、社会全体でも個人の気持ちレベルでも簡単なことではないでしょうがすべきです。」と書きました。それは福島第1原発事故で気づいたんです。



今日は22年前・1995117日未明に起きた阪神淡路大震災の日です。

後にボランティア元年と言われることになる1995年。もちろんそれまでにもボランティア・ボランティア活動はありましたが、この阪神淡路大震災の時のボランティア・ボランティア活動がそれまでと量的にも形態・質ともに変わったという事で1995年がボランティア元年と言われるようになったとのことです。

2004年中越 2007年中越沖 2011年の東日本大震災の支援で現地に入りました。この三つの中で東日本大震災は放射能・原発事故があったという事で決定的な違いがあります。

地震だけだったら時間とともに復旧もし復興もしたでしょうが東日本大震災は原発事故のせいでいまだにこの先のめどが立っていません。



 東日本大震災の時もボランティアが全国から駆け付けました。規模の大きさ、被害の深刻さもあってボランティアの人数も規模・形態 期間もそれまでにないものでした。

 ところがそのあとから、原発事故を起こした福島第1原発のある福島県の廃棄物はもちろん、生産品の受け入れ、福島から避難してきた人に対しての拒否反応が“放射能”福島第1原発のことが大きいんだとは思いますけど様々な形で表出してしまったのです。

 要はこういう事かと考えました。 そっちへ行くからこっちへは来てくれるな という事かなと。取るものも取らずとか二心なく何かできることはないかと助けに向かう一面を持ちつつ、同時に自分の日常の生活を崩さないでくれという気持ちが程度の差こそあれみんなの中にある。

 だから国外で起きていることに対する対応で、理解もされず批判を受ける結果にもなってしまう、ましてや“難民”の理解や受け入が一向に進まないのだと。それをあのような言葉で言ったわけです。

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