2017年5月31日水曜日

O2 14-11-7 国際通り


 
一日自由行動の朝、夕方からは他の参加者と合流する形で参加したい集会があったのでまず国際通りと平和通りをたっぷり回って首里城を目指します。国際通りから首里城までは観光スポットを循環しているバス“ゆいゆい号”に乗る予定です。

国際通りは第2次世界大戦後闇市で賑わった所ですが、伊江島の戦いで戦死したアメリカ軍の従軍記者・アーニー・パイルの名前が付けられた映画館「アーニー・パイル国際劇場」がある通りということでそう呼ばれるようになったとのことです。 沖縄の戦いを記録した写真を視ると首里城でさえ跡形もないほどに破壊しつくされています。「サトウキビ畑」の中に“鉄の雨が降った”と謳われているほどの様子が写真を視るとほんとによくわかります。目標物を狙って撃つなんて撃ち方ではなくて一分の隙もなく艦砲射撃されたことがよくわかります。戦後、多くの土地を接収され住む場所も働く場所もなかった状態からの出発。国際通りはちょうどその距離だったという事があったからという事でとその賑わいから“奇跡の一マイル”とも言われたそうです。 

国際通りには県庁があり市役所があり、バスが主要交通機関になっている沖縄においての那覇のバスターミナルがあります。 車の時代になり郊外の再開発に伴って変化もしてきていますが、私も含めて有名な“国際通り”の響きから観光客が多く訪れ-観光客相手のお店がたくさんある-だからまた観光客が集まる という好い循環関係になっていると思いました。


初めての時は夕方近くからの限られた時間で限られた範囲を歩いただけで交流会のお店に行き、2次会も行ったけれど夜で雨にも降られてしまいました。そんなことで2回目の時の印象がどうしても主になりますが→バス道路・表通りに面して明るく、お店も多い。道は店内だけでなく歩道にまでワゴンがせり出し声をかけるお店の人もいて賑やか。お土産物屋さん 飲食店 お店がいっぱい。観光客 修学旅行者 人が多い。バス(観光バスも路線バスも)もタクシーもがひっきりなし。さすが有名なだけあると感じました。 
道路網の構造的な問題もあり慢性的な渋滞が問題になっていますが、この混雑した感じ 狭さ≒広さ 賑わいがいいのかもしれません。

2017年5月29日月曜日

O2 14-11-7 国際通りで買ったもの・お店


ご近所や職場へのお土産にお菓子というようなお土産の買い方からは少し外れるかもしれませんが私も国際通りで買い物をしました。

初めての時記念に かりゆしウェアー を一枚買って帰ろうかと思いました。地元の人に言わせると「意外とイトーヨーカドーの品物がいいんですよ」とも言われていたんですがお店が見つけられません。目が慣れていない上に交流会の予定が迫っていて探す時間がないという感じでした。

結果としてこの時はたまたま目に入ったCDショップ・タワーレコードに入りました。 初日の交流会場でBGMに流れていたビギンの「おじ―自慢のオリオンビール」買おうかと思って。 店頭で見たら、この曲には何年にも分けていくつもバージョンがあって、ホテルの夕食交流会の時に耳にしたのは廃盤になっていました。残念。でもこれだけ何年にもわたってしかもいろんなバージョンがあるなんて、ほんとにみんなに親しまれているんだと感じました。 で、これはどうしようもないとしても何か一枚という思いで改めて店内を観ていたら「沖縄ジャズ」を見つけたんです。 まさに今回そしてこのお店に来なかったら目にすることも手にすることもなかった一枚。 いい出会い・記念になるものを手に入れました。出来もよかったですよ。 (おじ―自慢のオリオンビール の探していたバージョン、後日 ネットで見つけ入手することができました。満足)

2度目に国際通りに行くことができたのは2年後でした。この時は丸々一日自由行動日がありましたので朝から出かけてゆっくり見て回ろうと望みました。前回が少し心残りでしたので一層その思いを強くしたのかもしれません。

2この時のお土産としては、いろいろ歩く中で琉球舞踊や演劇集団・基地を笑えお笑い米軍基地のDVDも良いなぁとおもって寄った高良レコードで“三板(さんば)”を手に入れました。このお店にはもちろんCDも並んでいましたが、沖縄物も含めていろいろな楽器・DVDが並んでいました。観光客が多く立ち寄る国際通りに立地してはいるけれど、意外と地元の若者の方を向いているお店なのかもしれません。

シビリアンコントロールの危機


53日の安倍首相による憲法9条(2項からなり1項では武力の行使を放棄 2項では戦力=軍隊を持たない と謳っている)に3項目・自衛隊明文を追加する(自衛隊=日本独特の言い替えをしているが他国においての軍隊の事)発言。

 そもそも憲法尊寿義務のある首相が改憲発言をするという事を国会の場で問われると“自由民主党の総裁として発言した。”と到底通らない使い分けの言い逃れをしました。

 
 523日、日本外国特派員協会の場で河野克俊統合幕僚長は安倍首相が自衛隊を憲法に明記するとしたことについて問われ「一自衛官として申し上げるなら、自衛隊の根拠規定が憲法に明記されるのであれば非常にありがたいと思う」と発言しました。発言の流れとしてはそれに先立って「憲法という非常に高度な政治問題なので、統幕長という立場から申し上げるのは適当でない」とも発言しています。

 この発言も、そもそも自衛隊法にも憲法尊寿規定があるので“一自衛官としては”と前置きしても決して許される発言ではありません。ましてや自衛隊制服組のトップである河野克俊統合幕僚長の発言はシビリアンコントロールのルールから逸脱として問題です。過去にはこれに類した発言で退官に至った制服組がいます。 ところが、このたびは退官どころかおとがめなし・定年延長だそうです。 それも安倍首相に先立って平和安全法制の成立をアメリカ陸軍参謀総長に確約するという201412月の問題発言・問題行動後の延長に続いて2度目との由。 “上が上なら” 本来は責任を問うべき立場の人・安倍首相自身がその場(時)その場(時)で自分に都合のいいおかしな使い分けをしているんだからでしょうか。稲田防衛大臣同様自分が直接口にしないで都合よく言わせているのかもしれませんが。

 

 それにしても、写真の印象より実年齢は意外と若いんですね、もっと年寄りかと思っていました。

2017年5月27日土曜日

O1 12-6-2 国際通り ミーハーな私


初めて沖縄・那覇国際通りに行ったときは、半ばあきらめていたこともあり“国際通り”にまずは行った・立ったというだけで満足でした。 これは感謝でもありましたけどなんとももったいないことでもありました。なにせ新潟から沖縄となるとちょっとお隣へというようなわけにはいきません。そうたやすくいけるところじゃないんですから行ったときには精一杯というわけです。

沖縄から帰ってきた時点ではまだ次の計画など全然ありませんでしたけど「今度行くときはもっと時間をかけて、国際通りをメインに歩いてみたいなぁ」と思いました。

そんなことを思いながら考えてみたら“国際通りのどこが見どころなのか 国際通りで何を観たいのか”が自分の中でまだないことに気づきました。ミーハーですよね。

O1 12-6-2 国際通り  (平和通り)

 “国際通り” 沖縄・那覇の観光名所としてまず首里城という事になるのでしょうか、でも特に買い物・お土産を買いたいという人にはこちらも外せないでしょう。私も沖縄に行くことがあればぜひ行ってみたいと思っていました。名前の響きが何となく沖縄って感じがして。


ずっとそう思いながら初めて沖縄を訪れた時は、全国の仲間とともに普天間・辺野古・嘉手納基地・ひめゆり学徒隊・ガマ・各地から集まった仲間たちとの交流、観光として久米島を望み見る海洋博公園・美ら海水族館を回る等々盛りだくさんの内容・日程で那覇そのものに時間をかけられず首里城にも行けないほど。それであきらめていたんですが、運良くというか縁があったというか那覇泊の日の交流会が国際通りの民謡居酒屋でという事で国際通りに行きほんの少しだけでも歩くことができました。 感謝

2017年5月21日日曜日

「悪魔の証明」 総理のご意向 文書


「総理のご意向」という内部文書が明らかになって、一気に大きく扱われるようになった加計学園問題。  内部調査を行った文部科学省は、ほんとに全部調べたの?と誰もが思うほどの短時間で「総理がかかわったという事を示唆する文章は発見できなかった」と報告。

 加計学園の問題は森友学園の土地代金8億なんて規模じゃありません。土地代金の棒引き、獣医学部建設費など何やかやと合わせると桁が二つも上がるんですから。

 文部科学省の内部調査。 会見の場で記者からどこを調べたのかと問われると文部科学大臣は「共有ホルダーを調べた」と、それだけ!? 全部調べたわけではないんだそうです。それでないと言い切ることができるとはとても思えません。同じ会見の場で「文部科学省は調べる能力はない」とまで言っているのですからなおさらおかしい、ないという証明には全くなっていないと思います。

 探すというのは大変なこと、見つかるまで(!)探さなけりゃならないんですから。でももっと大変なのは“ない”という事を証明するために探すこと。  あるはずの物を探し出すのは見つけた時点で終わり、運がよければすぐ見つかって終わりという事もあります。 でも無いことを証明するのはほんとに大変。全部調べなければいけないし、自分では全部調べたと思っても相手が納得しなくて「それでほんとに全部ですか?」と言われたらそれは大変。 これはもう「悪魔の証明」という言い方があるほどなんですから。今回の文部科学省の調査程度では駄目ですね。

2020年オリンピック・パラリンピックの年までに ~


どうにもまとまりません。 先日安倍内閣の今村復興担当大臣がその職にあるまじき「東北でよかった」発言で更迭となった時、安倍首相はインタビューに答えて「任命した私に責任がある」と言い切りました。 でも、その後今に至るまで安倍首相は何ら責任を取ったと思えることをしていないので、いったいどういうつもりで言ったのかなぁという辺りを書こうかなと思い立ったのですが、続く続く、今につながる醜聞が次から次へと噴出する上に後々に大きくかかわる事で収拾がつかないのです。  


先日の憲法記念日・53日、唐突に「2020年(オリンピック・パラリンピックの年)までに改憲を行う。~」と読売新聞および改憲派団体が開いた集会向けのビデオメッセージで公表しました。 発言内容は、これまで憲法学者が違憲とする中で歴代政府は合憲だと言い続けてきたのに9条に新たに第3項として自衛隊を明記して合憲としたいとするもので、さすがに身内からもこれまで自分たちが合憲だと言い続けてきたのは何だったのかという反応が出るほど中身もタイミングもびっくりの物でした。 国会・審議の場での態度もいただけません。新聞およびビデオメッセージの事を国会で問われると「あれは自民党総裁の立場で提案したものであり総理大臣としての私は答えられない新聞を熟読してくれ」とのあまりの言いよう。 議員・大臣として憲法尊寿の義務があるという事がかろうじて頭にあってこのような態度をとったのかもしれませんが、普通にはこのような使いわけは通用しません。 森友学園問題同様に前から出ていた加計学園問題に関しても問われたことに答えるのではなく「そんなことを質問してもし違ったら責任をとれるんですが!」と結構な剣幕。

質疑ではなくかみ合わない状態で持論を延々と述べるのみ。

北朝鮮をめぐる対応でも、戦争が起こらないように努めるのではなく国民の不安をあおるばかり。 国民一人一人の生活に関しては、安倍内閣ができてからすでに何年もたっているのに今更「今度委員会を立ち上げます 」で好いことは出てこない。苦しくなるばかり。

2020年のオリンピックのために」というのを頭につければあれもこれもなんでも通るかと思っての強引なやり方も大問題。 以前廃案になった共謀罪の目先を変えたテロ等準備罪。質問に答える側の担当大臣の資質もひどいものだけれど、委員会の質疑内容 運営の仕方も“民主主義の国”に値しない禍根を残す恥ずかしいもの。「法案はテロリストに対しての物であり一般の人を対象にしていない。人権・プライバシーはちゃんと守られる。・・・」基本的に正規軍じゃないんだから見てすぐわかる軍服を着てるわけでもないし、調べたい人を全部調べるでしょうね。 それでいて たばこ・受動喫煙対策は進まず。 これはどうなるのでしょう、オリンピックがあるからと言わないの?関係ないの?  要は自分に都合のいいところを都合のいいようにつまんでいるだけ。

生活に関して具体的な成果がないうえに、こんな失礼・不遜な態度でいて支持率が下がらないというのがどうにも不思議。

2017年5月14日日曜日

母の日に


今日(514日)は母の日。そのせいという事でしょう。母から聴かされ受け継いだ生き方や言葉が取り上げられていました。

それらはみな身に染みるものでしたが、その中のいくつかを本質のところは変えないように気を付けながら読みやすく少し手を入れさせてもらい紹介します。



「“世のため人のために”なれるような人になりなさい」

 戦前戦後を通して筆舌に尽くしがたい苦労の中、育ててくれた母の言葉。



「汗をかく 恥をかく 文字をかく」

 母はよく“さんかく”と言って生きる糧を話してくれた。



「何をしてもいいけれど、他人に迷惑をかけたり、自分がされて嫌なことは絶対にしてはいけない。」

 と教えられました。母の思いは、いつの間にか私の生活の中にいきづいています。



「亡くなる間際 そばにいるからね と声をかけると ありがとう と」

 ただそばにいるだけでよかったんだ。



 父親の言葉だって心を打つものがたくさんあるんだけど、どうも母の日には分が悪い。自分のことを考えてみてもそうだろうなぁと思うけれど。

2017年5月9日火曜日

人はいくつになっても変わる可能性はあるんだよ!


探し物をしていて、ずいぶん昔・2004718日(日)の日本経済新聞 芸術・教養欄 囲み記事「人語る」の劇作家・別役実さんの不条理の風景、音声に託す を久しぶりに手にしました。 見ると ~演出家は「空間を構築し言葉を立体化する」~ を鉛筆で囲ってあります。この事柄・言い方がこのころの私の思考にちょうどはまったんでしょうね。 

でも今回改めて目を通してみると、その前後・別のところが印象に深く残りました。このころすでに別役実さんは60後半なんですが、人間いくつになっても成長する 変わる人は変わるんだなぁと思いました。



 同世代の、いろいろ物議をかもしたという事でも時代の寵児だった寺山修司。~「異物としての演出家を介在させた方がイメージが重層化する。作家だけにした方がいい」と寺山修司にかつて言われた。~ と言われたというくだりが出てきます。それが寺山修司の考え方だったのでしょうが、この寺山修司の言葉に続いて出てくる ~始めは「台詞を直されるのが嫌だった」が、今は演出家が決め、俳優がやってくれるところは任せ、ある種のゆとりをもって書いている。「共同作業の心地よさが出てきたとき、その集団は本物」~ という段に詠み進んだ時この二人の人間性の違いに気づいてしまいました。結果として周りの人・時代に影響を及ぼし 残る考え・人はこちらだろうなぁと。

 この二人のいずれも私とはくらぶべくもない大きな存在の人だけれど、いくつになっても人は変わり成長するものだと読み取れて私の中では腑に落ちる記事でした。この談話記事を読む私も最初にこの記事を目にしたころとは変わっていると気づきました。 ただし、可能性は全く零ではないと思うけれど相も変わらず取り返しのつかない過ちも繰り返していて、何をやっているんだ と同時に思いますが。

2017年5月6日土曜日

高すぎる保険料が人を殺す


このたび満額もらっても十分とは言えない厚生年金だけれども、せめて満額もらえるまでと思っていた職場を辞めることになりました。正直これからどうしようかと頭を悩ましているとこですが仕方ありません。  

退職に伴っての様々な手続き・健康保険の手続きをする中で考えることがありました。

健康保険、勤めているときは職場の社会保険(職域保険・政府管掌保険)でした。これを自分個人で続ける=任意継続するか、地域の自営業の人や仕事を辞めた・していない人が入る国民健康保険に新たに入るかの二つから決めなければなりません。

この二つの保険の違いの中で今回私が一番感じたのは支払う保険金額の違い。

職場の社会保険は自身と事業所が保険金額を半分ずつ出し合います。ですから退職後任意で加入する場合は自分の分と事業所分の両方=倍を出さなければいけません。つまり任意継続の方の保険金額は、これまで天引きされていた金額を倍にするだけで自分でもわかるというわけです。

片や国民健康保険に加入するという方法。仕組みとして国と自治体の予算・補助 加入者の負担からなっていますので自治体ごと保険組合ごとに算定額が違ってきます。今回私が住む自治体に問い合わせをしたところ、年額ですが世帯割・均等割りで54万 加入する人数一人事に19万 介護保険分16万 そこへ所得に応じての負担も加わるわけですから、減額措置があるとはいえ国民年金(個人差はありますが最高でも年額70万くらい)だけで生活している人にはなんと実情に合わない数字でしょう。保険のお金を払ったら生活費・食費が残りません、ここまで来ると医療 命にかかわる“生存権”レベルの問題でしょう。



“戦争かバターか”  先の戦争の反省から生まれた・国民主権 ・基本的人権の尊重 ・戦争放棄をうたった現行平和憲法。 そのもとで安倍首相が本来やるべきこと正しい政策・進め方ではありません。今やっていることは本来自国民の利益になることとは真逆のことをしています。

2017年5月4日木曜日

私とはどういう人  「はっきり言ってレベルが低いです」と言われたことから考えた


「はっきり言ってレベルが低いです」昨年私にこう言った人は管理者でベテラン、こちらはぐっと短い経験なものだからショックだけれど言われる通りなのかなと考えました。

私にこう言った人は青年海外協力隊に2度も行った人なんですが、日々の言動を見ていると、行った先でどのように接してきたのだろうと疑問におもうところがありました。派遣先、確かに技術的なことでは指導が必要なのかもしれませんが、文化・風習では相手を認め尊重し受け入れる姿勢が必要なんではないのでしょうか。一つの職場・集団を管理するそして管理者として決断するという事においては大したものだと感じましたが、自分のイメージ通りコントロール下でないとだめという感じでした。このバランスは難しいところですが。 以前書いた映画祭事の、理解できないと排除するか自分の理解の範ちゅうを超えているが理解しようとするかの違いを思い出します。

今年1月の異動後責任者から「変わった考え方をする人だと聞いています(異動前の管理者から)」と言われました。それであの時レベルが低いと言ったのは自分と違う理解できない自分の中のイメージとずれていることをレベルが低いという言葉で私に言ったんだと改めて感じました。 仕事を続ける中で経験も学習も研修もあり、テクニックのレベルは変わっていくものですから一言で決めつけられないと思います。
一人一人が持っている得意・技術とその人の持ち味を生かし 組み合わせることこそ職場責任者の心がけることじゃないかと思います。その姿勢が職場の雰囲気を変えるし、育つのではないでしょうか。


先日貝殻を使ったアクセサリー作りの講座に行ってきました。完成した貝のネックレスを見た講師の言った 「Wさんの発想は素晴らしい。この前のヒョウタンランプの時もみんなと、私たちもこうでなければいけないねと話していました。」の一言で私はびっくり、複雑な思いになりました。 ここでは人と違っていい、見本があってもそれはあくまで見本なのだから自分独自の発想であっていい・いや独自の発想のほうこそ求められているんだと思いました。  どちらの時も同じ私なんだけど、時と場所によって評価というか見られ方は正反対になるんだなぁと思いました。



ところで、最初にレベルが低いと言われてショックを受けた時どうして乗り切ったか。 

私も強くなったというか、舞台のオーディションと同じと取るようにしたのです。 オーディションは作品に会うか会わないかで決めるということを知っていましたので。



 自分はどういう人間なのか、どういう場が合っているのか考えました。

2017年5月2日火曜日

想像力の欠如が世界の平和を一層危ういものに


今これまでにまして北朝鮮に関して緊張が高まっているのは間違いありません。いざ戦争それも核兵器が使われでもしたならばその影響は一気に地球規模の物になるのですから恐ろしいことです。

その恐れは「テーブルの上にすべての選択肢がある」と言ってはばからないアメリカのトランプ大統領と共に何をするか予測不能と言われている金正恩北朝鮮最高責任者が対峙し続けているのですから収まる気配がありません。 それに加えてこのたびもいち早くアメリカトランプ大統領支持を表明した日本の安倍首相の存在。安倍首相はもともと想像力の弱い人ですから、権限を持っている自分がトランプ大統領の言っていることやっていることを支持するということは日本にとってどのような意味を持つのかどのような結果を招くのかが想像できていないのでしょうが、日本そして世界の平和を一層危ういものにしています。



このたびの北朝鮮問題、ここへきて徐々に対応の違いが出てきました。核実験をしたらもう戦争しかない、やるかやらないかではなくいつやるかだけだと言ってはばからないアメリカのトランプ大統領とそれを支持する日本の安倍首相。それに対して、中国そしてロシアは対話をもって北朝鮮に接触しているというのは望ましい姿勢だと思います。
 報道とそれへの反応では、本来なら最も緊張が高まっているはずの韓国に比べても日本は大げさな反応をしているそうです。失敗に終わったとされる弾道ミサイル発射実験によって東京の鉄道が止まるという反応に対しては、北朝鮮に直接接している韓国においてさえ日本の反応は“大げさ”ととらえられたようです。 テレビのどのチャンネルどの新聞・マスコミからもアメリカ合衆国と北朝鮮は一触即発の状態にあると繰り返し紹介され、加えてあおるような安倍首相の言動によって“大げさ”と評されるほどの反応を示すようになっているのでしょう。