2017年5月9日火曜日

人はいくつになっても変わる可能性はあるんだよ!


探し物をしていて、ずいぶん昔・2004718日(日)の日本経済新聞 芸術・教養欄 囲み記事「人語る」の劇作家・別役実さんの不条理の風景、音声に託す を久しぶりに手にしました。 見ると ~演出家は「空間を構築し言葉を立体化する」~ を鉛筆で囲ってあります。この事柄・言い方がこのころの私の思考にちょうどはまったんでしょうね。 

でも今回改めて目を通してみると、その前後・別のところが印象に深く残りました。このころすでに別役実さんは60後半なんですが、人間いくつになっても成長する 変わる人は変わるんだなぁと思いました。



 同世代の、いろいろ物議をかもしたという事でも時代の寵児だった寺山修司。~「異物としての演出家を介在させた方がイメージが重層化する。作家だけにした方がいい」と寺山修司にかつて言われた。~ と言われたというくだりが出てきます。それが寺山修司の考え方だったのでしょうが、この寺山修司の言葉に続いて出てくる ~始めは「台詞を直されるのが嫌だった」が、今は演出家が決め、俳優がやってくれるところは任せ、ある種のゆとりをもって書いている。「共同作業の心地よさが出てきたとき、その集団は本物」~ という段に詠み進んだ時この二人の人間性の違いに気づいてしまいました。結果として周りの人・時代に影響を及ぼし 残る考え・人はこちらだろうなぁと。

 この二人のいずれも私とはくらぶべくもない大きな存在の人だけれど、いくつになっても人は変わり成長するものだと読み取れて私の中では腑に落ちる記事でした。この談話記事を読む私も最初にこの記事を目にしたころとは変わっていると気づきました。 ただし、可能性は全く零ではないと思うけれど相も変わらず取り返しのつかない過ちも繰り返していて、何をやっているんだ と同時に思いますが。

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