2017年5月4日木曜日

私とはどういう人  「はっきり言ってレベルが低いです」と言われたことから考えた


「はっきり言ってレベルが低いです」昨年私にこう言った人は管理者でベテラン、こちらはぐっと短い経験なものだからショックだけれど言われる通りなのかなと考えました。

私にこう言った人は青年海外協力隊に2度も行った人なんですが、日々の言動を見ていると、行った先でどのように接してきたのだろうと疑問におもうところがありました。派遣先、確かに技術的なことでは指導が必要なのかもしれませんが、文化・風習では相手を認め尊重し受け入れる姿勢が必要なんではないのでしょうか。一つの職場・集団を管理するそして管理者として決断するという事においては大したものだと感じましたが、自分のイメージ通りコントロール下でないとだめという感じでした。このバランスは難しいところですが。 以前書いた映画祭事の、理解できないと排除するか自分の理解の範ちゅうを超えているが理解しようとするかの違いを思い出します。

今年1月の異動後責任者から「変わった考え方をする人だと聞いています(異動前の管理者から)」と言われました。それであの時レベルが低いと言ったのは自分と違う理解できない自分の中のイメージとずれていることをレベルが低いという言葉で私に言ったんだと改めて感じました。 仕事を続ける中で経験も学習も研修もあり、テクニックのレベルは変わっていくものですから一言で決めつけられないと思います。
一人一人が持っている得意・技術とその人の持ち味を生かし 組み合わせることこそ職場責任者の心がけることじゃないかと思います。その姿勢が職場の雰囲気を変えるし、育つのではないでしょうか。


先日貝殻を使ったアクセサリー作りの講座に行ってきました。完成した貝のネックレスを見た講師の言った 「Wさんの発想は素晴らしい。この前のヒョウタンランプの時もみんなと、私たちもこうでなければいけないねと話していました。」の一言で私はびっくり、複雑な思いになりました。 ここでは人と違っていい、見本があってもそれはあくまで見本なのだから自分独自の発想であっていい・いや独自の発想のほうこそ求められているんだと思いました。  どちらの時も同じ私なんだけど、時と場所によって評価というか見られ方は正反対になるんだなぁと思いました。



ところで、最初にレベルが低いと言われてショックを受けた時どうして乗り切ったか。 

私も強くなったというか、舞台のオーディションと同じと取るようにしたのです。 オーディションは作品に会うか会わないかで決めるということを知っていましたので。



 自分はどういう人間なのか、どういう場が合っているのか考えました。

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