2011年2月27日日曜日

1-12 思いもかけないプレゼント

 ナイロビについて最初に買ったのがミネラルウオーター。 

 そのまま飲めるか以前に、水道の普及の程度もわからなかったし、すべては飲み水を確保してからと思って。
 水は大変貴重、とゆうことは十分理解していたつもりでした。

 ところが。途中の空港はもちろん、ナイロビでの宿舎ジャシーでもトイレは水洗、水道も断水することなくシャワーまで使えて、手洗いだけど洗濯までできたので、少し気がゆるんだかもしれません。
 乾期とは言え、ナイロビ自体が高地で“暑い暑い!”と水をがぶ飲みすることもなかったのも有ったと思いますが。

 それでも、さすがにマサイマラは違うだろうと思っていました。旅行会社のパンフにも「水は大変貴重です。シャワーは期待しないでください。」(人数にもよるとのことでしたが)となっていましたので。 
 ところが、チャイはお代わりまで飲ませてもらったし、天水タンクがあったので、そんな覚悟もどこえやら。
 幸い、ナイロビよりももっと高地のエナイボルク村、大汗もかかなかったのでどうしてもお風呂に入りたいとゆうこともありませんでしたしね。

 ところがサプライズ!
ジャクソンさんが“行水”をプレゼントしてくれたのです。
 さすがに、ナイロビを出てからまるまる二日たち、ウオーク、ママさんたちとの交流、集落訪問、山羊のバーベキュー(その前の屠畜)と、いろいろあった日。
 おかげで、もちろん肉体的にさっぱりしましたけど、なにより気分転換ができました。
 そんなに深刻になってたつもりじゃなかったんだけど、盛りだくさんの一日でしたからね。

 感謝

1-14-1・2 お別れ

 まずこの写真を見てください。

見直して気づきました。

 このときの私は、出発前のあわただしさで余裕がなかったうえに。気持ちがもう、これからの道中とナイロビ、いよいよ目前に迫ったキベラ・マゴソスクール訪問に飛んでいたんでしょうね。
 だから、ここに写っている、お別れに来てくれたママさんたちの気持ちまで思いが至りませんでした。
 だめですねぇ。反省します。


 わずか3泊4日とは言え、結ばれた縁。
今回の経験を元に、次はもっと掘り下げて、そう遠くないうちにまたと考えているものの。
そのときに、今回と同じように会える保証はないんですものね。
 一期一会。今のこの時を大切にするなら、お別れに来てくれたママさんたちの気持ちに気づくべきでした。
写真に写っているみなさんの雰囲気、表情を見ると本当にそう思います。

 あの
もう戻れない、取り戻せない、やり直せない、あぁすればこうすればよかったと後になって悔いる。
もうこんなふうに会えないのかなぁという思い。
 どう言ったらいいのかなぁ。うまく伝えられないけど、あの妙な気分 気持ち。
 そのすべてがここにいるママさんたちからすごく伝わってきます。
 日頃、どちらかというとそういうのに敏感な方だと思っていたのに、その時に、その場でそれに気づかなかった私は鈍感でした。



みんな本当に気持ちのきれいで優しい人たちばかりでした。

2011年2月20日日曜日

1-14-1・1 エナイボルク村出発の朝

 過ぎてしまえばもっと居たいような気にもなるけれど、此処でしか今回のスタディツアーでしか体験できないことをたくさん体験させてもらって 出発の朝がきてしまった。


 ムガネさんも来ているし、道路状況等後々のことを考えて、準備が出来次第出発しましょうとの由。

 ほんの数日分の荷物なので全体の量が多いわけではないが、ママさんたちの作品が壊れないようにパッキングするのが結構大変で、結果としてあわただしく出発とゆうことになってしまいました。

 こんなにあわただしくなければ、気持ちにも余裕ができて名残を惜しんで別れを告げられる。
と、決まったものでもないが、どうも、終わりとか別れとかは苦手だ。

 だから、このあわただしさはもしかしたら、そんな私を神様が思いやってわざとしてくれているのかもしれないが。

 荷物を積み込み、車に乗りスライドドアを閉める。本当にお別れだ。
ジャクソンさんやママさんたちが見送ってくれた。

幸せ ッてどんな状態?

“好きなことを思う存分が夢”という人が。
 好きなことを好きなだけ、誰からも止められることなく自由にできたらどれだけ良いだろう幸せと感じるだろう。
そんな情景を思い想像するだけでも至福の時。

ところが。
 好きなことを思う存分自由にできても幸せと感じられないということがあるということに最近ヒンズー教徒の人の話を聞いていて思うに至りました。

 好きなことでも飽きてしまうことがある、と。
“飽きる”
 つまり「好きなことができる≒幸せ」ということなのかな。

 そんなこともあって改めて「幸せって どんなこと、どんな状態」ッて考えてしまいました。

“あ~幸せだなぁ~”ッて言葉が思わず口をついて出る時って、案外日常の些細ともいえるような事柄に遭遇した時のような気もします。

 願っていたこと、頼んでいたことがなされた時って、もちろん嬉しいから「嬉しい!!」って叫ぶこともあるかもしれないけど、だからって“あ~幸せだなぁ~”って言葉の方が口から出るかなぁって気がするのです。

 今の私の状態・・・
幸せ?って自分に問うと。
ハイ! と即答できない。
では不幸?と自分に問うと。
これは言える。
不幸ではない。

 これから言えること 不幸ではない≒幸せ

 願い、希望して、かなっていないことは確かにある。
では不幸かというと、そうではないと感じている。
いろいろ思い悩むこと、大変なことがは確かにある。
では不幸かというと、そうではないと感じている。

 今の状態は、これはこれで毎日が安定して保たれている。
刺激的な毎日というわけではないけど、悪いことも良いことも突出していない、“中庸”という状態が保たれている。

 これはこれで感謝。

2011年2月13日日曜日

1-13-23 ロッジでお買い物

 マラ・セレナ・ロッジのフロント脇におみやげ物のお店がありました。

 間口はそんなじゃなかったけど、店内は結構広い作り。
制服を着た男女が対応していました。シャキッとして結構かっこいい!
 品ぞろえは、キーホルダーなどの小物から各種雑貨。Tシャツ、上着、ズボンなどの衣類。大小さまざまのぬいぐるみ、書籍、地図等々。品数としては結構ありました。

 私はここで、ケニア共和国とマサイマラ国立保護区の地図。
そしてTシャツを3枚買いました。もっと民族衣装的なデザインだったら上着とかズボンも買ったんだけど、普通だったのでパス。

 地図。やっぱり手元にこういう資料があると良いですね。
Tシャツは、色合いにも引かれたけど、エウノト中の青年の写真を撮れなかったのが頭にあったのか、マサイの戦士をデザインしたものを3枚(も!)。

 このTシャツ。1枚2000シリングでしたから、日本的には普通の値段ともいえますが!、ママさん達の品々の金額のことを考えると、せっかく考えて我慢さえしていたのにそれがいっきに崩れさった感じ。

 こんなことじゃねぇ・・・

1-13-22 飛び込みはだめよ!

 昼食後、出発までの自由時間、私は屋内のレストランを背にした眺望の開けた席でコーヒーを飲みながらゆったりとした一時を過ごしました。

 
 遙か彼方まで開けたマラ国立保護区の眺望。
 視線を近くに移せば、スロープを上手に取り入れた宿泊棟があり。
 何段かに渡るラウンジの一番下に位置してプールも設えてありました。
 
 そこに水があるというだけで、眼も安らぎますが、一番はこのサバンナでこんなに水があるという贅沢さでしょうかね。
 ただし、プールと言っても形も深さも、ほんとにそこで泳ぐという代物ではありません。腰を下ろして足を浸けるくらいは大丈夫だと思いますけど、見ればすぐわかります。
 飛び込み禁止!の絵の看板が立っていましたので間違いなかったと思います。


 と、思っていたんですが、写真を整理していて大きな間違いに気づきました。
 看板の位置もそうですし、プールの向こうは崖になっていたので、そちらへ ダイブするな!ということだったんだと。

キルタン&バジャン 

 久しぶりにインド音楽、それもインドの人の演奏と話を

2時間近く、たっぷり聞かせてもらいました。(1月28日キルタン&バジャン ナイト)

  催しの案内チラシによると、出演メンバーは二人。
その二人による、歌・タンバリンとタブラの演奏となっていました。
 演目は「キルタン&バジャイ」とゆう神様に捧げる音楽と書いてあったのが少し気になりましたが・・・
 そのチラシには「お好きな楽器をお持ちください、参加もどうぞ。」とも書いてありました。

 それで私は当日フィンガーシンバルを持っていきました。
 そしたらメンバーは4人、ベルもハルモニュウムまでもあったんです。
 となると本物の前ではできないなぁと思って出せませんでした。

 参加者は、このところの天候(大雪と冷え込み)のこともあり少ないのかなと思っていました。
ところが私が行った後からもどんどん増えてすごく大勢に。いつも見かける顔ぶれと違った人も大勢。
 子どもも大勢。その子どもたちはすぐ仲良くなって、はしゃぐ子どもたちの声で会場はなかなかにぎやか。

 演奏の合間のクリシュナグルジさんの話は、聞いているうちに別の信仰を持つ私にとって、これ以上いくとまずいかなと感じるレベルに。
 そんなときにちょうどいいタイミングで、通訳をしていた日本の人が「インドの文化として聞いてください」と言ったので、文化として受け取るなら問題ない尊重できると。
 セーフ!

 話のなかで、特に印象にのこったのは、
 -好きなことを自由に好きなだけできるとゆうことが幸せとは限らない- というエピソード。
大好きなお菓子をお腹いっぱい食べるのが夢で、それがかなっても、二日も三日も続くと飽きてしまう、それは本当の幸せではないから、と。
 なるほど、惑わされないわかりやすい良い例え。

“五感”
 目で視る 耳で聴く 鼻で嗅ぐ 口・舌で味わう 皮膚で触る・感じる
「これ以上のものはありません。あるなら言ってください。」
と言っていました。私は何かあったような気がしていたんですが、その時思い出せませんでした。
 でもやっぱりありました。 日本には“第六感”が。
よく虫の知らせなんていうのですよね。これ気配とか予感とか、うまく説明できないけど、何かありますよね。

 瞑想、そして特に呼吸の大切さにもふれていました。
 呼吸の大切さはまったく同感です。 発声、歌や台詞といった実利的なことにとどまらず、精神的肉体的にも大変重要だと感じています。
 瞑想も、自分、内面を見つめなおす、祈るということと捉えればまったく異論はありません。

タブラ・バヤンの演奏
 CDなどで演奏・音は耳にしていましたが、その一つ一つの音がどうやって出ているのかがわかりませんでした。映像で見ても指の動きが速すぎて。
 でも当夜の説明と演奏を視れば一目瞭然。
どの指を使う、その指でどう叩くとどんな音とゆうのを楽器の紹介の時に見せてくれました。
 あの音はこうして出していたのかとゆうことが一目でわかりました。つながりましたよ。

タンバリンの演奏
 タンバリンの可能性は大きいと思い、自身でもいろいろ使っていました。だから知っていることもありましたけど、今回初めて眼にした、口を騨面、皮の横に近づけて歌ったらエコーがかかったように鳴り出したのには。ほぉ、こんな使い方もあるのかと感嘆しました。

 タブラを演奏してくれたアーユルベーダの先生のアシュトーシュさんの奥さんがベルを手にとり鳴らしたんですが、ご主人のイメージと違ったのか止められていました。
 みんなができるわけじゃないんですね。考えてみれば当たり前のことですけど。

2011年2月11日金曜日

失敗は好ましくはないが、多くのことを学ぶ、私は希望を捨てない。

   サイエンスライター野本陽代さんのインタビュー記事が新聞に掲載されていました。

  中で、昨年大変関心を集めた小惑星イトカワの物質を持ち帰った「はやぶさ」に続き、注目を集めた金星探査衛星「あかつき」。残念ながら失敗してしまった、金星周回軌道への投入についての話が印象に残りました。

 それは
「失敗は好ましいことではありませんが、多くのことを学ぶことができます。それが次の成功につながっていくのです。継続は力です。基礎研究や開発を国が支援し続けていくことが重要だと思います。」 
 と言うものでした。


 この下りを眼にして、邦題ではホワイトハウスとして放映された番組のシーズン2・第9話
「ガリレオ5」(2000年制作)のことを思い出しまた。

 無人探査衛星ガリレオ5号がいよいよ火星に到達するということで、ホワイトハウスから大統領と子どもたちの対話放送がおこなわれることになり準備が進められる。ところが、あろうことか放送前日になって火星の大気圏突入に失敗してしまう。
 これでは放送は中止となるところなのだが、ほかの経緯もあった結果、大統領と報道官は放送を予定通り行うことにする。そのときのやりとりが非常に印象深かったのです。

 そのやりとりとは

「間違いをおそれて手を挙げない子たちをこう励ますのです。」

「誰にも間違いはある、大人だって同じだよ。」

「私は希望を捨てない。」

「もしだめだったらNASAにガリレオ6号を造ってもらう。」

 というものでした。

 
 アメリカ合衆国は物議を醸す問題も起こすけど、良いこともする。いろんな人がいる。
 その
「あきらめない」 「へこたれない」 「希望をなくさない」
 という良いところがでたエピソード、考えだと私の印象に残っています。

鉄道の町 こんなところに名残が

 新津市はその昔“鉄道の町”と言われたところ。

いくつもの鉄道路線がここを経由する、要所でした。

 その後、新幹線がここを通らなかったり、国鉄がJRに民営化されたりと“鉄道の町”としては一時の賑わいがなくなってしまい、県都新潟市に隣接する通勤圏ということもありベッドタウンになりました。(現在は、広域合併により新潟市秋葉区になっています。ここでも昔からの商店街は衰退が激しくシャッター街になっています。)

 それでも、国内だけでなく海外向けの車両も作っていますので名残というには違うのかもしれませんが、鉄道車両工場があったり、写真のような屋根にパンタグラフが乗っている公衆電話ボックスがあったりします。

 

 
でも私がそれ以上に鉄道の町の名残を感じるのが、道路を渡る時などに指差確認するお年寄りを眼にした時ですね。
 身についた習慣が抜けないんでしょうね。

1-13-21 久しぶりに“おいしい!”と感じるビールを飲みました

 飲み物にNガイドは「いつもこれなんです」とゆう炭酸入りのミネラルウォーターをボトルで。


 私たちはビールを一本。

 ごく自然な流れでみんなで乾杯。やっぱりハードな半日をともに過ごしたので一段と結びつきが強くなったんでしょうね。

 おいしかったー!

 久しぶりに“おいしい!”と感じるビールを飲みました。

 量としては、三人で日本の中瓶クラスを一本だから、グラスに半分ちょっとだったかなぁ。

 ほんとに美味しかったー。

 あんまり美味しかったからもう少し飲みたい気もしたけど、午後の日程があるのでガマンガマン。


 ところで、ここでもビールはタスカー。「メーカーは一つです」と聞いていたけど銘柄としては他にもいくつか。
 メーカーとしてはほんとにこれ一つなんでしょうかね。
 占有率の高いのは間違い有りませんが。

1-13-20 ロッジのレストラン

 このレストラン、おすすめのオニオンスープのように別注文もできるけど基本はバイキング形式。


 品数はそろっているし、どれも美味しそう。

 とは言え、残さないようによく考えて取らなきゃね。

 品数もあるし、どれも美味しかったからなんでしょうが、以前食べ過ぎて午後のサファリで気分の悪くなった人がいたとゆうことを聞かされましたしね。

 デザートもたくさんありました。

 中でも私が最初に切り分けさせてもらったチョコレートのホールケーキは、その濃厚な甘さに十分満足しました。

2011年2月6日日曜日

1-13-19 知り合いいっぱいレストランのお奨めオニオンスープ

 Nガイドはここでも大勢知り合いが居ました。


 ハグまではしなかったけど、何人もの従業員と挨拶してました、結構派手に。

 「すごいんですねぇ、どこに行っても知ってる人が居るんですね」と言ったら。「いろいろ言うから覚えられるんだ」とのことでした。

 確かにはっきりしています。私の住んでいる雪国の女性とはタイプが違いますね。



 「ここのオニオンスープは美味しいんですよ」と別オーダーした時も「クルトンを(多めに)サービスしてね!!」と、声をかけていました。

1-13-18・2 レストラン前の長椅子で一休み



 ロッジに入り、Nガイドがレストランの席を頼んでいる間、私たちは朝以来初めての用を足し、長椅子に腰を下ろす。


 自覚としてはなかったんだけど、その時写してもらった写真を見ると、結構疲れていたんだなぁとゆう表情。

2011年2月2日水曜日

さすが寒中

 私の記憶ではこんなのは初めてですね。

1月の天気が全部“雪だるま”マークで埋まってしまいました。
 積雪も多いところは4メートルを突破。
私の住む海岸部の方はそこまで積もりませんが寒い毎日を過ごしています。

 そしてついに、家の中でも寒暖計で2.5度の表示を目にしてしまいました。
 毎朝3度4度の世界なので体感的にはあまり違いを感じなかったのですが、一月寒中とはいえさすがにびっくり。
 外ではないので風は吹かないからそれは感謝ですけどね。


 季節感としては旧暦の方がぴったりきますね。
もうすぐ節分そして立春。
 2月、真冬とはいっても立春を過ぎれば先は見えてきます。寒波がきてそれが緩んでを何度か繰り返しながら。
 待ち遠しい春ですよ。