2011年2月13日日曜日

キルタン&バジャン 

 久しぶりにインド音楽、それもインドの人の演奏と話を

2時間近く、たっぷり聞かせてもらいました。(1月28日キルタン&バジャン ナイト)

  催しの案内チラシによると、出演メンバーは二人。
その二人による、歌・タンバリンとタブラの演奏となっていました。
 演目は「キルタン&バジャイ」とゆう神様に捧げる音楽と書いてあったのが少し気になりましたが・・・
 そのチラシには「お好きな楽器をお持ちください、参加もどうぞ。」とも書いてありました。

 それで私は当日フィンガーシンバルを持っていきました。
 そしたらメンバーは4人、ベルもハルモニュウムまでもあったんです。
 となると本物の前ではできないなぁと思って出せませんでした。

 参加者は、このところの天候(大雪と冷え込み)のこともあり少ないのかなと思っていました。
ところが私が行った後からもどんどん増えてすごく大勢に。いつも見かける顔ぶれと違った人も大勢。
 子どもも大勢。その子どもたちはすぐ仲良くなって、はしゃぐ子どもたちの声で会場はなかなかにぎやか。

 演奏の合間のクリシュナグルジさんの話は、聞いているうちに別の信仰を持つ私にとって、これ以上いくとまずいかなと感じるレベルに。
 そんなときにちょうどいいタイミングで、通訳をしていた日本の人が「インドの文化として聞いてください」と言ったので、文化として受け取るなら問題ない尊重できると。
 セーフ!

 話のなかで、特に印象にのこったのは、
 -好きなことを自由に好きなだけできるとゆうことが幸せとは限らない- というエピソード。
大好きなお菓子をお腹いっぱい食べるのが夢で、それがかなっても、二日も三日も続くと飽きてしまう、それは本当の幸せではないから、と。
 なるほど、惑わされないわかりやすい良い例え。

“五感”
 目で視る 耳で聴く 鼻で嗅ぐ 口・舌で味わう 皮膚で触る・感じる
「これ以上のものはありません。あるなら言ってください。」
と言っていました。私は何かあったような気がしていたんですが、その時思い出せませんでした。
 でもやっぱりありました。 日本には“第六感”が。
よく虫の知らせなんていうのですよね。これ気配とか予感とか、うまく説明できないけど、何かありますよね。

 瞑想、そして特に呼吸の大切さにもふれていました。
 呼吸の大切さはまったく同感です。 発声、歌や台詞といった実利的なことにとどまらず、精神的肉体的にも大変重要だと感じています。
 瞑想も、自分、内面を見つめなおす、祈るということと捉えればまったく異論はありません。

タブラ・バヤンの演奏
 CDなどで演奏・音は耳にしていましたが、その一つ一つの音がどうやって出ているのかがわかりませんでした。映像で見ても指の動きが速すぎて。
 でも当夜の説明と演奏を視れば一目瞭然。
どの指を使う、その指でどう叩くとどんな音とゆうのを楽器の紹介の時に見せてくれました。
 あの音はこうして出していたのかとゆうことが一目でわかりました。つながりましたよ。

タンバリンの演奏
 タンバリンの可能性は大きいと思い、自身でもいろいろ使っていました。だから知っていることもありましたけど、今回初めて眼にした、口を騨面、皮の横に近づけて歌ったらエコーがかかったように鳴り出したのには。ほぉ、こんな使い方もあるのかと感嘆しました。

 タブラを演奏してくれたアーユルベーダの先生のアシュトーシュさんの奥さんがベルを手にとり鳴らしたんですが、ご主人のイメージと違ったのか止められていました。
 みんなができるわけじゃないんですね。考えてみれば当たり前のことですけど。

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