2013年2月27日水曜日

難渋した10日間 2/2


そんなわけで、今週観た2本の映画のことを思い起こしてみました。

その2本とは、昨年からぜひ観たいと思っていた「桃(タオ)さんのしあわせ」。もう一本は「人生 ブラボー」。

「桃さんのしあわせ」は血は繋がっていないけれどずっと一緒に暮らしてきたもの。もう一本「人生 ブラボー」の方は血は繋がっているんだけれどまったく別々に暮らし一度もあったことがない関係のもの。

物語の状況と 設定はある意味正反対とも言えるもののどちらも“家族 親子”を扱った作品でした。

人生ブラボーの方がまさかこんな設定、展開を見せてくれる映画だとは思いもしないで観に行ったんですが、考えてみると私結構こうゆう縁があるんです。

 

「桃さんのしあわせ」はしっとりとした出だし… と思いきや口で頼まないでも 一言も言わないでも、すっかりその心の内を読んでいるように してほしいことを先回りしてサービスしてくれる60年にもわたってつかえてくれている“お手伝い”の桃さんが描かれます。

ここの長男ロジャーにとっては、この世で一番なんでも聞き入れてくれるはずの母親以上の存在。
 桃さんは実の母子の関係以上に、アンディ・ラウ演じるロジャーのことを想いやっているのです。

そして、桃さんの具合が悪くなってからのロジャーの献身ぶり。
 ロジャーがしてくれるその一つ一つに対しての桃さんの喜びぶり。
 桃さんがその一つ一つに幸せを感じているということがそのしぐさ 表情からよくわかりました。
 実の親子以上の親密さ、互いに感じている満たされた思いがこちらにもよくわかりました。

 

もう一本「人生 ブラボー」

なぜそうしたのか(バンクへの有償での精子提供)については映画を観ていくうちにこれだったんだなと思い至らせるところが出てきますが、出だしではそんなことはまだわからないので、描かれる主人公のダメさぶりでどういう人なのか、この先どうなることやらと心配になるほどの出だし。

話しが走り出したのは、突然 533人もの遺伝学上 生物学上の父親と言う事実を突き付けられたころから。

そもそも別の意図があったわけだし、自分でもダメなのに気づいている主人公。

 いきなり父親だと言われても、そもそも父親になるつもりでいたわけでもそういう親子関係の生活を重ねていたわけでもないのでかかわろうとは思いません。

  “父親”は子供が誕生してからの、生活 経験 学習によって父親に 親子になっていくんですから、突然あなたの子どもです(それも533人の)と言われてもハイそうですかなんて言えません。

話しは、これがお導きなんだろうなぁと思うような偶然からたまたま生まれた、興味半分で始めた正体を明かさずにの訪問。相手はまさかこれが探し求めていた父親とは知らないんだけど、その訪問の中で紹介される子どもたちそれぞれの人生そして生活。

このあたりからはテンポもいいし、主人公も周りの登場人物たちも深みをましていい出来でした。

 徐々に芽生える“情”、伴ってこれまでの生活を見直し始める主人公。
「父親とは認めない」とまで言い切られたパートナーとの間の534人目の赤ちゃんが生まれた時のみんなのまとまり方。
 これまで会ったこともなかった子ども、実の親子の ハグ・包容し合う姿のなんと感動する情景なことか。美しい。
「ラブアクチュアリー」のラストと同じような感覚を感じました。

 
 この2本を観て、改めて親子ってなんだろう 家族ってなんだろう と思います。

 

 

と、出来もいい映画なので映画そのものについてももっと話せるんだけど今日は別のことを。

「桃さんのしあわせ」を観ていて、一昨年亡くなった私の母親のことを思い出してしまったんです。
 桃さんとロジャーのかかわり方。病に倒れ麻痺がのこる、弱いかさねていくにつれての身体の変化。
 桃さんを演じるディニー・イップは特筆もの。ああ あんな動作していたなぁ、あんな体の傾き方していたなぁ と何度思った事か。
 それ以上に、老いていくところが母の形相の変化と相似していたんです。
 肉が落ちて三角にとがってきた鼻の形。皮膚の沁み。顔立ち。ドキリとしました。

難渋した10日間 1/2


本とならこんなものじゃない そこまでではないと思いますが 魔女の一撃 とこの冬一番の寒気 悪天候で難渋した10日ほどについて。

 

学芸員による作品紹介のある日にあわせて行こうと思っていた新津美術館での「秋葉区の隠れた名品展 岩田正巳小品展」。

 先週は、お便所に行くことすら我慢に我慢を重ねてどうしようもなくなってから必死の思いで行くような状態(腰背部筋肉痛)でどうしようもなくあきらめざるを得ませんでした。


そして今朝。(224)
 未だに不便をかこっているとはいうものの一番悪い時に比べれば何とか出かけられそう。
 いつものごとくまだくらい明け方に目が覚めて、うつらうつらとしながら手元のスマホでニュース・天気予報を視てみたら、強烈な寒気が来ていて今日の最高気温は零度とのこと。

最高が零度! なんて思いながらも徐々に日差しは明るくなってくるし。
思い切って出かけるか と思ったものの次から次へと多重事故速報のテロップ。
 まだ会期もあることだし、どうしても行かなければいけない仕事と言うわけでもないしなんてことを逡巡している間にも事故や通行止めのテロップが次々と流れてきます。

決断しました。今日はやめておこう。

その後も事故に加えて加えて竜巻警報まで出る始末。
この選択は正解だったようです。

 
 

 追伸  
 
 後日時間を作って鑑賞してきました。

 
 以前目にしたことのある作品。この人も新潟の人(縁のある人)だったのと思う作品・人。
 多分に私が知らなかっただけで、人を感動させる美しい作品をたくさん生み出している人たちだとは思いますけれど、知る人ぞ知るだったり、一人では展覧会が打てない人もいるのかもしれません。
 それが、今回は経済的にも文化的にも今よりも一段華やかな、石油を産出していたころの新津 小須戸近辺の学校や公民館に寄贈された作品、縁のある人の作品と言うつながりで企画された展覧会で、私にも見る機会が与えられたというわけです。

  ここにこんな作品が“埋もれて”いたのかと言う印象を何度も持ちました。

 こんな出会いはそうそう有るものではないので、そもそもは一般的な評判に左右されてしまいます。

 ほんとは、自分の目で見てどうかを判断すればいいことなんだけど、なかなか難しい。



 今後もアンテナ高くして、行動して 精進します。

2013年2月21日木曜日

1-16-24 やり取りを聞いていた人が私に「サンキュー」と


で、この時 ハッと びっくりすることがあったんです。

 

自分の店の椅子に、腰を下ろしていた男性がわざわざ私の方に向き直って「サンキュー」と言ったんです。

私たちのこのやり取りをしっかり聞いていたんですねぇ。

 

気づけば当の女性はすでに人の波の中。

この男性はその女性にかわるかのように、私がこの女性にしたことを自分にしてもらったかのように感謝した、と言うわけです。

ハッとして少し恥ずかしさを覚えました。

 

これが、この高失業率の中で明日はわが身の助け合いなのかと思いました。

これがこの国を回している、この国の形を保っている心なのかと思いました。

2013年2月20日水曜日

1-16-23 同じ動作を繰り返す女性に正直ドギマギしてしまいました


その後も市場を巡っているとまさに突然。今の今までどこに居たのか、左腰に赤ちゃんを横抱きにした、着古したカンガをまとった身なりの女性が行方を遮るように現れました。

この女性、さかんにいったん赤ちゃんを示してからすぼめた自分の口の根元から手・指ですうっと伸ばすようなジェスチャーを繰り返します。

どうしたのかと話しかけてみるけれどこの女性は同じ動作を繰り返すばかり。

最初は突然と言うこともあってわからなかったけど、これだけ繰り返されればわかります。

これは何がしか渡さないと終らないなと思って、ちょうど手に握っていたコインを一つ渡しました。

その時手にあったのがもっと大きな金額でも、あるいは手に何も握っていなかったらお札を出してでもなんでもよかったんだけどその時はたまたま5ケニアシリングの硬貨でした。

 デザイン的にはありがたみのあるコイン。
でも日本円に換算するとほんのわずかの金額。
 その時も、今思い返してもこれでよかったのかどうかと思います。

  ただし、ウチミで買い物をした時このシリングの位の下のセントの位でお釣りが来たし、500gが10ケニアシリングで買えたということを考えると、日本()での感覚よりはこちらでは使い出があるのかもしれません。
 

いずれにしても。これまでそういう場所に行かなかったからということだと思うのだけれど、実際に物乞いをされるというのはこれが初めてだったので正直なところドギマギしてしまいました。

崇高な思い 行動の人  高野悦子さんが亡くなりました

  高野悦子さんが亡くなりました。
  先日亡くなった大相撲 大鵬関の“巨人 大鵬 玉子焼き”ほどではなかったかもしれないけれど大勢の人がその名前を知っていた人ではないでしょうか。
  亡くなったことを報じる記事は何紙にも掲載されました。その後も故人にかかわりのある人の悼む記事を目にするたびにその功績の大きさを再認識しています。
 

  高野さんは、みなさんが知っているように岩波ホールにてエキプ・ド・シネマの運動を繰り広げた人です。 当初、制作する側を目指していましたが、時期が早すぎたのでしょうか、めぐり合わせ 縁だったのでしょうかかないませんでした。
  国や系列、配給会社にとらわれず作品本位で多くのすぐれた作品・監督を発見 紹介できたのはこの出自が大きく関係していたんじゃないでしょうか。

 シネマ・ディクト=私が入っていたグループの自主上映100回記念でアンジェイ・ワイダ監督の「大理石の男」を取り上げました。
 当時の社会的な事情から一般の商業映画館にかからない作品でしたけれど、100回と言う区切りの上映会、赤字でもやるという思いで取り組んだ上映会。
 でも、ふたを開けてみたら入場を待つ長蛇の列。正直安堵したことを覚えています。
  シネマ・ディクトは映画好きの集まりでしたから、アンジェ・ワイダ監督の名前はもちろん知っていました。未見とはいえ、「大理石の男」が話題になり、その内容もいくらかでもわかっていました。
 とは言え、岩波ホールの働きがなかったらどうだったでしょう。 この作品に限らず、知られないままの作品が多くあっただろうことに異を唱える人はいないと思います。

  最後にエキプ・ド・シネマ運動の4つの目標をここに記しましょう。
・第3世界の名作 大手配給が取り上げない欧米作品の紹介。
・名作の完全版の紹介。
・日本の名作を世に出すお手伝い。
・作品を育て、作り手を育て、観客を育てる。  

 そして 暴力や戦争を肯定する作品は上映しない という視点を忘れない人でした。 ご冥福を祈ります。

2013年2月14日木曜日

みんなが受け入れられるものが見いだせない場合 において 人が間違いを起こさないための一つの選択肢


彼ら(選手 生徒)は“罰”を受けなければならないようなことをしたんだろうか。

監督・コーチ・先生と呼ばれる人たちは 人に罰を与えることのできる人たちなんだろうか。

 

今でも思い起こすと 見っともいいもの とは思えないけれど、ロンドンオリンピックで試合に負けた直後のあの柔道選手達の表情・発言。  (ブログに書かせてもらいました)

この度公になった柔道界での“体罰”のことを考え合わせると実はそういうわけがあったのか。 見苦しいと評したことが少し悪かったなぁ、と思えてくる。

 

それにつけても出るは出るは、“体罰”と言う名の下での暴行事件が。

普通の感覚で言えば当然警察沙汰ですよ。

先生から体罰と言う名の暴行を受けて自殺した生徒のこと、事の深刻さを一層明確にした柔道選手の告発…

一般の社会・地域では通用しない行為が平然とまかり通る隔絶された学校や道場・練習場の中。

私がやっていたことは「愛のむち」「良かれと思って」「暴力とは思わなかった 体罰だと思っていた」と。

 

どこが違うの。暴力とどこで線引きされるの。

 

された相手がどう思っているか。 実際 暴行は暴行としか取れない。

であれば 一切を認めない というのが一番間違いのないことなんではないだろうか。

2013年2月11日月曜日

1-16-22 やり取りの後で薦められたマサイのヤリ


私はエナイボルク村の人たちがミルクを保存するときに使っていたものと同様のヒョウタンを見つけて購入しました。
 個体としては、側面に走った割れを補修したものです。だからこそこうして売られているのでしょうね。

支払いはちょうどのお金がなかったのでお釣りをもらう形で紙幣を渡しました。
 たまたま相手も手持ちがなかったようで近くの人に両替を頼んむんだけど崩れません。
 私の手元に50シリングなら細かいものがあったので、これでいいかと言ったけれど相手がOKしない。
 逆に相手は煙草代にくれないかとも言っていたけれど、煙草にと言うのが嫌だったので今度は私がOKしない。
 しばらくそんなやり取りをしている中で出てきた100シリング紙幣を私がさっと手にしたところでその場は収まりました。

 

だからでしょうか、そのかわりにマサイのヤリをどうだと薦められました。

このヤリ、真ん中が木部 両端が金属。そしてねじ式に3分割、短くできるようになっていました。

この作りで確かにコンパクトになります。外せば飛行機も大丈夫だと言っていました。

 そんな訳でちょっと気持ちも動いたけど、昔々スペインで象眼細工の施された剣(刃のついていない飾り用)を土産物店の人から進められたときにツアーガイドさんから日本の税関で没収されるというアドバイスを受けたことがあるのを思い出して思いとどまりました。

せわしなさのバロメーター


今朝は新聞休刊日。朝新聞が来ない、活字が読めないというのは結構つらいんです。

積んであった新聞の中から適当に抜き出して見返すことにしました。それはたまたまと言うか偶然のはずなんだけど草間弥生さんの写真が大きく扱われたウイークリー版でした。

どちらもなぜか昔から惹かれるところがある人なんだけど遠藤彰子さんと草間弥生さん。

特に草間さんの方はもちろん実績もあるしもともと注目されていた人なんだけど、今のように一般にアイドル的な人気が出るとは思っていませんでした。

これまでの生き方、生い立ちも含めて何か共感・共鳴するものがあるのでしょうねぇ。

 

私の場合はどんな出合い、きっかけだったのかなぁ。

昔は今のような数字じゃなかったというのもあったのかもしれないけれど、地元の美術館に作品が収蔵されていました。

どこがとかだからとか説明はできなかったけど何か気になる作品、名前でした。

 

ところで、体調のバロメーターならこれッと同じ感じで日々の(仕事の割合が大きいかなぁ)忙しさのバロメーターはブログのアップ数。

振り返ってみると20のあたりが一つの目安かなぁ。

まだまだたくさん続くとは言えようやく一段落して、さて今月はどんなかな!

海の色  どうしてこんなに違うの!


立春も過ぎずいぶん日が延びてきました。

特に今日は明日に迫った催しのために早めに横になろうとこうして車を走らせているので一段とそう感じるのかな。

明日の準備? フタを開けてみたら、ということがあるかもしれないけれどシュミレーションしてみての準備は一通りやったつもりです。

それにしてもいろいろ続いて忙しい。忙しいという字は心を亡くすと書くわけだけど、こんなに忙しいと せわしない というか気をつけなくっちゃ。

 

今車を走らせている海岸線は別名“日本海夕日道路”。

この時期、冬の荒れる日本海だから一段と感じることがあります。

それは海の色。

本に書かれているように“鉛色の海”とまでは行かないものの、北の海の色は映像で目にする南の海とどうしてこうも色が違うのかなぁといつも思っていました。

平和ツアーで沖縄の海に直接ふれてみてその思いは一段と強まりました。

南の海(沖縄の海)は本当に色合いが明るいんです。うすいと言っても良いくらいの濃さ(薄さ)かなぁ。透き通っていてとてもきれいです。

手に取ると軽くてとても柔らかく感じさえします。こんなにも違うものなんでしょうか。

 

そんなことを思ってというか考えていたら急にひらめき 話が結びついたのが、気温・温度と分子の動き・密度の関係。

例えば水。

温度が下がっていくとだんだん動きが弱くなり凍ってしまい固まってしまう。密になる、その分色も濃く感じるようになる。

上がっていくとどんどん動きが活発になる、沸騰し水蒸気に変化していく。分子と分子の間が空いてくる広くなる(色も)薄くなる、柔らかく軽くなると言うわけです。

沖縄の海でほんとにそう実感したし、私としては納得したわけです。

2013年2月5日火曜日

1-16-21  ~ と、言われてもねぇ


この男性にあとで言われてしまいました
行く所 行く所 何人も人がついてきます。

で、私がその人を介さずにお店の人と直接話をするものだから
 
「私にも少しは良い思いをさせてくれ」
 
  と言われてしまいました。

 
と、言われてもねぇ…