そんなわけで、今週観た2本の映画のことを思い起こしてみました。
その2本とは、昨年からぜひ観たいと思っていた「桃(タオ)さんのしあわせ」。もう一本は「人生 ブラボー」。
「桃さんのしあわせ」は血は繋がっていないけれどずっと一緒に暮らしてきたもの。もう一本「人生 ブラボー」の方は血は繋がっているんだけれどまったく別々に暮らし一度もあったことがない関係のもの。
物語の状況と 設定はある意味正反対とも言えるもののどちらも“家族 親子”を扱った作品でした。
人生ブラボーの方がまさかこんな設定、展開を見せてくれる映画だとは思いもしないで観に行ったんですが、考えてみると私結構こうゆう縁があるんです。
「桃さんのしあわせ」はしっとりとした出だし… と思いきや口で頼まないでも
一言も言わないでも、すっかりその心の内を読んでいるように してほしいことを先回りしてサービスしてくれる60年にもわたってつかえてくれている“お手伝い”の桃さんが描かれます。
ここの長男ロジャーにとっては、この世で一番なんでも聞き入れてくれるはずの母親以上の存在。
桃さんは実の母子の関係以上に、アンディ・ラウ演じるロジャーのことを想いやっているのです。
そして、桃さんの具合が悪くなってからのロジャーの献身ぶり。
ロジャーがしてくれるその一つ一つに対しての桃さんの喜びぶり。桃さんがその一つ一つに幸せを感じているということがそのしぐさ 表情からよくわかりました。
実の親子以上の親密さ、互いに感じている満たされた思いがこちらにもよくわかりました。
もう一本「人生 ブラボー」
なぜそうしたのか(バンクへの有償での精子提供)については映画を観ていくうちにこれだったんだなと思い至らせるところが出てきますが、出だしではそんなことはまだわからないので、描かれる主人公のダメさぶりでどういう人なのか、この先どうなることやらと心配になるほどの出だし。
話しが走り出したのは、突然 533人もの遺伝学上 生物学上の父親と言う事実を突き付けられたころから。
そもそも別の意図があったわけだし、自分でもダメなのに気づいている主人公。
いきなり父親だと言われても、そもそも父親になるつもりでいたわけでもそういう親子関係の生活を重ねていたわけでもないのでかかわろうとは思いません。
“父親”は子供が誕生してからの、生活 経験 学習によって父親に 親子になっていくんですから、突然あなたの子どもです(それも533人の)と言われてもハイそうですかなんて言えません。
話しは、これがお導きなんだろうなぁと思うような偶然からたまたま生まれた、興味半分で始めた正体を明かさずにの訪問。相手はまさかこれが探し求めていた父親とは知らないんだけど、その訪問の中で紹介される子どもたちそれぞれの人生そして生活。
このあたりからはテンポもいいし、主人公も周りの登場人物たちも深みをましていい出来でした。
これまで会ったこともなかった子ども、実の親子の ハグ・包容し合う姿のなんと感動する情景なことか。美しい。
「ラブアクチュアリー」のラストと同じような感覚を感じました。
と、出来もいい映画なので映画そのものについてももっと話せるんだけど今日は別のことを。
「桃さんのしあわせ」を観ていて、一昨年亡くなった私の母親のことを思い出してしまったんです。
桃さんとロジャーのかかわり方。病に倒れ麻痺がのこる、弱いかさねていくにつれての身体の変化。桃さんを演じるディニー・イップは特筆もの。ああ あんな動作していたなぁ、あんな体の傾き方していたなぁ と何度思った事か。
それ以上に、老いていくところが母の形相の変化と相似していたんです。
肉が落ちて三角にとがってきた鼻の形。皮膚の沁み。顔立ち。ドキリとしました。
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