2013年2月5日火曜日

クリスマス礼拝説教で再認識 “人”は支え支えられる関係の中でこそ生きていける


先日教会から送られてきた郵便物の中にクリスマス礼拝の週報が入っていました。

それがきっかけで思い出した以前のクリスマス礼拝の説教。

 

 “クリスマス”私たちのために救い主イエス・キリストが誕生した喜ばしい日。

救い主イエス・キリストは、虐げられる弱い立場の人のところに誕生しました。 

敵を退治しに来てくれたのなら手っ取り早いのにと思うかもしれないけれど、救い主イエス・キリストは私たちを苦しめる人を懲らしめに来たのではなく、苦しめられている人たちの側に来ました。

敵を退治では一時の危機はのがれた救われたと思えても、自身が救われるのでなければ永遠の救いを感じることはできないだろうなあと思います。

 

人間の子どもは未熟児として生まれてくるといいます。

肉食動物から逃れるために生れ落ちてからほんのわずかの時間で立ち上がる草食動物の赤ちゃんとは違って、人間の子どもは周りから守ってもらわなければ何一つできない存在として生まれるのです。

 

イエス・キリストの誕生を祝いに駆け付けた人は、王様でも総督でもお金持ちでもなかったけれど知識を備えていた東方の3博士。羊と共に野営していた所で天使のお告げを聴きお祝いに駆け付けた羊飼いたち。

 ここまでは今まで何度も何度も聞き知っていたこと。
 

今回思い出したクリスマス礼拝の説教では「~実はこの羊飼いの人たちは、野営の技術を応用して冬の時期の馬小屋を生き抜く知恵・技術を持った人達なんだ~」ということを言っていたのです。

人の赤子として生まれたイエス、ましてや人間のヨセフとマリアにとってはこの知恵・技術は本当に助かったことでしょう。

 

救い主の誕生を喜び感謝した人たちは、同時にただ一方的に救われるのを待つだけ 弱いだけの人ではなかったということを知りました。

 

たとえ神の子であったとしても人の子として、人の赤子として生まれたからには支え合い助け合う関係ということを再認識しました。(以前アップした「人と言う表意文字・人間と言う表意文字」201212.3 を思い出しながら)

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